【特別寄稿】「強制連行論」とその守護者たち

.

首都大学東京名誉教授 鄭 大均

「朝鮮人強制連行」という熟語が、日本に対する敵意や憎悪を喚起するとともに日本人の心に集団的なうしろめたさの感覚を植えつけるものであることは前に記した。これに似通ったものに、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺などを指して使われる「ホロコースト」の言葉がある。今日を生きるドイツ人は、この言葉に接して、先祖たちが犯した罪のために子孫である自分たちが今でも世界的な非難を受け続けることに、いささかの心の葛藤を覚えるに違いない。
 第二次大戦の敗戦国であるドイツと日本には、このように似たような体験があるといってよいが、「ホロコースト」が強制収容所に連行され、ガス室などで殺害された数百万人のユダヤ人等に対する虐殺やその過程を指して使われるのに対し、「朝鮮人強制連行」には、その言葉に見合う加害者や被害者の姿が見えないということは注意すべきである。
 戦時期、「徴兵」によって戦場に赴いた日本人を補充するために(戦争末期には朝鮮人も徴兵の対象となった)、朝鮮人が「労務動員」や「徴用」の名で「内地」や「外地」の炭坑や工場にかり出されたのは事実である。しかし「朝鮮人強制連行」は、戦場に赴いた日本人を補充するためにという重要な事実には触れないまま、「強制連行」という鮮烈な印象を与える熟語を使って、朝鮮人の被害者性を語るのである。
 孔子の末流である戦国時代の思想家・荀子は、詭弁には三つのタイプの誤りがあるという。「名前をもって、名前を混乱させる誤り…事実をもって名前を混乱させる誤り…名前をもって事実を混乱させる誤りである」
 それから2300年後の東アジアの世界が教えてくれるのは、詭弁の繰り返しの歴史である。60年代半ば、東京小平の朝鮮大学校教員であった朴慶植がその著書『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)で実践したのは、戦時期に使われていた「徴用」や「労務動員」の名前を「強制連行」という言葉に置換することによって、朝鮮人徴用労働者を被害者に祭り上げるとともに、日本帝国の暴力性の印象を人びとの心に植えつけようとする試みであり、彼はやがてそれに成功するのである。
 しかしながら、その成功とは荀子のいう詭弁による成功であり、その分かりやすい例は朴の本の冒頭に8ページにわたって掲載されている16枚の口絵写真であろう。口絵写真は1ページ目の「岩手虐殺事件で殺された朝鮮人労働者1932」に始まって、8ページ目の「5.30間島事件、朝鮮人虐殺の惨状1930」に終わり、「まえがき」に続くが、残虐極まりない印象を与える写真の多くは、実は戦時期の日本人の朝鮮人に対する加害者性とは無縁である。
 しかし『朝鮮人強制連行の記録』という名の本を購入した読者がそれに気がつくのは容易ではないだろう。1ページ目の写真は「1932年」という記述をあえて「岩手虐殺事件で殺された朝鮮人労働者1932」として読者を煙にまこうとしている。「5.30間島事件、朝鮮人虐殺の惨状1930」のキャプションのある8ページ目のディスプレイはより詐欺的で、65年の初版では、上部の写真に、「土匪之為惨殺サレタル鮮人之幼児」の記述があり、下部のものには「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」の字が見えたというが、手元にある5刷りの1966年版では、それがすでに消されている。なお下部にある「馬賊ノ首」の写真は後に朝日新聞が「南京大客殺」の「生首写真」として利用したものである。
 これはいずれも『朝鮮人強制連行の記録』の読者に、朝鮮人徴用労働者の被害者性や日本帝国の暴力性の印象を植えつけるための方法であり、朴慶植はずいぶん汚い手を使っていたのだなと思う。荀子風にいうなら、『朝鮮人強制連行の記録』とは名前(言葉)とともに「写真」を使って名前を混乱させるとともに事実を混乱させるものであり、それはやがて、日本や韓国に「強制連行」や「慰安婦」の言葉を媒介にしてしかあの時代を想像することができない大量の人間たちを生みだすのに貢献しているのである。

