尖閣諸島の空は守れるのか
~新安保法制の不備是正を急げ~

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政策提言委員・元航空支援集団司令官 織田邦男

はじめに
 航空自衛隊(以下「空自」)は昭和33年、自衛隊法84条に基づく領空侵犯措置を開始し、日本の領空主権を守ってきた。24時間、365日、全国28個のレーダーサイトで我が国周辺の監視を続け、7つの基地で戦闘機を待機させ、スクランブル命令が下達されれば5分以内に離陸できる態勢をとっている。これまでのスクランブル回数は2万5千回を超える。
 冷戦中の主対象はソ連軍機であり、冷戦終焉後は中国軍機になった。特に近年の中国軍機の活動は著しく増加しており、挑発行動もエスカレート気味であり、領空主権に対する深刻な脅威となっている。
 防衛省統合幕僚監部の発表によると、平成28年度上半期の緊急発進回数は594回であり、前年度の同時期と比べて251回増加したという。その内、中国機に対する緊急発進回数は合計407回であり、前年度の同時期と比べて176回増加している。如何に中国機の活動が拡大・活発化の傾向にあるかが分かる。
 中国軍は制空戦闘能力向上に伴い、徐々に活動領域を尖閣諸島方面に延伸しつつある。尖閣諸島周辺空域の実効支配をめぐる熾烈な鍔迫り合いが連日繰り広げられているようだ。航空自衛隊のスクランブル状況、そして日本政府の反応を瀬踏みしながら、少しずつ活動領域を広げ、傍若無人さを増しながら、サラミをスライスするように既成事実を積み重ねている。 
 冷戦期の主対象はソ連の爆撃機であり、日本領空への接近は「偵察と訓練」が主目的であった。現在、主対象は中国の戦闘機であり、その目的は尖閣諸島の「実効支配の奪取」である。冷戦期と状況は全く異なる。冷戦期に問題なく領空侵犯措置を遂行できたからといって、今後もできると安易に思っていたら甚だ危険である。徐々に活動領域を広げつつある中国軍機が尖閣諸島の領空を侵犯するのは時間の問題かもしれない。その時、航空自衛隊は領空主権を守れるのか。そのためには何が問題で、何を為さねばならないのか。今一度振り返ってみる必要がある。

空のグレーゾーン事態対応
 昨年の新安全保障法制論議では、安倍内閣は武力攻撃事態以前の「グレーゾーン事態」については、現行法制のまま「運用でカバーする」として、法整備には手を付けなかった。
 今後、尖閣諸島をめぐって、「警察事態なのか防衛事態なのか」「犯罪なのか侵略なのか」が明瞭でなく、「法執行か自衛権行使か」「武器の使用か、武力行使か」に迷う事態が発生する可能性は高い。例えば漁民に扮した武装民兵が尖閣諸島周辺の領海を侵犯し、上陸を企て占拠したような事態だ。
 先ずは法執行機関として海上保安庁や警察が対応するだろう。仮に事態が海保や警察の手に負えない場合、海上警備行動や治安出動を下令して自衛隊を投入する。昨年の新安保法制論議では、法改正は実施せず、これらの命令を下令するまでの手順を簡素化して、迅速に自衛隊を投入できるようにするというのが安倍内閣の考え方であった。
 筆者はこれに対しては深い懸念を抱いている。自衛隊投入自体の考え方が、そもそも安易すぎる。自衛隊は国際的には軍隊であり、軍隊は最後の手段である。軍を法執行の補完とはいえ軽々に投入すべきではない。米国の場合も、連邦軍は領域内での法執行は憲法で禁止されている。
 また海上警備行動、治安出動は「警察権」の行使であり、法執行の補完である。投入される自衛隊の権限も警察権行使に縛られる。警察権行使という手足を縛ったまま軍(自衛隊)を投入するなど、百害あって一利なしである。
 中国は今、”White Ship Strategy”という戦略をとっていると言われている。人民解放軍の投入は控え、公船(海警)、つまり白い船や漁船(民兵)を出して既成事実を積み重ねる戦略である。国際社会の非難を極力回避し、米国の軍事介入を避けるためである。中国は米国が介入しない形で尖閣諸島の実効支配を奪おうとしているのだ。
 このような中、海保や警察が手に負えないからと言って、先に自衛隊を出すことは中国に軍事力投入の口実を与えるだけであり、中国の思う壺である。公船や民兵に対しては、最後まで海保、警察が対応できるよう体制の強化を急がねばならない。
