澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -400-
北京政府を悩まし続ける香港問題

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2019年)9月26日夜、香港トップの林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が、香港中心部の体育館で、150人の香港市民代表と対話集会を行った(彼らは、2万人以上の中から無作為に抽選で選ばれたので、真の“代表”とは言い難い)。
 市民代表からは、ラム長官への批判が相次いだ。そして、警察の実力行使に関して調べる「独立調査委員会」の設立を求める意見が噴出している。
 けれども、ラム長官は、それには明確に答えていない。ただ、ラム長官は、これからも同様の対話の場を設けると明言した。
 会場の外では、集会に参加できなかった数千人が集まり、シュプレヒコールをあげた。彼らは香港政府に突き付けた「5大要求」のうち、改正案撤回の他、残り4つをも求めて行くつもりである。
 その中でも、特にハードルが高いのは、香港での普通選挙実施ではないか。市民の間では、この選挙制度改革を求める声が根強い。
 例えば、今後、立法会選挙を完全な「1人1票」制とする。前回の立法会選挙では、未だ職能団体が70議席中、30議席を占め、主に「建制派」(=「親中派」)が勝利している。
 他方、行政長官選挙では、これまで「建制派」が多数を占める「選挙委員会」が長官を選出していた(ちなみに、長官選挙に出馬するためには「選挙委員会」による一定数の推薦が必要である)。
 しかし、有権者は、今後、原則、誰でも自由に立候補できる行政長官選挙の実施を求めている。しかし、ラム長官はこれ以上、デモ隊に譲歩しないのではないか(たとえしたくても、中央政府の意向で、できないのかもしれない)。
 元々、香港政府は、市民に目を向けて政治を行っているのではない。常に中央政府の顔色を伺いながら、政治を行っている。これが香港政治の実態である。
 さて、今回、香港トップと市民の対話実施自体は評価できよう。だが、何分、遅きに失した観がある。
 9月4日、キャリー・ラム長官が「逃亡犯条例」改正案を撤回した。3ヵ月にわたる改正案反対運動(「反送中」運動)の末、香港政府がついに折れた形である。
 本来ならば、改正案撤回発表を機に、ラム長官はすぐにでも香港市民との対話を行うべきだっただろう。
 香港政府は、(市民代表を抽選で選出する作業があったとはいえ)撤回発表から3週間以上も経ってから、対話集会を開催している。
 おそらく、この間、香港政府は中央政府と対話集会開催について協議したのかもしれない。だからこそ、対話集会が“間の抜けた”タイミングになったのではないのか。
 対話集会2日後の28日、「雨傘運動」5周年の集会が実施された(同運動が開始されたのは、正確には9月26日)。そのため、2、30万の香港人がデモ(主催者側発表)を行い、警官と激しく衝突している。また、10月1日、国慶節70周年にも、香港では大規模なデモが企画されているという。
 ところで、なぜ、習近平政権は、当初、香港の「反送中」デモに強硬な姿勢を見せていたにもかかわらず、急に軟化したのだろうか。
 今年8月には、深圳には武装警察が集結し、すぐにでも越境して、香港のデモを鎮圧する構えだった。実際、国慶節70周年記念行事前(早ければ8月中、遅くても9月上旬)には、香港問題を解決するのではないかとの憶測が流れていた。
 けれども、北京政府は、香港デモに対し、積極的に動かなかった(ただ、今後、またいつ何時、デモ弾圧を行うのかはわからない)。
 無論、香港市民の命を賭けた継続的デモがあり、かつ、米トランプ政権が北京に対し「第2次天安門事件」発生を牽制したのが大きい。また、米連邦議会で「香港人権・民主法案」の成立も習近平政権には圧力となっただろう。
 ひょっとして、「習近平派」が「江沢民派」(=「上海閥」)を中心とした「反習近平派」に封じ込められたのではないのか。そのため、香港デモに対し「習近平派」による武力行使が困難になったと考えるのが自然かもしれない。
 よく知られているように、習近平政権は欧米的な「民主主義」を嫌っている。香港が「民主化」すれば、北京政府の思惑通りにはならなくなるだろう。それは、北京政府にとって都合が悪い。
 あくまでも、中国共産党が目指すのは、香港の「中国化」であり、中国の「香港化」(「自由化」・「民主化」)ではない。仮に、中国大陸に「香港化」が起きたら、北京は、やがて政権を手放す時がやって来るだろう。