『朝鮮人戦時労働動員』

 その荀子の言葉に啓示を受けて、私は強制連行論のバイブルである朴慶植著『朝鮮人強制連行の記録』に若干の批判を試みたことがある。『在日・強制連行の神話』(文春新書、2004年)がそれで、そうすると、それは少しばかりの効果を発揮したようである。翌年、岩波書店から「強制連行論」批判への反論が刊行されるが、そのタイトルは『朝鮮人戦時労働動員』(岩波書店、2005年)である。
 これは若干の改善であり、評価に値するが、しかしこの本の著者たち(山田昭次、古圧正、樋口雄一)は、私が指摘した荀子的視点からの「強制連行」批判にはなにも触れてくれない。著者の一人である山田昭次氏(立教大学名誉教授)は、「朝鮮人強制連行という呼称では、強制労働、とくに民族差別の問題に眼が向けられなくなるおそれがある」から、今回の本では、「戦時労働動員」の語を使うのだという。
 しかし、そんなことは朴慶植には分かりきったことで、そんなタイトルでは日本人や韓国人の心にゆさぶりをかけることなどできないことを誰よりもよく知っていたのも朴氏であっただろう。そもそも「戦時労働動員」などといったら、「朝鮮人強制連行」なるものが、戦場に送りだされた兵士たちをバックアップするための「生産戦」(炭坑や軍需工場での労働がそれである)の役割に過ぎないことがばれてしまうではないか。「朝鮮人強制連行」の熟語が反日プロパガンダ語としてすぐれているのは、それが国家総動員の時代の前線にいた日本人兵士たちの姿を忘れさせてくれるからである。朴慶植はできの悪い二流の歴史学者であったかもしれないが、しかし彼にはすぐれた直観力があって、それが彼の仕事を今のところは不朽のものにしているのである。対してその信奉者たちに欠けているのはその直観力で、朴慶植が何者かについての勘がまったく働かないのである。
 ところでその山田昭次氏には、拙著を批判した部分がある。拙著で私は朴氏が北朝鮮の社会主義信奉者だったことを批判的に記した。それに山田氏は「当時の彼の思想をすべてこれに還元できるものではなく、生活意識の根底には在日朝鮮人としての痛みと、被害を乗り越えて在日朝鮮人として主体的に生きようとする志向があった。鄭大均の朴批判は朴の思想を単純化して理解したために、朴の思想の根底に無理解な批判となっている」という。
 私は山田氏とは違って朴慶植の信奉者ではないから、「朴の思想の根底に無理解」といわれて仕方がないが、しかし朴の「思想」を「在日朝鮮人としての痛みと、被害を乗り越えて在日朝鮮人として主体的に生きようとする志向」などと形容する態度には、朴を崇め奉る態度があって気持ち悪い。贖罪派というのは、なるほどこういう人間を指すのだということに改めて気がつかせられた文である。