 では、上空ではどうか。平時の領空侵犯は武力攻撃事態以前の主権侵犯事態であり、まさに「グレーゾーン事態」そのものである。だが上空には海保や警察のような「航空警察」は存在しない。最初から軍と軍(空自)とが相対することになる。陸上、海上のように「運用でカバー」して迅速に「選手交代」ということは出来ない。中国軍機に対しては、平時から有事まで、空自が切れ目なく対応しなければならない。
 上空における「グレーゾーン事態」は、領空侵犯措置が警察活動なのか防衛行動なのかによって対処要領が大きく変わってくる。
 一般的に領空侵犯措置には3つの性格があると言われる。
 ①領域保全のための国際法上の不法行為を阻止し、又は排除する部隊行動、所謂国際法上の警察活動
 ②侵略未然防止の観点から外国軍用機の行動を警戒監視する必要があり、個々の侵入機が軍事常識上敵性行為と判定された時は、国際慣習法により認められている自衛措置を講ずる防衛行動
 ③戦時中立の義務履行のための部隊行動
 領空侵犯措置は、その時の状況によって警察活動から防衛行動まで変化し得る。しかも上記①②の接際部は必ずしも明確ではない。空自は警察活動から防衛行動までのファジーでグレーな状況に関し、切れ目なく一貫した対応がとれなければならない。
 平成22年10月29日、日本政府は答弁書で「84条は『公共の秩序の維持』に該当する任務」と述べている。つまり領空侵犯措置というのは平時の警察活動であることを明確にしたのだ。ということは、明らかに「侵入機が軍事常識上敵性行為と判定された」としても、84条では国際慣習法によって我が国を守る防衛行動はとれないことになる。本当にこれで空の「グレーゾーン事態」に対応できるのだろうか。
 防衛法関係法令に詳しい安田寛氏は「防衛法概論」の中で領空侵犯措置について「渉外警察作用」という言葉を使って次のように説明する。
 「軍隊が組織的かつ計画的に外国の領域に侵入する行為は、武力攻撃であり、自衛権を発動させる。しかし、少人数の部隊が偶発的に国境を越えて他国の領域に侵入した場合にこれを排除する行為は、むしろ国家の領域主権に基づくものというべきである。武力攻撃に対する自衛権の行使が、国家の防衛高権の作用であるのに対し、この場合に採られる措置は、警察高権の作用である。(中略)自衛権行使の場合には、その行動が自国の領域から公海に及び、更に相手国の領域に及ぶことがあるのに対し、警察高権は領域主権の属性であって、自国の領域の外に行動が及ぶことはない。ただ、この場合の警察作用の対象は、外国の国家機関であるから、そのような強制行為については、国際法の規律に従うこととなる。この場合の警察作用は一般的のそれと区別して渉外警察作用と称することができよう」
 この「渉外警察作用」という概念も極めて分かりづらい。諸外国で自国の領空侵犯措置を渉外警察作用と位置づけて実施している国があるのかどうか寡聞にして知らない。だが少なくとも「公共の秩序の維持」を超えるものであり、国際法の規律に従う領域主権の防衛行動も一部含まれているようだ。
 領空侵犯措置を防衛行動として位置づけるのであれば、任務遂行のための武器使用については、国際法に則って事前に部隊行動基準(ROE)を策定し、政治がこれでもって空自を律すればいい。だが「公共の秩序の維持」という警察活動として位置づけるならば、領域内に侵入して「退去しない」「強制着陸に応じない」など「軍事常識上敵性行為」を行う外国軍用機に対しての武器使用権限については法律で明示しておかねばならない。
 しかしながら、現実はどうか。自衛隊法には各種任務について、それぞれ詳細に武器使用権限が規定されている。だが不思議なことに84条だけが「権限規定」がない。これが何を意味するのかは後述するが、武器使用権限が明示されないまま、空の「グレーゾーン事態」に適切な対応が出来るのだろうか。
 
領空主権の防衛について
 領空は「絶対的、排他的な主権」を有する。領空が領海と違うのは「絶対的」であるところだ。領海のようには「無害通航」は認められていない。従って、軍用機の領空侵犯は、国際慣例上、「退去」または「強制着陸」させるのが普通であり、それを拒否した場合、「撃墜」することは排除されていない。尖閣領空を頻繁に領空侵犯されるようでは、尖閣諸島を実効支配しているとは言えないのだ。
