澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -164-
タイ空港で入国を阻止された香港の黄之峰

.

政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2016年)10月4日、タイの現地時間24時頃、香港「雨傘革命」のリーダーの1人、黄之峰(ジョシュア・ウォン。19歳)が、バンコク・スワンナプーム国際空港へ到着した。
 黄之鋒は、タイの名門、チュラーロンコーン大学とタンマサート大学で民主化運動について講演する予定だった。
 けれども、黄之峰は、彼の名前がタイのブラックリストに載っていた(ペルソナ・ノン・グラータ)為、入国を果たせなかった。中国共産党が、タイ軍事政権に対し圧力をかけたに違いない。
 同時に、プラユット暫定政権も黄之峰が入国して、民主主義の種を蒔かれては困ると考えたからではないだろうか。
 2年前(2014年5月)、プラユット陸軍司令官は戒厳令を敷き、軍事クーデターで(インラック政権に続く)ニワットタムロン暫定内閣を倒した。そして、「国家平和秩序維持評議会(NCPO)」がタイの全権を掌握している。
 周知のように、タイでの政変は日常茶飯事の如く起きている。1932年の立憲君主制成立以降、タイではクーデターが19回起きている。21世紀に入ってからも、2006年、2010年、2014年と3回も起きた。タイの民主主義は脆弱である。
 このような状態の中、タイの学生らが、黄之峰から香港の民主化運動について詳しく知りたいと思っても不思議ではない。
 さて、黄之鋒のFacebookによれば、入境の際、既に20人ぐらいの警察と入管が待ち構えていたという。すぐさま、黄之峰はパスポートを没収され、電話とパソコンの使用を禁止された。
 黄之峰は、弁護士と連絡を取りたい、また、どんな法律に違反しているのか知りたいと当局に迫った。しかし、当局は「NO」の一点張りだった。
 そして、警察と入管は、「ここはタイであり、状況は中国と同じで、香港とは違う」と言った。
 一時、黄之峰が他の人と連絡が取れなくなったので、昨年10月の銅羅湾書店の桂民海がタイで失踪した事件を思い出した香港人は少なくないだろう。
 当時、中国公安は、白昼堂々とタイで桂民海(国籍はスウェーデン)を拉致し、中国大陸へ連れ戻した。そして、中国共産党は、かつて桂が寧波市で運転中、事故を起こしたとして、国内で裁判を行っている。
 黄之峰は過去、5回、香港で逮捕されているが、その状況と比べ、今回、10倍も100倍も恐怖を味わったという。
 結局、黄之峰はタイ当局に12時間ほど拘束されたが、翌5日の昼の便で、無事、香港へ帰ることができた。
 実は、黄之峰は、昨年5月、マレーア・ペナンへ行った際も、入管当局に「政府の命令」だとして、入国を拒否された。そして、黄之鋒は、搭乗した香港ドラゴン航空KA633便で香港へ引き返している。
 中国共産党は、相変わらず民主主義を恐れているようである。
 1989年の「6・4天安門事件」の時、共産党に危機が訪れた。民主主義に理解のある「改革派」とそうではない「保守派」の間で深刻な分裂が起きたのである。そして、あわや共産党政権が崩壊寸前だった。
 おそらく、党幹部らは、未だそのトラウマから抜け出せていないのではないか。
 確かに、香港公開大学の大学生である黄之峰は、香港では人気がある。しかし、黄之峰は「香港衆志」(デモシスト)という小政党の秘書長に過ぎない。
 だから、黄がどこの国で何を話そうが、大した影響力は無い(ちなみに、その政党の主席は羅冠聰であり、今月9月4日の香港立法会選挙で見事当選を果たした。他方、「雨傘革命」の際、「学生運動の女神」と言われた周庭<アグネス・チョウ>は副秘書長である)。
 現在、習近平主席は、世界的潮流に逆らい「毛沢東型」の専制体制を敷いている。そして、習政権は「一国両制」下の香港における、どんな些細の事にも目を光らせている。黄之鋒のような19歳の学生の行動すら、気になって仕方ないのだろう。
 これでは、香港は既に「高度な自治」を失っていると言っても過言ではない。中国共産党の50年間「一国両制」は変更しないという「国際公約」はどこへ行ってしまったのだろうか。