澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -408-
「香港内戦」の遠因・近因とその背景

.

政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2019年)10月1日、中国の国慶節を機に、6月から始まった香港の「逃亡犯条例改正案」反対デモ(「反送中」デモ)への香港警察の対応が荒っぽくなっている。
 更に、11月4日、習近平主席と林鄭月娥香港行政長官が上海で会談して以来、それが顕著になった。おそらく香港の「飛虎隊」(香港警察特殊任務部隊)の中に、中国人民解放軍や武装警察が多数紛れ込んだからではないか。
 今までは、ゴム弾やビーンバック弾を使用していた警察が、デモ隊に対し、一転して、躊躇なく実弾を発砲するようになった。すでに、最低でもデモ参加者4人が銃撃された。危うく命を落とす寸前だった者もいたが、幸いにも、皆、助かっている。
 その代わり、不審死を遂げるデモ参加者が続出している。象徴的なのは、9月下旬、香港の海に全裸で浮かんだ少女、陳彦霖(泳ぎが得意な15歳)だろう。この不可解な事件を香港警察は“自殺”として片付けた。
 他にも、信じがたい事件が発生している。デモで逮捕された18歳の女性が数人の警官に荃湾警察署でレイプされた。そのため、彼女は妊娠し、エリザベス病院で堕ろしたという。
 11月12日深夜、香港中文大学では、学生と警官が激しく衝突した。これはもはやデモではない。「内戦」と言っても過言ではないだろう。多くの学生は遺書を残して、この自由と民主を守る“聖戦”に臨んでいるという。
 さて、今度の「香港内戦」の遠因は、2014年8月末まで遡る。
 中国全人代常務委員会は、2017年の「1人1票」の行政長官選挙で、「民主派」の長官が選出されるのを危惧した。
 そこで、中国全人代常務委員会は、それを阻止するため、従来の行政長官立候補規定(150名の推薦人が必要)を、突如、過半数以上へと変更した。それが5年前の夏である。「選挙委員会」は、約1200人で構成されるが、「親中派」が大勢を占める。そのため、「民主派」候補が過半数の推薦人を獲得できるはずもない。
 これを見た香港の知識人と学生がまず立ち上がった。そして、市民を巻き込んで「雨傘革命」を起こしたのである。結局、「雨傘革命」は、指導者の内部分裂や陣地戦の失敗等もあり、同年12月半ばで終息した。
 では、「香港内戦」の近因は何か。周知の通り、「逃亡犯条例改正案」をめぐり、反対運動が起きた。
 昨2018年2月、若い香港人カップルが台湾を旅行した。その際、男子が女子を殺害している。まもなく、その男子が1人で香港へ戻って来た。だが、香港検察は、その男子を殺人罪で起訴できなかった。それに、台湾と香港の間に「犯人引渡条約」が無い。
 そこで、香港政府は「逃亡犯条例」を改正し、台湾で罪を犯した香港人を裁く事が可能になるよう図った。けれども、もし条例が改正されると、香港での経済犯ですら、中国本土で裁かれるようになる。それを恐れた香港人は、「逃亡犯条例改正案」反対運動を開始した。
 ところで、「香港内戦」の背景には、まず、中国共産党側に要因があるだろう。
 2012年秋、習近平主席が登場して以来、徐々に、「民主化」「自由化」への道が閉ざされて行く。
 また、習主席としては、自らが鄧小平を超え、毛沢東になる事を目指した。習政権は、「改革・開放」の鄧小平路線を捨て、「第2文革」(「文化小革命」)を始めたのである。
 習政権は「人権活動家」や少数民族を弾圧し、宗教者を抑圧している。そして、香港の「反送中」デモでも、力で捻じ伏せようとした。
 他方、習主席は「中華民族の偉大なる復興」を掲げ、米国に代わり「中国的世界秩序」の再構築を目指している。
 ところが、習近平政権の思惑を察知した米トランプ政権は、対中貿易戦争を仕掛けた。習近平政権誕生以降、中国経済は右肩下がりだったが、「米中貿易戦争」で状況が更に悪化している。どうやら北京は、その矛盾のはけ口を香港に求めている観がある。
 次に、香港側の要因とは何か。
 第2次大戦後、英国の支配下にあった香港は「借りた場所」・「借りた時間」だった。あくまでも、香港は海外移民するためのステップ台に過ぎず、当地に根を下ろす事はほとんど考えられなかった。したがって、当時、「香港民族」・「香港独立」等いう言葉は存在しなかったのである。
 けれども、21世紀に入り、とりわけ2010年代になると、急に若者を中心に「香港人アイデンティティ」が増大した。更に、香港を「祖国」だと認識する若者が急増したのである。
 一方では、中国大陸からビジネスや留学で香港へやって来る中国人も少なくない。そこで、近年、香港人と大陸出身者の間に、就職や住居費等を巡り、様々な軋轢が生じた。
 今回の「香港内戦」も、以上のような背景があるのではないか。