澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -172-
全人代代表の基層選挙

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2016年)11月1日から15日にかけて、中国では、全国人民代表大会(以下、全人代)代表選挙(5年毎)が行われた。約9億人の有権者が250万人の地区代表を選んだ。その点は評価できる。
 しかし、問題は、その選挙が郷鎮(村や町)の基層レベルでしか実施されていない点だろう。その上部の県や市、省レベルの選挙は一切行われていないのである。全部、ブラックボックスの中で決められてしまう。
 基層レベルだけの選挙では、それ自体に、一体何の意味があるのだろうか。中国共産党は、内外に“民主的選挙”を行っているとアピールする狙いかもしれない。言わば、口実作りのための選挙である。
 また、この基層レベルの選挙でさえも、中国共産党は、同党以外の独立系候補者(例:北京市房山区の劉恵珍候補)に対して、妨害工作を行い、当選阻止を目論む。選挙干渉が甚だしい。
 さて、今度の全人代代表の基層選挙で特筆すべきは、一部の中国人有権者が候補者名を、江沢民、或いは、米大統領選挙候補者、ドナルド・トランプやヒラリー・クリントンと書いたことではないか。それどころか、日本のAV女優の蒼井そらの名前さえ書く有権者がいたのである。
 無論、一部の有権者は冗談や洒落で江沢民、トランプやヒラリー、蒼井そらの名前を書いたのかもしれない。しかし、それは習近平政権に対する批判票だと考えられよう。
 少し古いデータ(2013年)だが、全人代代表の約6%(179人)と人民政治協商会議(以下、政治協商会議)委員の約20%(450人近く)は、外国の永住権(例えば、米「グリーンカード」やカナダ「メイプルリーフカード」等)・外国のパスポートを持っているという。
 これでは、全人代・政治協商会議が、中国人の代表なのか、それとも外国人の代表なのか分からない。有権者もそんな全人代代表を選ぶ甲斐はないだろう。
 中国共産党高官らは、イザという時(易姓革命やクーデタが起きた際)には、海外へ高飛びする算段に違いない。そうでなければ、外国居住権や外国のパスポートを持つ必要はないだろう(因みに、我が国では蓮舫・民主党代表の「二重国籍」問題が大きくクローズアップされている)。
 今年9月、前回、2011年に行われた遼寧省での全人代代表基層選挙で買収等の不正が行われたとして、多くの代表が辞職に追い込まれた。全人代常務委員会は、遼寧省の全人代代表45人(全部で102人)の当選無効を発表した。他方、遼寧省人民代表大会は、選挙時、代表の619人中523人に不正行為があったので、そのうち454人が選挙無効で失職したと発表している。
 買収以外、他にどんな不正が行われたのか。かつて中国国民党(以下、国民党)が台湾で行っていた選挙(1949年の台北遷都以来、1980年代半ば頃まで)を振り返れば、遼寧省でどのような不正が行われたのか推測可能だろう。
 元々国民党と中国共産党は、イデオロギーは違うが、所詮、兄弟党である。やる事は殆ど変わらない。
 国民党統治下、台湾の選挙は不正が当たり前に行われていた。
 まず、国民党員でない候補者(時には、候補者家族)に対しても、しばしば脅迫や嫌がらせがあった。次に、買票(票の買収)は元より、票のすり替えも一般的だった。
 更には、選挙開票中、国民党候補が不利な時、しばしば突然、現場の電気が消え、再び電気がついた時には、同候補が優勢になっていることもあった。
 以前、台湾では野党の人々は「党外」と呼ばれた。「国民党外」の意味であり、当時は、「国民党員でなければ、人に非ず」だったのである(現在の中国大陸では、「共産党員でなければ、人に非ず」だろう)。
 ちょうど今から30年前(1986年)、台湾で初めて野党・民主進歩党(民進党)が誕生した(台湾に複数政党制が導入)。将来、民心を失えば、必ずや政権交代が起こる(国民党が下野する)可能性が生まれたのである。誠に画期的な出来事だった。
 実際、その14年後の2000年の総統選挙では、民進党の陳水扁候補が勝利し、国民党から民進党への第1次政権交代が起きている。
 台湾の複数政党制導入に関しては、米レーガン政権の民主化圧力と、蔣経国の決断によるところが大きい。だが、50年間、日本統治下にあった台湾には、ある程度、民主主義が根付いていたと考えるべきだろう。
 だが、一方、中国大陸には、その民主主義の基盤が存在しない。従って、中国共産党が複数政党制を導入するのは、今後、なお相当の歳月がかかる公算が大きい。
 (文中敬称略)