 最近の事例を紹介しよう。2014年3月23日、トルコ空軍がシリア空軍戦闘機 MIG-29 を撃墜した事例がある。トルコ空軍が国境に接近するシリア空軍MIG-23 戦闘機2機を確認し、4度にわたって警告したが従わず、内1機が領空に侵入した時点で、トルコ空軍 F-16 戦闘機がミサイルでこれを撃墜した。国際社会では独立国家として正当な自衛行動として何ら問題にはなっていない。
 2015年11月24日の事例も記憶に新しい。トルコ空軍F-16が領空侵犯したロシア空軍SU24を撃墜した。この時は、相手が軍事大国ロシアであり、さすがにトルコ政府も慎重に手順を踏んで対応している。
 ロシア空軍は2015年9月に開始したシリア領内の「イスラム国」空爆の際、トルコの領空侵犯を繰り返した。このため10月、トルコ政府はロシア大使を呼んで厳重注意している。だが、その後も繰り返すため、今度はNATOとして抗議声明を発出し、トルコ政府も再度警告を発した。これに対し、ロシア軍幹部はトルコを訪問し釈明している。だが、その後も領空侵犯を繰り返したため、最後には撃墜に及んだ。ロシアは警告がなかったと抗議したものの、国際社会でトルコ政府を非難する声は聞かれなかった。これ以降、トルコ領空の侵犯は起きていない。トルコ空軍は領空主権を守り抜いたわけだ。
 まさに平時でも有事でもない「グレーゾーン事態」の対応である。今後予測される中国軍機による尖閣諸島の領空侵犯に対しては、これを未然に防止し、領空侵犯した際には国際法に基づく厳正に対応しなければならない。これができてこそ尖閣諸島を実効支配していると言える。

「権限規定」がないという法的不備
 自衛隊法第6章には、防衛出動をはじめとして、治安出動、海上警備行動、警護出動、領空侵犯措置等々、「自衛隊の行動」が規定されている。そして第7章には、各々の行動について、自衛隊或いは自衛官がどこまで武器使用ができるかという「権限規定」が定められている。だが、前述したように、「領空侵犯措置」だけが「権限規定」がない。このことはあまり知られていないし、このことを知っている政治家も少ない。
 自衛隊法策定当時においては「国家、国民は確立された国際法規(国際慣習法)及び条約の遵守義務があり、条約を締結すれば国際法上の権利、義務が発生し、国内法上の効力が生じる。従って、国内法に規定がないのでできないということはない」という共通認識があったようだ。自衛隊法策定に携わった元陸将補の宮崎弘毅氏は「日本の防衛機構」の中で「現在の政府の法制関係者は、国内法に規定しなければできないとの見解を有しているが、これは間違っている」と述べている。
 だが、安田寛氏は立法者と法解釈の関係について、法解釈は変遷するものであり、最新の解釈が優先することになるとし、策定時の考えがどうあれ、現在は「法律に明示されていないことは何もできない。(中略)日本の防衛法制では、文民統制の見地から、これに一歩を進めて国民の自由及び財産に関係すると否とに拘らず、およそ自衛隊の活動についてはすべて法律の根拠を要するものとした」と述べる。
 だとしたら、対領空侵犯措置に関する「権限規定」が無いことは、何を意味するのか。元裁判所判事の絹笠泰男氏はこれを「立法不作為」と定義し、「武器使用の権限規定がないことから、その職務行為として武器の使用はできない(中略)権限規定がないということは、自衛隊機には領空侵犯措置の任務は付与するが、侵犯機がこれに応じない場合でも、武器を使用してまで領空から退去或いは強制着陸させるべき強制的権限を与えないという国家意思と解さざるを得ない」と述べている。これでは、領空侵犯を未然に防止することも、侵犯された場合の「強制着陸」もさせることはできない。これで本当にいいのだろうか。

政府のダブルスタンダード
 任務は与えるが、手段は与えないので、国際法に基づく領空侵犯措置は実施できなくてもよい。スクランブルは実施するが、領空侵犯をされてもやむを得ないし、強制着陸を実施できなくてもしようがない。それが日本の国家意思だと政府が言うのなら、それはそれでよい。だが、実際はそうではなさそうだ。政府は空自部隊に対して、「断固として領空を守れ」と指示している。現場部隊にとってはダブルスタンダードにも感じられる。
 2016年9月12日、安倍首相は自衛隊高級幹部会同で次のように訓示した。「相次ぐ国籍不明機による領空接近。これが現実であります。極めて厳しい状況に、我が国は直面している。その強い危機感を、私は諸君と共有しています。同時に、私たちは、固い決意も共有しています。我が国の領土、領海、領空は、守り抜く」