外村大の『朝鮮人強制連行』

 右の本を刊行した岩波書店、早くから「朝鮮人強制連行」という反日プロパガンダの流布に貢献した媒体である。「朝鮮人強制連行」の熟語がはじめてメディアに登場したのも、管見するところ、その月刊誌『世界』に掲載された藤島宇内論文(1960年9月号)であり、当時『世界』には、金沢市出身の安江良介という若き編集者がいて、やがて彼はこの雑誌を北朝鮮の宣伝誌に塗り変えていく。
 その岩波書店の最近の「朝鮮人強制連行論」に、外村大(とのむらまさる)著『朝鮮人強制連行』(岩波新書、2012年)がある。東大教授の外村大氏、今回の著書が刊行される前からそのホームページには「強制連行論」守護者としての顔を見せているが、この人にも朴慶植に対する崇拝の態度があることに気がつかせてくれたのもそのホームページである。
 2004年1月の大学入試センター試験の「世界史」科目に、「日本統治下の朝鮮」に関連して、択一式の出題があったことを記憶されている方がいるだろうか。
 (1) 朝鮮総督府が置かれ、初代総督として伊藤博文が就任した。
 (2) 朝鮮は、日本が明治維新以降初めて獲得した海外領土であった。
 (3) 日本による併合と同時に、創氏改名が実施された。
 (4) 第二次大戦中、日本への強制連行が行われた。
 (4)が正解だというが、本当は正解なぞない。ただし設問を「21世紀の今日、日本統治下の朝鮮に関連する左翼的プロパガンダとして最も成功しているものを一つ選べ」とするなら、正解は(4)であろう。
 この出題に異議申し立てをしたのは「新しい歴史教科書をつくる会」で、「強制連行」という言葉は「日本を批判するための政治的な意味合いをもって造語された言葉」であるという。これに反論したのが外村氏で、「何か不当に日本国家および日本人を攻撃し貶めるというようなニュアンスで使われているとしたら、この主張は誤りである」といい、その後に奇妙な「朝鮮人強制連行」と朴慶植擁護論を展開するのである。
 「朴慶植は、日本と朝鮮の民衆同士が連帯し、友好的な関係をつくりあげることを望んでいた。『朝鮮人強制連行の記録』の序文にもそのような立場からこの著書がまとめられたことが記されている。朝鮮人、とりわけ在日朝鮮人にとっては日本との友好は重要であり、それなしには安定的な生活は成り立たないわけであり、それは当然である。しかしその際、重要なことは正確な史実を認識することが基礎におかれなければならないと朴は考えていたと見られる。そのような意図から『朝鮮人強制連行』の語を用いた著作がまとめられたのである。そこには、問題とし排斥すべき『政治的意味合い』など少しも存在していないはずである」(「朝鮮人強制連行―その概念と史料から見た実態をめぐって―」外村大氏のホームページ参照)。
 先の山田昭次同様、外村大も朴慶植信奉者であり、われわれには理解しにくい思い入れもあるのだろうが、それにしても「正確な史実を認識することが基礎におかれなければならないと朴は考えていた」のだから、それを「政治的」と見るのはおかしいという議論は稚拙過ぎて恥ずかしい。これでは、「政治的」などというある種の烙印語が、われわれが自分を何者と考えるかによって違ってくるのだということにも気がついていないということになるのではないだろうか。
 つまり、日本には、外村氏のように、戦前の日本の加害史や侵略史の糾弾こそが日本人としての使命であると考える人間もいるが、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーのように、それを日本の尊厳を傷つける行為であると考える人間もいる。「政治的」というような言葉は、それぞれが相手側を批判するときに使う軽い烙印語の類であるが、外村氏には、どうも自分の側にある「政治性」についての自覚が欠けているように見えるのである。
 これはしかし、外村氏に対する善意の解釈に過ぎないのであって、本当は彼だって「朝鮮人強制連行」という言葉のプロパガンダ性をよく知っているのかもしれない。そのように思わせるのが新書『朝鮮人強制連行』で、改めて「強制連行」のタイトルを使うのだが、その根拠が明朗でない。もっとも「序章」の出だしには「用語をめぐる議論」の項があって、そこには「朝鮮人強制連行」の語を使うことの妥当性が記されているのだが、みんなが使っているし、みんなが正しいというから、自分も使ってなにがおかしいという以上の記述がないことに驚かされる。
 つまり、外村によれば、この言葉は「今日の日本ではよく知られているし、しばしば使われる語」であり、「歴史辞典」でも「たいがいのもの」には「強制連行」や「朝鮮人強制連行」の項目があり、また「今日までの歴史研究は、本人の意志に反し暴力的に朝鮮人を労働者として連れて来る行為が行われていたことを明らかにしてきた」のだという(2~4頁)。しかしそんなことをいうなら、「歴史辞典」(歴史事典?)の「朝鮮人強制連行」の項を記したのも(朴慶植も記したが、より代表的なのは田中宏)、「朝鮮人強制連行」をテーマに歴史研究に従事してきたのも、ほぼ全員が左翼であり、彼らが日本の加害者性の糾弾に情熱を注いできた人々であることをどう考えるのかと反問されておかしくないだろう。
 この本が拙著『在日・強制連行の神話』をまったく無視して議論を進めることにも違和感がある(参考文献にも記されていない)。今回の新書で外村が明らかにしたのは、朝鮮人に対する労務動員が日本人に対するそれに比べて、不利な条件が押しつけられ、差別があり、人権侵害を伴うものであったというようなことであろう。それはそうであろう。この時代の朝鮮人が同じ「帝国臣民」とはいわれても、「二級市民」的な扱いを受けていたということは周知の事実である。
 それにしても、この本はなんで拙著の問いかけを無視したのか。拙著で私は、朝鮮人に対する労務動員とは、戦場に送られた日本人の男たちを代替するものに過ぎなかったのであり、だからその朝鮮人の被害者性を強調する態度はおかしいのだと記したが、外村氏はそれを無視し、改めて朝鮮人の被害者性を強調して見せたのである。
 山田昭次氏も外村大氏も朴慶植の忠実な信奉者であり、「朝鮮人強制連行論」の新旧を代表する守護者であるが、こうして比べると、印象的なのは山田氏の愚直さに対する外村氏の狡猾さであろうか。

 

鄭大均(てい・たいきん) 1948年岩手県生まれ。首都大学東京名誉教授。日韓関係、エスニック研究、ナショナリズム研究。著書に『韓国のイメージ』『日本(イルボン)のイメージ』『在日の耐えられない軽さ』(中公新書)、『在日・強制連行の神話』(文春新書)、『姜尚中を批判する』(飛鳥新社)、編書に『日韓併合期ベストエッセイ集』(ちくま文庫)がある。