在韓米軍の撤退はベトナム・モデルの南北統一への道

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 18日、ホワイトハウスのバノン首席戦略官が解任された。彼が先週行った米メディア(ニュース・サイトの「アメリカン・プロスペクト」)とのインタビューで北朝鮮情勢に触れ、軍事的解決のオプションを完全否定しただけでなく、在韓米軍の撤退の可能性にまで言及したことが、(トランプ政権の公式見解と相入れないとの理由で)解任の一因になったと伝えられる。金正恩が核戦争も辞さないという究極の瀬戸際外交・恫喝戦略を展開している中で、「米国はアジア安保から手を引く」と言わんばかりの発言は米国の同盟国である日本や韓国の対米不信を増幅させるだけである。米国は北朝鮮によるICBMの開発さえ阻止できれば後はどうでもよいとの孤立主義・一国主義的主張は東アジアにおける安全保障状況を根っこから激変させることになる。先月、WSJ紙とのインタビューでロバート・ゲイツ元国防長官が示した「現状維持による平和条約締結構想」(ICBMはダメだが中距離核ミサイルまでなら認め、その上で北朝鮮の現体制を容認するという考え)などは(本気で提案しているなら)全く論外である。
 翻って、先月、北朝鮮の金正恩が2度にわたってICBMの実験を繰り返したことの意味を考えてみたい。1回目が米国独立記念日である4日、2回目が朝鮮戦争休戦協定署名日の翌28日である。米国本土を核攻撃出来る軍事能力を保持することに執着し、これをことさらに誇示せんとする彼の狙いは何か。今回のICBM実験に関わる日にちの選び方からしてもその目的は明らかであろう。それは核保有国としての認知や北朝鮮の体制保障に止まらない。金正恩の究極の狙いは、米国を和平交渉のテーブルに引き出し、ICBMの開発断念を唯一の譲歩材料として中距離核やミサイルの保持を米国に認めさせた上で、協定締結と同時に韓国から米軍を撤退させ、しかる後に核の脅威をもって北主導の朝鮮半島統一を実現することであるに違いない。今や軍事力(核)しか頼るもののない北朝鮮にとって、これが残された唯一の「希望的シナリオ」である。

 実は、このシナリオは1973年のパリ和平協定締結の後、わずか2年で南北を統一した「北ベトナム」(当時)の戦略そのものである。米国代表のキッシンジャーとパリで交渉した北ベトナムのレ・ドク・トは南北武力統一派の中心人物の一人であったが、交渉中はそうした立場をひた隠しにし、停戦そして選挙による南ベトナム民族和解政府の樹立を約束することで、南からの米軍完全撤退を勝ちとった。同年、米軍は約束通り完全撤退したが、北ベトナムは南ベトナム政府(チュー政権)による停戦違反を口実に、南を一気に武力制圧した。北朝鮮はベトナム戦争期間中、空軍力をもって北ベトナムを支援しており、最終的に北主導で南北統一を実現したベトナムの事例から多くを学んだに違いない。

 しかし、このベトナム・モデルは現在の朝鮮半島には(特に以下のような理由で)全く当てはまらない
 ➀1969年に死去するまで北ベトナムを指導したホーチミン国家主席は穏健な民族主義者のイメージを南ベトナムの(及び世界の)人々の間に扶植し、北への警戒感を和らげていた。これに対し、金正恩のイメージは残虐な独裁者そのものであり、真逆である。
 ➁当時の南ベトナムではゴ・ディン・ジェムからグエン・ヴァン・チューに至るまで抑圧的で腐敗した専制政治が続き、世論の離反を招いており、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)他の反政府闘争が激化していた。民主化した現在の韓国にはこうした状況はない。
 ➂協定交渉当時、国際的な反戦・平和運動の広がりによって反米世論が燃え上がり、米国内における厭戦気分も高揚して、ベトナムからの米軍撤退は政治的に不可避の状況にあった。そして、米軍撤退後も南ベトナムを支援しようという国際世論は全く生まれなかった。他方、現在の国際世論は北朝鮮批判一色である。
 ➃そもそもパリ和平協定交渉(1971-72年)は戦争自体が熾烈を極める(米軍側が劣勢になる)中で、これと併行して行われたものであり、長期休戦中の今の朝鮮半島情勢と異なる。ICBMをグアム近海に向けて発射するとの威嚇程度で「米国劣勢」の状況が生まれる訳ではない。

 勿論、この他にもベトナム・モデルが現在の朝鮮半島に当てはまらない理由は多々ある。客観的に見れば北朝鮮の「希望的シナリオ」が実現する可能性は皆無であるが、金正恩がどう思っているかは別物である。とにかく、金正恩に同モデルが有効だと思い込ませるのは甚だ危険である。その意味で、冒頭に触れたバノン発言やゲイツ元国防長官の構想なるものは最悪のタイミングで最悪の見解が示されたと言わざるを得ない。北朝鮮の主張を受け入れれば(米国にとって)一時の平和は実現するものの、いずれ武力による南北統一の試みという深刻な脅威、大規模戦争を招く道につながる。従って、現在の状況下で、米国が水面下の接触・対話という次元を超えて「和平交渉」に応じるのは適切な外交選択ではない。米国の利己的思考への懸念が深まれば、我が国や韓国との同盟関係の根幹を揺るがしかねない。パリ和平協定交渉を通じて北ベトナムが(種々の甘言を弄して)米国と南ベトナム政府(チュー政権)の分断に成功したという過去から何も学ばないことになる。金正恩の高笑いは聞きたくない。