 2016年8月11日、稲田防衛大臣は「尖閣諸島を含むわが国固有の領土、領海、領空を断固として守り抜く」と述べている。
 2016年6月29日、萩生田官房副長官は記者会見で次のように述べている。「領土、領海、領空を断固として守るという観点から、引き続き我が国の周辺海空における警戒監視活動を万全にするとともに、国際法、自衛隊法に従い、厳正な対領空侵犯措置に邁進してもらいたい」
 「断固として領空を守れ」と言いながら手段を与えない。これらの指示や訓示が勇ましければ勇ましいほど、現場の隊員にとっては虚しい「掛け声」にしか響かないのは当然である。これはシビリアンコントロールという観点からも極めて問題が大きい。

過去の国会答弁の迷走
 空自がスクランブル体制についた昭和33年頃は、84条の権限規定は必要ないとの考え方が常識であったと宮崎氏は述べている。国会でも、権限規定は無くても国際慣例を基準に行動できるという答弁がなされていた。
 29年4月20日の衆議院内閣委員会で当時の増原次長は次のように答弁している。「着陸させるということも一つの方法、或いは信号その他の方法によっては要域の上空から退去させるのも一つの方法である。これに応じないで領空侵犯を継続するような場合には現在の国際法における通常の慣例その他に従い、場合によっては射撃することもあり得る」
 44年4月17日の通常国会本会議で佐藤総理は次のように答えている。「侵入機に対してはまず警告を与えるのがほぼ慣習法化している。その結果、領空侵犯を悪天候や器材の故障など不可抗力者であることが判明した場合は別にして、侵入機が敵性を持っていると信ずべき十分な理由がある場合は、領空外への退去、指定する地点への着陸等を命ずることができ、侵入機がこれに従わない場合、領空内ではこれを撃墜することもできる」
 この答弁は昭和44年、北朝鮮近海で米空軍偵察機が北朝鮮軍によって撃墜された事件を踏まえてなされたものである。質問した社会党議員は米軍機による領空侵犯を前提に(米国側は公海上空を主張)、次のように質問している。「侵犯した軍用機は、撃墜される、拿捕する、自国内に着陸を命ずる、領空外退去を命ずる等々であります。よもや総理は、偵察機は戦闘作戦目的の航空機でないから、これを直ちに撃墜することは違法である、或いは過剰防衛であるとはおっしゃらないと思いますが、いかがでございましょう」社会党議員が国際法、国際慣習に則って実施する軍事行動を支持するところが面白い。
 佐藤首相の答弁はこの質問に対し、一般的な国際慣例を説明したものであり、必ずしも自衛隊の権限について述べたものではない。だが、増原次長答弁やそれまでの経緯から、自衛隊も同様に武器使用は「国際法における通常の慣例その他」に従って実施すべきと解釈されていたと思われる。
 ところが、48年6月15日の衆議院内閣委員会での久保防衛局長の答弁で政府の解釈は一転する。「武器を使用することは外国と異なり、緊急避難及び正当防衛の場合にしか使用できないことになっている」
 以降、「日本の防衛法制では、文民統制の見地から、これに一歩を進めて国民の自由及び財産に関係すると否とに拘らず、およそ自衛隊の活動についてはすべて法律の根拠を要するものとした」との解釈が定着し、正当防衛、緊急避難を除き、領空侵犯措置の任務遂行のための武器の使用はできないことになっている。
 解釈を元に戻そうという動きも見られた。55年2月9日、衆議院予算委員会で佐々淳行参事官は「内訓にある正当防衛、緊急避難は、危害許容要件であって、武器使用の法的根拠は84条である」と国会で答弁している。
 だがこれに関し絹笠氏は、次のように手厳しく批判している。「隊法が6章の職務規定を受ける形で7章に権限規定を設けているのに、領空侵犯措置についてだけ職務規定を拡大解釈して武器使用権限も含めていると解釈することはあまりにも無理な解釈である。(中略)もしこのような解釈が許されるならば、近代国家の基本原則である法治主義原理が形骸化され、行政専断の専制主義国家に堕落することになろう。このような行政解釈では裁判所を説得できない」
 13年12月6日、小野寺五典防衛大臣も武器使用権限は84条にあるかの如く、次のように答弁している。
