澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -304-
元軍人の待遇改善要求の対応に苦慮する中国

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2018年)6月4日は、「天安門事件」29周年だった。その前後に退役軍人達が地方政府に対し、待遇改善を要求した。微妙な時期だけに、北京政府は神経を尖らせている。
 第1に、5月下旬、河南省漯河市の元軍人の家族(翟洪蓮)が、転業した軍人の扱いが不公平だとして、北京の「退役軍人事務部」(今年4月16日に正式発足)に請願を行おうとした。だが、翟洪蓮は漯河市当局に請願を阻止され、拘束された。これに対し数十人の元軍人が同市に抗議したが、一斉に逮捕されている。その後、同地では、退役軍人数千人によるデモが連日起きた。
 第2に、6月12日、四川省徳陽市中江県で、元軍人の戦争障害者、李峰が待遇改善を訴えたところ、警察に殴打された。同14日、李峰に同情した退役軍人らが抗議デモを行った。
 第3に、同月15日、遼寧省遼陽県でも元軍人の妻が殴打された。そのため、内モンゴルを含め、東北3省の一部退役軍人が応援に急行している。
 第4に、同19日、江蘇省鎮江市政府前で元軍人の待遇改善デモが起きた。2日後の21日、当局が雇った「黒社会」の人間が退役軍人を殴打し、流血騒ぎになった。早速、中国共産党は、鎮江市の通信網を遮断して、外部に騒乱情報が漏れないようにしている。
 更に2日後の23日未明、鎮江市政府と公安は、9000人以上の特別警察(SWAT)や警官、パトロール隊等を現地に派遣し、元軍人2000~3000人の寝込みを襲った。そのため、退役軍人らに多数の負傷者が出た。翌24日には、中国共産党は、江蘇省鎮江市の現地へ人民解放軍の戦車まで送り込んでいる。
 同党は、旧態依然とした“力による支配”を続けている。ただ、以上のデモは、一般民衆のそれとは明らかに異なるだろう。まず、約5700万人の退役軍人らは、普通の人達よりも、身体を鍛えている。また、銃やその他の殺傷兵器を扱う事ができる。仮に、一旦、彼らがそれらの兵器を手に入れれば、政府側と内戦が起きても不思議ではない。
 そして、彼らには一般の人々にないネットワークがある。いざという際には、他省市の退役軍人もデモに加勢するだろう。
 実際、北京政府はそれを恐れて、各地方からの鎮江市行き電車をストップさせ、他の地方の元軍人らを同市への移動を厳しく制限した。
 ところで、中国では、退役軍人を「老兵」と書くので、日本人ならば、一見、高齢の退役軍人達を想像してしまう。だが、必ずしもそうではない。現役バリバリの世代さえ、習近平主席の実施した軍縮小のため“リストラ”の憂き目に遭い、退役を余儀なくされている。だから、元軍人らは、今の生活が苦しいのである。
 けれども、目下、中国は景気が悪い上、中央政府が巨額の赤字を抱えている。約50%の個人負債を除く中央政府・地方政府・国有企業の負債合計は、すでにGDP全体の300%という推計もある。
 このように、中央政府の財政状況では、彼ら退役軍人達への待遇改善は極めて難しい。
 2016年10月、北京の中央軍事委員会の建物を退役軍人ら1万人以上がぐるりと取り囲んだ事がある。彼らは、同年12月にも、北京の中央紀律検査委員会の建物も取り囲んだ。当時、習近平政権は肝を冷やしただろう。幸い、その時、特に大きな混乱はなかった。
 従って、今度の状況は異常とも言える。(中央政府ではなく)地方政府に対する抗議期間が長く、かつ、いくつかの地方で散発的に起きている。
 おそらく、今後も退役軍人が各地で待遇改善を請願するだろう。だが、現時点では、習政権は、それに対処する有効な手段を持っていない。従って、北京政府は、元軍人を弾圧するしか術がないのではないか。
 最後に、現役教師の賃上げ要求の動きも紹介しておこう。
 今年5月27日、安徽省六安市で、40名あまりの教師が市政府に賃上げや一時的報奨金を要求して請願を行った(教師の給与は公務員と比べ、著しく低い)。ところが、公共秩序を著しく乱したという事で、教師らは警察に殴打されている。翌6月16日、今度は同省宿松県の教師約300名が、政府庁舎ビルに静かに座って賃上げや公務員と同じ年1回のボーナスを求めている。その前日、宿松県長の王趙春が教師らに一時的奨励金を出すので、その代わり教師らに賃上げ等の請願を行わないようにと指示を出したばかりだった。
 現在、安徽省だけではなく、貴州省、湖南省、黒竜江省等でも一部の教師が賃上げを求め、請願を行う動きがある。