澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -188-
事実を述べただけで糾弾される「第2文革」

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 最近、山東建築大学教授の鄧相超(元同大学副学長)がネット上で中国版マイクロブログ(微博)を使い、毛沢東に対し批判めいた文章を掲載した。
 鄧は、1958年からの「大躍進」運動では、3000万人以上の餓死者を出し、66年からの「文化大革命」では、闘争で2000万以上の死者を出したと微博に書いたのである。
 すると、今年(2017年)1月5日、同大学委員会は「鄧相超の言論は誤っている。事は重大だ。影響は大きい」として、鄧の言論を問題視したのであった。
 早速、山東省当局は、鄧相超を省政府参与および省政治協商常務委員から解任した。同時に、当局は大学に圧力をかけて、鄧相超を辞職させようとしている。
 今回、北京大学法学部教授の賀衛方、北京外国语大学副教授の喬木、元華東政法大学副教授であり「人権派弁護士」の張雪忠らが「文革」式の言論弾圧に対し、抗議の声を挙げた。
 どうやら習近平政権は、国内の毛沢東主義者(彼らは「文革」時の紅衛兵を彷彿させる)を使って、鄧相超を徹底的に攻撃しようとしている。
 ここで、習近平政権の足跡をごく簡単に振り返ってみよう(紙幅の関係で「反腐敗運動」については触れない)。
 2013年4月、習近平主席は、政権誕生直後、大学で教えてはいけない「9号文件」(自由・民主といった西欧的価値観や中国共産党の過ち等)を公布した。以来、中国は急速に「左傾化」(日本語と中国語は逆で「右傾化」=「保守化」)していく。
 翌14年6月、中国国務院新聞弁公室が《香港特別行政区での“一国両制”の実践》白書を発表した。中国共産党中央は、香港特別行政区に対する全面的管理権(中央が直接、香港へ行使する権力を含む)を有するとした。国際公約である「一国両制」の完全否定である。
 そして、同年8月末、全国人民代表大会(全人代)常務委員会は、香港の選挙制度へ干渉している。
 2017年の行政長官選挙(初めての1人1票制)において、「泛民主派」の候補が当選すると厄介なので、彼らが出馬できないように選挙制度を変更した(以前は、1200人の指名委員会委員中、150人以上の推薦で立候補が可能だった。それを600人以上の推薦を必要とする、へ変えた)。習近平政権は、世界の潮流に逆らって、香港の民主化を退行させたのである。
 そのため、同年9月、それに抗議する若者を中心として「雨傘革命」が起きた事は記憶に新しい。結局、今年の行政長官選挙は、旧制度(1200人の選挙委員会だけで選出)で行う予定になっている(新制度が香港立法会で否決されたため)。
 また、習近平政権は、翌15年から16年にかけて、中国共産党を誹謗するような本(特に習主席のプライバシー暴露本)を発行している香港銅羅湾書店の店主や店員を香港等から拉致・誘拐し、大陸で裁判を行っている。
 他方、2015年7月、習近平政権は、国内で大規模な人権派弁護士への弾圧を行った。彼らがどうなっているのか、未だ不明である。
 更に、翌16年2月、習近平主席が“党の舌”と言うべきマスメディア(新華社・人民日報・CCTV)に対し、習主席への忠誠を誓わせた。
 これら習政権の一連の政策を見ると、大陸の中国人は“自虐的”民族と言えるかもしれない。
 毛沢東時代、共産党幹部(習近平主席の父親、習仲勲も含まれる)も一般民衆も、相当「文化大革命」で苦しんだはずである。習主席自身、陝西省延安市へ「下放」され、辛酸をなめた。
 それを忘れて、習近平政権は再び「第2文革」(或いは「文化小革命」)を開始した。そして、一部の民衆はその「第2文革」を“熱烈に”支持している観がある。
 中国共産党にしても、2度と毛沢東のような絶対的権力者“皇帝”を産み出さないようにと、毛以後、政治局常務委員による「集団指導性」という政治システムを確立したはずだった。
 ところが、2010年代に入り、また習近平という“皇帝”を産み出した。共産党自体も全く懲りていない。“マゾヒズム”の極みだろう。
 そのため、実際、中国大陸では「中国の夢」どころか、再び「中国の悪夢」が蘇ろうとしている。
 本来ならば、習近平主席は、あと1期(2017年から5年間)務め、2022年に引退するはずである。しかし、習主席は、定年制をやめ、毛沢東型の生涯“皇帝”を目指している。
 目下、中国経済は失速し、景気浮揚もままならない状況である。「中国の悪夢」は、今後も続くのかもしれない。