 「領空侵犯は、具体的な如何なる措置をとるべきかは、武器の使用を含めて、国際法規及び慣習を踏まえて行われるべきである(中略)高速で飛行する航空機に対してなされるものであり、結果としてほとんど撃墜ということになり得ることから、武器の使用については慎重な配慮が必要であるということが求められております。こうした理由を踏まえて、対領空侵犯措置につきましては、武器の使用やその他用件を明確に規定することなく、着陸させ、または我が国の領域の上空から退去させるための必要な措置として規定するにとどめております」
 だが、この答弁では「裁判所を説得できない」という絹笠氏の主張とは真っ向から衝突し、現場の疑義は解消しない。
 そもそも防衛行動であればともかく、警察活動と規定した領空侵犯措置に対し「慎重な配慮が必要」だから「明確に規定」していないというのは論理矛盾である。これでは、現場の隊員に対し教育もできないし、訓練もできない。「およそ自衛隊の活動についてはすべて法律の根拠を要する」とのポジティブリスト解釈をとる現在、部隊は困るのではないだろうか。
 次のような問題点も生じてくる。「侵入機が敵性を持っていると信ずべき十分な理由がある場合は、領空外への退去、指定する地点への着陸等を命ずることができ、侵入機がこれに従わない場合、領空内ではこれを撃墜することもできる」と佐藤首相は答弁しているが、もし今、この解釈に従って撃墜すれば操縦者が責任を取らされると絹笠氏は指摘する。
 「国内法上領空侵犯措置が付与されている自衛隊機が侵犯機を撃墜したとしても、国内法により武器使用権限が与えられていなければ、同様に刑事上正当防衛と評価されない限り、行政上懲戒処分を受けると共に殺人罪に問われる。(中略)指揮官はその部下の行為について行政上の責任はとり得ても刑事上の責任をとることはできない」
 これでは、たとえ最高指揮官である内閣総理大臣が航空総隊司令官に「撃墜」を命じたとしても、司令官は現場操縦者に「撃墜」を命ずることは躊躇せざるを得ないだろう。自衛隊発足以来「明らかに違法な命令には従ってはならない」と教育されてきた。「使命感の旺盛さの故に、法を無視してはならない」と絹笠氏は諭されるから現場の苦悩は尽きない。
 絹笠氏は「武器使用権限が与えられていないために侵犯機を取り逃がしたり、或いは領域深く侵犯を許したとしても、それは自衛官の責任ではない」と付け加えている。現場にとってはやや救いだが、「断固として領空を守れなかった」ことに国民は納得しないだろう。また法的欠陥に無知な国民は自衛隊を非難するに違いない。

「撃墜」という最後の手段
 誤解を避けるために敢えて述べるが、「撃墜」という武器使用権限が認められたからと言って、領空侵犯したら直ちに撃墜すべきだと筆者は主張しているのではない。「撃墜」という最後の手段が担保されて初めて、領空侵犯を未然に防ぎ、仮に侵犯されたとしても「強制着陸」させることが可能となる。相手操縦者は、「撃墜されるかもしれない」という恐怖心によって初めて、誘導に従い「強制着陸」に応じようとするからだ。
 「抑止力」というのは「能力」と「意志」からなっている。そしてその強い意志を公表することによって初めて有効に機能する。ミサイルや機関砲を装備し、優れた操縦者が操縦する空自戦闘機でも、法的根拠という明確な国家の「意志」がなければ、「抑止力」は機能しない。政府の強い意志なく、領空侵犯を未然に抑止することは難しい。
 また筆者は、「撃墜」という権限を現場に任せるべきと言っているわけでもない。平時における「撃墜」という行為は高度な政治的判断を要し、まさに自衛隊の最高指揮官たる総理大臣のみが下せる決心事項である。
 問題は現行法制上、平時において正当防衛、緊急避難は別として、領空侵犯機を退去させ、または強制着陸を実施させるために武器使用ができないことだ。最高指揮官たる総理大臣でさえ現場に「撃墜」を命ずることはできない。国家の最高指揮官に最後の手段としての「撃墜」と云う選択肢を与えず、最高指揮官の手足を縛った状況にあるのだ。これでは「断固として領空を守る」ことは難しい。だが、これが実態なのである。
 過去、改正の動きがあったことも記しておきたい。昭和63年10月、自民党防衛法制小委員会で改正案を検討し、国会上程寸前までいった。だが、上程直前に実施された参議院選挙で自民党は惨敗し、55年体制下での野党との取引材料に使われ廃案になったという。冷戦終焉目前の時期であり、もはやその必要もないと判断したのかもしれない。改正案は次のとおりである。
