《ウクライナ情勢コラム》
ウクライナ戦争 —国際法と地政学の視点から

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研究員 橋本量則

 2月24日、ロシア軍がウクラナイ侵攻を開始した。国際社会はこれを国際法違反と非難している。日本のマスメディアもこれが国際法違反であると報じているが、どんな国際法に違反しているのか詳しいことはあまり報じていないようである。同様に、国連安保理が機能不全に陥っていることも盛んに報じられるが、それは国連設立以来のことであり、その原因が第二次大戦の戦勝国の欺瞞にあることもあまり触れられていない。かつて、湾岸戦争における米軍の英雄コリン・パウエル将軍は、国連の目的は「平和」を守るためではなく、「戦後秩序」を守ることにあると述べていたが、これがまさに真理であり、5大国のみに拒否権が与えられている理由である。つまり、拒否権と核を許された5大国は始めから集団安全保障策の対象ではなく、安保理でそれを指導、決定する立場にある。これが「国際秩序」なるものの正体である。
 戦後77年経った今も、この「秩序」に変わりはなく、今回のロシアによるウクライナ侵攻がそれを証明しているとも言える。確かに戦後、特に冷戦後、国際社会は一歩ずつだが平和に向かって歩んできたように見える。だが、それは西側の先進国の間での話であり、その象徴がヨーロッパの統合であったわけだが、西側の外側を見れば、冷戦後も戦争、紛争が常にどこかで起き、そこには米国、ロシア、中国の直接、間接の関与があったのである。
 これら大国の間では、未だに19世紀的なパワー・ポリティクスは有効であり、その戦略は地政学に基づいているとも言える。従って、今回のウクライナ侵攻も地政学的な視点なくして全体像は見えないだろう。
 本稿では、国際法、地政学の観点からウクライナ侵攻を考えていきたい。
 
