澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -478-
米院内総務のトランプ大統領への背信行為

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 周知の如く、今年(2020年)12月14日、米国では各州の選挙人投票が行われた。だが、激戦州6州とニューメキシコ州は、議会が別の共和党選挙人を選び、トランプ大統領に投票している(「代替選挙人:選挙を覆す最新の遠回しなトランプ計画を説明」『Vox』12月14日付)。
 そのため、7州に関しては、バイデン候補へ投票された84票とトランプ大統領へ投票された84票という2種類の票が存在する。したがって、来年1月6日、開票当日まで、米大統領選挙での勝者はまだ決定していない(一説には、12月23日は、ペンス副大統領が選挙人投票名簿を受け取る日で、当日、副大統領は7州からの選挙人票の受け取りを拒否できるという『Total News World』)。
 翌15日、米共和党上院のミッチ・マコーネル院内総務が、突然、バイデン候補に「当選」の祝意を表明した。まだ選挙結果が不明の時点で、共和党上院のトップが、民主党候補に祝意を示すのは奇妙である。これは、まだ法廷闘争中のトランプ大統領に対する“背信行為”ではないか。
 けれども、マコーネル院内総務の人間関係を探れば、その行動は容易に想像がつく。マコーネルの2番目の妻は、趙小蘭(イレーン・チャオ)現運輸長官である。
 小蘭の父親は、上海生まれで趙錫成と言う。趙は福茂集団を創立し、現在、その名誉董事長である。趙は大学卒業後、遠洋商船で実習をしていた。だが、「国共内戦」で実習継続が困難なため、上海へ戻って来た。その後、趙は叔父一家と一緒に渡台した。そして、商船の船長にまで上り詰めている。
 その間、趙錫成は安徽省出身の朱木蘭と結婚し、6人の娘をもうけた。その長女が趙小蘭である(ちなみに、一番下の6女、趙安吉はFacebookへの投資家、ハンガリー系ジム・ブライヤー<Jim Breyer>に嫁いでいる)。趙小蘭は台北市で生まれたが、幼い頃、両親と共に米国へ渡った。
 趙小蘭はマウント・ホリヨーク大学を卒業後、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した。マコーネルとの結婚後、趙小蘭は、ブッシュ・ジュニア政権時代の2001年から2009年まで労働長官の職責を果たした。更に、2017年からは、トランプ政権下、運輸長官を務めている。
 さて、「マコーネルの造反は『上海幇』江沢民家の工作の結果」(『明徳時評』12月20日付)という記事が興味深いので、ここで概略を紹介したい。
 マコーネル院内総務と中国共産党の関係は、彼の妻、趙小蘭抜きには語れないという。趙家は、中国共産党の長年の友人であり、共産党の歴代指導者と交際している。中国共産党にとって、マコーネル夫妻は、米国における重点的な「統一戦線」相手だった。共産党は、趙一族に多くの事業を行わせた。北京の援助で趙家の商売は繁盛した。趙錫成は数十億米ドルの資産家として名を馳せ、米国の華人船王になっている。
 実は、趙錫成は上海交通大学で江沢民元主席の同級生だった。1960年代初頭、趙一家がアメリカへ移住した後、趙は福茂海運を設立した。1980年代初頭、趙錫成は当時の電子工業相だった江沢民と接触し、上海の電子機器工場に資本参加した。それが、趙と中国共産党との最初の協力関係になっている。
 1985年、江沢民はまだ上海市長だった。上海宝山製鉄所(新日鉄の技術を導入)は、その年に動き出した。当時、これは、中国共産党の最大かつ最重要技術導入プロジェクトだったのである。
 その頃、宝鋼の生産に必要な鉄鉱石は全て輸入に頼っていた。鉱石輸送は、海外の船会社に委託している。先見の明があった趙錫成は、宝鋼がまだ建設中の時、上海に戻って、この海運ビジネスを行うことを計画した。
 趙のビジネスは宝鋼から始まり、後に武漢鋼鉄へと発展した。江沢民が北京へ行ってから、趙は首鋼京唐鋼鉄、後に金融など他の分野にも進出し、共産党との関係はますます緊密化した。そして、両者の協力関係は経済分野から政治分野にも及んだ。
 1989年「6・4天安門事件」直後、江沢民が党総書記に就任した際、趙錫成は北京に赴き、江の即位を祝した。江沢民は総書記就任後、6回も趙を迎えたという。
 初め、趙は米国では単なる実業家に過ぎず、政治的影響力はほとんどなかった。しかし、長女である小蘭が、1986年に政治の舞台に足を踏み入れて以来、趙一家は徐々に政治的影響力を持つようになる。
 1993年、連邦上院議員のマコーネルが51歳、趙小蘭が40歳で結婚した。新婚時、趙錫成は2人を北京に連れて行ったのである。江沢民は中南海マコーネル夫妻を迎え、釣魚台迎賓館で一家をもてなした。マコーネルと江沢民が会ったのはこれが初めてだという。
 1997年、江沢民主席(当時)が初めて訪米した際、マコーネル夫妻と会った。その後、夫妻は多くの共産党の指導者と会っている。まさに江沢民こそ、趙一家の恩人と言っても過言ではない。
 以上のように、マコーネル院内総務と中国共産党とは親密な関係を保っていたのである。