澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -159-
ロシアのハニートラップに嵌った中国人技師

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 しばしば中国が仕掛けた“ハニートラップ”が奏功していると聞く。
 例えば、陳文英(Chan Man Yin、結婚後はKatrina Leung)である。陳は広州生まれで、中華民国のパスポートを持っていた。コーネル大学を卒業し、シカゴ大学で経営学修士(MBA)を取得している。
 その後、陳文英は米連邦調査局(FBI)に勤務し、長期にわたり中国情報を収集していた。だが、陳はいつしか中国国家安全部へFBIの情報を流すようになったのである。実は、陳文英は、FBIの2人の上司(J.J.SmithとBill Cleveland)と関係を持っていたという。結局、2003年、陳文英は“二重スパイ”だとして、米ロサンゼルスで起訴されている。
 他方、2011年、上海出身の女性、鄧新明が上海駐在の韓国外交官3人と関係を持った。そして、鄧は、韓国政府の人事情報、上海総領事館のビザ発給記録、韓国政府高官の200以上の電話番号(李明博大統領夫人の携帯番号や義兄の連絡方法を含む)を聞き出している。
 今年(2016年)9月4・5日に行われた杭州でのG20では、各国は中国の“ハニートラップ”を警戒したという。
 さて、ところで、“ハニートラップ”は中国の18番だと思われているが、必ずしもそうとは限らない。最近、ロシアが仕掛けた“ハニートラップ”に優秀な中国人技師、侯建文が嵌った。
 事件に関しては、今年9月14日、北京『艦船知識』雑誌の編集者、邱貞瑋が微博上で言及した。さらに、北京の有名な学者、王小東も微博上で事件を示唆している。
 侯建文(56歳)は、上海航空宇宙技術研究所(Shanghai Academy of Spaceflight Technology)副主任で、宇宙工学やミサイル技術の中国第1人者である。侯は1960年生まれの浙江省出身で、ハルピン工科大学を優秀な成績で卒業した。
 侯建文は、「風雲1号A」、「風雲1号B」、「風雲1号C」等の衛星制御技術を開発した。さらに、侯は人民解放軍の紅旗16系ミサイルの設計も行った。
 侯建文は2011年に打ち上げられた中国初の火星探査機「蛍火1号」の打ち上げにも参加している(この探査機は軌道に乗らず、太平洋へ落下)。侯は、2020年、中国が打ち上げ予定の「蛍火2号」、2017年打ち上げ予定の「嫦娥5号」にも参加するはずだった。
 その侯建文が、重要機密文書をロシアへ流出させたとして、中国当局(国家安全局)に調べられている。
 今年4月、習近平政権は、「曙光16」という“反スパイ活動”を始めたことはあまり知られていない。主な責任者は、李克強、栗戦書、馬凱である。侯建文は、この「曙光16」でロシアの女スパイとの関係が暴かれたのではないだろうか。
 スパイの名前は、ダリア(Daria Bulba)である。彼女は、上海で活躍していたウクライナ出身のモデル(21歳)だった。ダリアは、身長180センチ、色白の美人である。彼女の髪の色は、明るい茶色だった。
 今年8月6日早朝、ダリアは上海東方明珠テレビ塔付近に現れた。その時、ダリアはピンク色のワンピースを着て、黒のバッグを持っていた。だが、それ以来、ダリアは謎の失踪を遂げている。
 ダリアの姿が消えた後、彼女のルームメイトだったナンシーが、WeChatにダリアの失踪を報告し、捜索を依頼している。
 ダリアは明るい性格ではなく、交際範囲も広くなかった。ただ、特定の人物とだけ、親密な関係を築いていたという。
 ちなみに、侯建文がダリアの“ハニートラップ”に嵌ったのは、侯建文の海外出張の際だったのか、それとも中国国内だったのかは不詳である。
 一方、“ハニートラップ”に嵌ったのかどうか不明だが、今年5月、郭恩明(中国航空工業集団<Aviation Industry Corporation of China>科学技術委員会副主任、総装備部先進製造技術専門家グループ長、中航工業製造所長)が失踪した。侯建文同様、郭は、他国へ機密情報を流した疑いで、中国当局に取り調べを受けているという。
 このようなスパイ事件に関しては、普通、どこの政府もあまり声高に発表しない。当局が粛々と取り調べを行う。いざとなったら、自国のスパイと相手国のスパイ同士を交換する場合もあるだろう。