国際法と武力行使
 日本国憲法第九条の信奉者には残念なことかもしれないが、「武力行使の禁止」は日本国憲法に限られたことではない。国際法は明確に武力行使を禁止している。国連憲章第2条4項にその規定がある。ただし、それには2つの例外が認められる。1つは、国連安保理決議に基づく集団安全保障の一環としての武力行使。もう1つは、自衛権の発動としての武力行使である。今回のロシアによるウクライナ侵攻は、当然どちらにも該当しないため、国際法違反となるわけだ。因みに、自衛権は言うまでもなく集団的自衛権を含み、いかなる国家もこれを行使してウクライナに加勢することはできるのだが、今のところ、まだ助太刀は現れていない。
 では、国際法は、ロシアのような違反者に対してどう対処できるのか。成文化された国際法である国連憲章には、第7章に集団安全保障の規定があり、「国際の平和と安全に対する脅威」が生じたと国連安保理が認定した場合、集団安全保障の枠組でこの脅威に対処するとされている。その手段は非軍事的なものから軍事的なものまであり、全ては安保理が決定するのである。
 だが、国連安保理が正しく機能するとは限らない。そのため、国連憲章第51条では、集団安全保障の手段が実行されるまでの間、「固有」の権利である自衛権を行使することを認めている。当然、この自衛権には個別的と集団的の双方が含まれる。だが、この国連憲章の条文を素直に読むと、集団安全保障の手段が実行されると自衛権は行使できなくなるかのような疑問が生じてくる。
 国際法学者たちによれば、自衛権は「自然権」に発する「固有の権利」であり、制限されることはないということになっている。つまり、2つの武力行使の枠組は、別個の法的根拠に依っていることになる。自衛権は国連憲章が起草される前からある概念であり、それは国際慣習法の範疇にある。この慣習法が自衛権の解釈に幅を持たせている。
 実は、自衛権というのは言うほど単純な概念ではない。例えば、国連憲章第51条は、自衛権の発動要件を「武力攻撃の発生する際」と明記しているが、何が「武力攻撃」に該当し、何時「発生する」と認定するのか、必ずしも明確な基準を示しているわけではない。従って、この辺は慣習法に拠る所が大きい。
 「武力攻撃」について言えば、2001年の米同時多発テロ以降、テロ攻撃も武力行使に該当し得ると見做されるようになった。それまでは、国家による軍事力の行使のみが「武力攻撃」であった。実際、同時多発テロの後、国連安保理は米国の自衛権の行使を認める決議を採択しており、同盟国は米国のために集団的自衛権を行使する旨、安保理に報告している。さらに、NATOも北大西洋条約第5条に基づき、米国を支援する決定を下した。即ち、米国をはじめとする有志連合によるアフガン戦争は自衛権に基づいた武力行使であった。
 「何時」武力攻撃が「発生する」のかについては長い間議論されてきたが、これは非常に難しい問題でもある。国連憲章の英語条文では「発生する際」と現在形で記されており、「発生した際」と言う完了形ではない。明確な基準はそこに示されていない。一方、国際慣習法は自衛権発動の際に「必要性」「緊急性」「比例原則」の3要件を求めている。逆を言えば、これらの要件を満たしていれば、自衛権を行使できることになる。かといって、その3要件を満たしたと誰がどう判断するのか、実際に判断するのは難しい。
 例えば、ミサイルを撃ち込まれそうな時、これを遮断することは「必要」であり、「緊急」を要する。そこにこちらからミサイルを打ち込んで遮断することは「比例原則」から外れず、自衛権の行使と見做されるわけである。これを英語で「preemption」と言い「先制攻撃」と訳されることが多い。この「preemption」が合法的な武力行使であることは国際法学者の一致するところであるが、いつそれを行使できるかは意見が分かれている。日本ではこの自衛権の発動としての「先制攻撃」と、単に戦略に基づく「予防攻撃」とを誤解している人たちが多いようだ。
 日本では、一発撃たれてからでないと自衛権を行使できないと言うのが一般的だが、これは国際法の常識からは外れており、憲法との整合性を保つための詭弁である。昨今話題の「敵基地攻撃」の議論の滑稽さは、「これは先制攻撃ではない」としている点にある。先制的要素を排除した「敵基地攻撃」に何の意味があろうか。リベラル派の正戦論の大家マイケル・ウォルツァーも、大量破壊兵器の時代に撃たれるのを待つなどナンセンスであると、一撃を待つことに否定的である。国際法よりも憲法を優先し、国民の命を危険に晒していることに気づかない政治に安全保障は任せられないだろう。
 たが、自衛権の曖昧さが侵略の口実に用いられる可能性があることも事実だ。古今東西、戦争というものは「自衛」を理由に始められる。今回、ロシアがウクライナに侵攻する際に用いた口実は、「親ロシア派住民がウクライナに虐殺されている」というものであった。仮に虐殺があったとしても、厳密に言えばこれは「自衛」に該当しない。このロシアの言い分を聞いた時に思い出したのがコソボ紛争(1998-1999年)である。
 コソボ紛争では、当時セルビア領内のコソボに住んでいたアルバニア系住民が虐殺されているという理由でNATOが人道介入を行った。この時、NATOはセルビアから攻撃を受けたわけではなく、自衛権は武力行使の根拠にならなかった。国際社会は国連安保理決議によって武力介入しようとしたのだが、主権国家の内政問題への介入に反対するという立場のロシアと中国はこれに賛成しなかった。つまり、自衛権も国連安保理決議も使えない状況に陥り、国際社会は目の前の虐殺をただ見ているだけになった。かと思われた時、NATOは「人道的理由」で軍事介入したのである。その後、国連安保理はNATOの武力行使に事後承認を与え、合法的な軍事行動の体裁を整えた。
 伝統的に「内政不干渉」の原則を堅持してきたロシアが、今回ウクライナに対し、ロシア系住民の保護を口実に介入したのであるから、ご都合主義もいい所だ。
 このように国連安保理が機能不全に陥ることは、今に始まったことではなく、5大国、特に米国、ロシア、中国に都合の悪いこととなると国連は全く頼りにならなくなる。これは国際政治の常識である。国連安保理の機能が大きな紛争でうまく機能した例は殆どなく、唯一湾岸戦争の開戦決議「国連安保理決議678」が例外なのであって、この唯一の成功体験を基準にすると、国際社会の現実を見誤ることになる。湾岸戦争当時は、冷戦の決着が着いたばかりで、ソ連、中国は西側に同調する他なかっただけのことだ。これ以降、国連平和維持活動以外で安保理が機能して紛争を解決した試しなどない。拒否権を持つ5大国が、意図的に「国際の平和と安全」を脅かす場合、これを止める手立てを持たないのが、戦後の国際社会の現実なのである。
 
