澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -218-
四川省瀘州市太伏中学いじめ殺害事件

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 どこの国でも程度の差はあれ、おそらく学校内でいじめが存在するだろう。中国とて例外ではない。但し、いじめが高じて殺人となれば、話は別である。
 特に、いじめ殺した側の生徒が「官二代」(官僚の子弟)であり、その事実を中国共産党が揉み消そうとしたら、ゆゆしき問題だろう。
 今年(2017年)3月31日夜、四川省瀘州市瀘県にある太伏中学で、趙鑫(14歳)という中学2年生が、熱で悪夢にうなされ、寄宿舎505号(9人部屋)の5階の窓から飛び降りて“自殺”したと2日後に発表された。
 翌4月1日早朝6時20分頃、寄宿舎脇で趙鑫の遺体が発見された。もし飛び降り自殺ならば、地面付近に血が散乱しているはずである。だが、趙鑫の周辺には血液はなかった。
 “自殺”したとされる生徒の父親(趙姓)は貴州省の工事現場へ行っていた。他方、復縁後、再び離婚した母親(游姓)は四川省瀘州の電機店でアルバイトをしていた。
 別れた両親が共に出稼ぎへ行っていたので、農業を営む祖父母が趙鑫の面倒を見ていたのである。
 母親が息子の遺体と対面した際、趙鑫の手足や体には、全身、青いアザが残っていた。特に、背中は真っ青だった。隣人がそのアザの写真を撮り、それをSNSへアップしている。だが、当局によって大部分の写真が消去された。
 それらの写真を見る限り、趙鑫が同級生の大勢から殴る蹴るなど暴行されてできたアザに間違いなかった。明らかに死因は“自殺”ではなかったのである。
 実は、5人の同級生のうち、3人の生徒が「官二代」だった。1人は雷鑫平鎮長の息子、もう1人は太平鎮派出所の田安軍所長の息子、残りは陳良校長の息子だった。
 彼ら5人が趙鑫をいじめ殺したのである。彼らは趙鑫を殺害してから、趙の死体を窓から投げ捨てたのだろう。
 5人は趙鑫に1万元(約15万円。千元説もある)を3月31日までに持って来させようとした。趙鑫は、両親に電話をかけた。その後、父親が学校の校長(趙鑫をいじめた同級生の親)に電話をしている。他方、祖母が警察(やはり趙鑫をいじめた同級生の親である派出所所長)へ連絡をした。
 不幸にも、趙鑫の父親にしても祖母にしても、絶対、かけてはいけないところへ電話してしまった。そのため、趙鑫は同級生5人に暴力を振るわれ、死亡したと考えられる。
 中国共産党は、3人の「官二代」を庇うため、趙が“自殺”したという話をでっち上げ、事件を処理しようとしたのである。
 四川省瀘州市瀘県公安局は、4月3日午後4時頃、その官方の微博(ウェイボー。SNS)で、社会秩序を乱すとして、“デタラメな噂”を流すのを禁じた。
 だが、それを理不尽だとして、怒った民衆数千人(1万人以上の説もある)が中学へ押しかけ、当局に抗議を行ったのである。
 しかし、それに対し、中国共産党は公安だけでなく、特殊警察部隊や武装警察(人民解放軍説もある)まで出動させ、装甲車で威嚇してデモを鎮圧した。村民4、50人が逮捕されている。
 同月5日、警察は趙鑫の遺体安置所へ100人もの警官を派遣して、その遺体を回収しようとした。遺体をできるだけ早く荼毘に付し、事件を沈静化させようしたのである。
 結局、趙鑫の遺体解剖は、四川省公安庁法医学者が担当し、翌6日12時に開始され、19時30分終了した。瀘州市検察院と被害者の父母、それに、その両親が招いた専門家と弁護士が遺体解剖に立ち会ったという。
 その解剖結果は、趙鑫が生前、ひどい暴力によるかなりの肉体的損傷を受けていたことが判明した。趙の死後、身体に大きな損傷はなかったという。
 因みに、同日、学校の門外には、約千人が集会を開いている。
 いじめた側の親達は、100万元(約1500万円)で、被害者家族と和解を申し出た。しかし、被害者家族はそれを拒絶している。
 その後、殺された趙鑫の両親が、何故か公安に拘束されているという。これは異常としか言いようがあるまい。
 さて、確かに、趙鑫いじめ殺害は理不尽で、あってはならない事件である。しかし問題は、親族や地縁関係者ならともかく、自分とは何の関わり合いがない事件に、何故数千、数万の人が抗議するのだろうか。
 中国では依然、社会正義が貫かれていない。そのため、一般の人々は、普段から共産党の支配に対し、大きな不満を抱えている。だから、何か事件が起こると、多くの人々は付和雷同的にデモに参加するのではないか。