 84条の「退去させるための必要な措置」を「退去させその他これを排除するため必要な措置」とし、第7章に次のような権限規定を追加する。「第84条の規定により必要な措置を命ぜられた自衛隊の部隊は、わが国の領域を保全するため、必要な武器を使用することができる」「前項の規定により武器を使用するに際しては、第88条2項の規定を準用する」(参考:第88条2項(防衛出動時の武力行使)「前項の武力行使に際しては、国際の法規及び慣例に拠るべき場合にあってはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならないものとする」)
 この法案が成立していれば、前述の「ダブルスタンダード」はなくなる。現在の尖閣諸島上空の厳しい対領空侵犯環境下でも、現場の悩みは大いに軽減されるはずだ。ただ、この案では昨年の新安保法制と整合がとれるのかという疑問も浮かぶ。いずれにしろ早急な法改正が必要であることに変わりはない。

終わりに
 現行法制上、他国による武力攻撃事態が認定され、防衛出動が下令されるまでは、自衛隊は軍隊ではない。警察権に基づく行動しかとれないまさに「警察予備隊」とも言える。だが、昨今の国際情勢を見るに、対処すべき事案は「犯罪か侵略か」「警察事態か防衛事態か」が不明瞭で、「法執行か自衛権行使か」「武器の使用か、武力行使か」に迷う「グレーゾーン事態」が主流である。法制上の区分は防衛出動前であり「平時」なのである。
 政府は「武力攻撃に至らない侵害に対して、自衛権の行使として武力を行使することは一般国際法上認められている」との見解を示すものの、現行法制上はそうはなっていない。新安保法制でも手は付けられなかった。警察権で手足を縛ったまま自衛隊を投入する「迅速さ」を「運用でカバー」する方針については問題が多いことは既に述べた。
 陸には警察があり、海には海上保安庁がいる。相手が軍を出さない限り、平時の法執行(領域警備)は警察と海保が担当し、軍は出すべきではない。それが可能となるよう、法律を改正し、装備を充実させ、警察、海保の能力向上を追求すべきである。
 問題は空である。空には「航空警察」はない。平時の主権防護は各国とも空軍が担当しており、日本は空自が担当している。また領空は領海と違い、「絶対的、排他的」主権を有する。このため、平時にあっても防衛行動に近い対処行動が国際慣習になっている。この特殊性について、現行法制が時代に適応しておらず、早急な法改正が必要であるというのが本稿の趣旨である。
 平成26年5月に出された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告でも、
 武力攻撃事態に至らないグレーゾーン事態について「各種の事態に応じた均衡のとれた実力の行使も含む切れ目のない対応を可能とする法制度について、国際法上許容される範囲で、その中で充実させていく必要がある」と法整備の必要性を明記している。だが、領空侵犯措置については積み残された。
 現在中国は、力でもって尖閣の実効支配を奪取しようとしている。尖閣諸島の領空が侵犯される日は近いかもしれない。その時、空自はトルコ空軍のように断固として領空を守れるのか。「法律に規定がないから対処できず、領空主権は守れなかった」では国民は誰も納得しまい。そうかといって法律に無いものを国際慣例だからといって対処し、危機を未然に防止したとしても、誉められるどころか「行政上懲戒処分を受け」、場合によっては「殺人罪に問われる」こともあり得る。どちらに転んでも問題が大きい。
 米国の某中国政府系シンクタンクでは「(尖閣諸島領有権)問題解決の為には、危機が必要かもしれない」とまで言っている。明日あるかもしれない主権侵犯を未然にどう防ぎ、どう領域主権を守るかが厳しく問われている。
 空自の戦闘機操縦者は命令があれば、直ちにこれを遂行する能力と意志は持っている。問題は法的根拠という「国家意思」の不在である。現場は勇ましい「掛け声」ではなく、根拠に基づく政治の明確な指示、命令を待っている。まさに真のシビリアンコントロールを待ち続けている。あいまいなまま放置し、いざいう時に自衛官の犠牲的精神に頼るといった政治的不作為は決してあってはならない。早急な法改正が求められる。

(安全保障懇話会機関誌『安全保障を考える』11月号より転載)