現実主義と地政学
 米国、ロシア、中国は、間違いなく「現実主義」に基づいて国家戦略を組み立てている。欧米の大学で政治学や国際関係論を学ぶ大学1年生は必ず、マキャベリの『君主論』とホッボスの『リヴァイアサン』を読むことになる。従って、欧米の政治家、戦略家の頭脳は「現実主義」から始まるのである。そして、彼らが「現実」を見る上で欠かせないのが地政学の視点である。
 地政学にもいくつかの流派があり、大きく二分すれば、大陸型と海洋型に分けることができる。ロシアは大陸国家であり、当然、大陸型の地政学を採用することになる。故に、帝政ロシア、ソ連、現在のロシア共和国を通じて、この大陸国家にはある一定の行動パターンがある。
 例えば、ロシアは機会あらば、不凍港の獲得を目指し南下してくる。つまり、海への出口を求め、そこに往来自由の回廊を築こうとするのである。8年前のクリミア併合はこの第一歩であって、今回の侵攻では一気に黒海へ抜ける回廊を完成させたいのであろう。そこで西側とロシアのせめぎ合いが繰り広げられることは、世界史を知っていれば19世紀のクリミア戦争からも想像できる。実際、昨年夏、英空母クイーン・エリザベスを中核とした空母打撃群が太平洋へ向かう途中、そのうちの英駆逐艦ディフェンダーがクリミア半島に接近し、これに対しロシア軍機が実弾を発射し威嚇した事件があった。この緊張の高まりはBBCで速報されたほどであった。要するに、地中海から黒海にかけては、海洋勢力と大陸勢力のせめぎ合いの場となるのである。
 より大きな視点で見ると、ヨーロッパ自体、海洋勢力と大陸勢力のせめぎ合いの場となる半島と見ることができる。半島は、海洋と大陸の間にあり、その時に優勢な方に飲み込まれ、二つの勢力が均衡すれば分断される。冷戦時代の南北朝鮮の分断も東西ヨーロッパの分断も、海洋と大陸の勢力がそこで均衡したからである。NATOは北大西洋条約機構という名が示す通り、米国、英国を中核とする海洋勢力である。冷戦終結後、NATOが東欧にまで拡大してきたのは、海洋勢力の伸長、大陸勢力の後退と見れば簡単に説明がつく。事実、ソ連の解体とロシアの没落は大陸勢力の後退を意味し、米国と西欧の経済的繁栄は東欧を併呑していった。
 大陸勢力の盟主ロシアがこれに反発するのはある意味当然である。ただ、ロシアにとって欧州は飽くまで「他所」である。大陸型地政学の父とも言えるハウスホーファーは「統合地域論」を説き、世界を4つかの地域に分け、地域の盟主国がその地域を統治するとしたが、興味深いことに、フィンランド、バルト三国、ポーランド、ルーマニアを、ロシアを盟主とする「パン・ロシア」ではなく、欧州を盟主とする「ユーロ・アフリカ」に分類した。
 
(倉前盛通『悪の論理』p.197より)
 
 
(倉前盛通『新悪の論理』p.33より)
 
