澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -232-
第6世代のエリート、孫政才の失脚

.

政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2017年)7月15日、重慶市党委員会書記(重慶市トップ)の孫政才が再任されない(事実上の解任)という意外なニュースが流れた。
 同月13日・14日、北京では、全国金融工作会議が開催されたが、そこに孫政才の姿はなかった。また同月14日、重慶市官僚会議にも孫は姿を見せなかった。中央組織部長の趙楽際が重慶市の人事交代を発表した際、陳敏爾(新任の同省党委員会書記)と重慶市長の張国清しかいなかったのである。
 周知のように、孫政才は、将来を嘱望されていた第6世代の1人だった。もう1人は「共青団」系の広東省党委員会書記(広東省トップ)胡春華である。2012年の中国共産党第18回全国代表大会(「18大」)では、政治局委員25人中(政治局常務委員を含む)、孫政才と胡春華だけが60年代生まれだった。
 従って、孫政才と胡春華が、今秋開催される次期中国共産党第19回全国代表大会(「19大」)で政治局常務委員になるのではないかと見られていた。
 今年2月、中央紀律検査委員会第11巡視チーム(徐令義がリーダー)が重慶市を訪れた。同市の政治状況を把握するためだった。
 ところが、同チームは、重慶市において、既に失脚した薄熙来(無期懲役)と王立軍(懲役15年)の影響力を完全に排除できず、腐敗問題が突出しているとの結論を出したのである。
 一説には、孫政才の妻、胡穎は、失脚した令計劃の妻、谷麗萍と親しかったという。胡穎と谷麗萍は民生銀行をめぐり、「夫人クラブ」を作っていた。
 同銀行は彼女らに架空の給料を支払っていた疑惑が持ち上がったのである。
 孫政才は、曾慶紅(元国家副主席)、賈慶林(前政治協商会議主席)、劉淇(元北京市党委員会書記)、温家宝(前首相)に近い人物と見做されていた。孫政才は、特定の派閥には属していなかったとも言えよう。
 既に孫政才が重大な規律違反で中央紀律検査委員会に調べられている可能性を排除できない(もしかすると、最近、「反腐敗運動」の主役、王岐山・中央紀律検査委員会書記が暫く公の場に登場しなかったのは、孫を慎重に調べるためだったとも考えられる)。
 孫政才の後任には、習近平人脈(「之江新軍」=習主席が福建省と浙江省で働いていた時の部下達)の陳敏爾(貴州省党委員会書記)が充てられている。
 陳は、習近平主席が浙江省党委員会書記(江蘇省トップ)だった頃、同省委員会の喧伝部長をしていた。
 陳敏爾は1960年生まれで、今年57歳となる。60年以降生まれの全国党委員会書記(各省市トップ)は、陳敏爾を含め、胡春華(広東省党委員会書記)、張慶偉(黒竜江省党委員会書記)の3人である。ひょっとすると、陳は孫政才に代わる人材となり得るかも知れない。
 さて、「19大」直前、 孫政才が失脚した。これは、2012年、「18大」前の春、薄熙来が失脚したパターンと酷似している。
 同年2月、薄熙来の片腕と目されていた王立軍が、突如、重慶から成都へ逃亡した。薄熙来が王を殺害しようと考えていると王は感じていた。そのため、王立軍は米国の駐成都領事館へ逃げ込んだのである。薄熙来は、大挙して王立軍を追った。しかし、王を捕まえる事が出来なかったのである。
 他方、胡錦濤政権は、王立軍が米領事館へ逃げ込んだ事実を知り、王の身柄を確保しようとした。結局、王立軍は米領事館から1日で追い出され、(重慶市ではなく)北京へ連れて行かれたのである。
 この事件を契機に、2011年11月、薄熙来の妻、谷開来による英国人ニール・ヘイウッド(表面上は、息子、薄瓜瓜の家庭教師。実際は英国MI6に情報を提供していた)殺害事件が表沙汰になった。
 翌12年3月、薄熙来は重慶市委員会書記を解任され、その後、裁判にかけられた。
 薄熙来には普通の有期刑が予想されていたが、公判で抵抗したため無期懲役となっている。他方、薄熙来の妻、谷開来は(故意)殺人罪に問われ、執行猶予2年付死刑判決が出た。だが、2年間、谷開来はしっかり刑に服したので無期懲役に減刑されている。