 つまり、大陸型地政学を採用するロシアにとって、これらの国々が海洋勢力の影響下に入ることはぎりぎり許容範囲と言える。だが、ウクライナとなると話は全く別になる。そこは「パン・ロシア」の縄張りなのだ。西側もこれを知りながら、ウクライナの「民主化(親欧化)」を支援していたのである。ロシアも大陸勢力が優勢な時には「ユーロ・アフリカ」に属するバルト三国と東欧を勢力下に置いたのだから、お互い様ではある。
 ただ、ウクライナにも西部を中心にカトリック信者が多く存在するので、そのような西部地域は「ユーロ・アフリカ」に属すると見てよいかもしれない。となれば、ロシアが絶対に譲れない境界線はドニエプル川とポーランド国境との間のどこかに引かれることになろう。
 ロシアはビザンチン帝国の継承国家を自認する国であり、プーチン大統領の会見場によく見られる双頭の鷲の紋章はそれを意味する。ロシアの宗教である正教会はビザンチンから受け継いだものだが、この宗派は西欧が経験したような宗教改革を経験していない、いわば古代キリスト教である。ロシア人が古代帝王制とも言える「ツァー」制を採ってきた歴史が、プーチン独裁を支持するロシア人の精神の背景にあると言えなくもない。
 事実、プーチン大統領は、登場した当初から「強いロシア」の復活を掲げていた。それは、冷戦後にエリツィン政権の「自由主義」がもたらした混乱に対する反動でもあったろう。90年代のロシアは、経済の約4割をマフィアが握っていると言われ、人口は減少の一途を辿り、国内のチェチェン紛争ではいい所なしであった。そこに現れたのが若きプーチンであった。首相時代、プーチンはチェチェンへの強硬策で名を上げ、その勢いのままエリツィンに引導を渡した。KGB出身で強面のプーチンだが、時折見せる人情味ある顔に、ロシア人の人気と期待が集まったのは事実だ。ロシア人は強い指導者の下での「強いロシア」の復活を望んだのであった。
 当初欧米は、プーチンの連邦保安局(FSB)人脈に懸念を持っていたが、まずは国力回復を目指すプーチンは欧米に気を配った。欧米も、プーチンのことを「ビジネスができる政治家」と当初は評価していたのだが、2005年のウクライナのオレンジ革命を巡る対応から、やはりそのKGB的強権政治は自由民主主義とは相容れないと警戒し始めた。そして、その後プーチンが度々用いる暗殺の手口を目の当たりにした欧米は、ロシアへの警戒を益々強めていった。だが、ドイツのメルケル政権はロシアからのエネルギーを当てにして対応が甘くなり、さらに米国のオバマ政権の外交失策もあって2014年のクリミア併合で西側は打つ手がなかった。プーチンは西側の隙を見逃さなかった。だが、大局的に見れば、追い詰められていたのはロシアの方で、ウクライナで親ロシア政権が倒された時、「王手」をかけられたと見るべきだろう。
 今後のウクライナ戦争の展開を予測することは難しいが、ウクライナに親ロシア派政権が誕生することはもうないだろう。ロシアとしても占領地は簡単に手放さないだろう。かといって、ウクライナ全土を占領できるとまでは考えていまい。となれば、落とし所はどこで線を引くか、である。その停戦交渉の行方を左右する材料となるのが、西側による経済制裁の効果とロシアの軍事作戦の成果であろう。どんな大国も経済が成り立たなくなれば国民の支持が得られず、体制が危うくなる。ウクライナが降伏するのが先か、ロシア経済が破綻するのが先か、そこが勝負のポイントである。とは言え、北朝鮮やイランでさえ、経済制裁の中で体制を保ってきたのも事実である。地政学ではよく「食糧とエネルギーと情報を制する者が世界を制す」と言われるが、エネルギーと食糧を自給できるのが大陸国家ロシアの強みでもある。しかも核大国である。一方、西側の経済制裁の中、ロシア経済の鍵を握るのは中国であり、したたかな中国と米国のことだから米中接近の再現も全くないとは言えない。
 もし、プーチンが忠実に地政学に従うのであれば、中央アジアへの影響力を強化し、ユーラシア・ハートランドで生存圏を確立しつつ、アフガニスタンのタリバンとも手を結び、イランと関係を強化、インド洋への回廊を確保し、ホルムズ海峡を影響下に置く。さらにイランを通じてイエメンも影響下におき、アデン湾にも手を伸ばし、西側の経済にプレッシャーをかけるというシナリオもあり得るかもしれない。これは、ロシアが「パン・ロシア」地域を生存圏として生きていくことを意味し、同時に、19世紀、20世紀に繰り広げられた大陸勢力と海洋勢力のせめぎ合いが続くことも意味する。実際、先日の国連総会で対ロシア非難決議を棄権した国には「パン・ロシア」に位置する国が多く含まれている。
 地政学に基づけば、以上のようなことが言えるだろう。が、それで戦争の行方がわかるなら、初めから戦争など起こるまい。国際法も地政学も政治指導者の意思決定に影響を与えるものだが、特に大陸国家の行動を分析するには地政学の方が有効なようだ。