そんな知識レベルで大メディアと言えますか?
~北朝鮮の核廃棄はあり得ない、安全保障は長期的視点で~

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政策提言委員・元航空支援集団司令官 織田邦男

 7月12日、某新聞の電子版に次のような見出しで記事が掲載された。「ミサイル防衛『矛盾』なぜ 警戒縮小、システムは配備拡大 北朝鮮脅威遠のき 背景に米中2大国」
 中身を読んで、安全保障に対する理解度の低さに今更ながら驚いた。テレビのワイドショーならまだしも、日本を代表する有力紙までがこの程度なのかとため息が出る。

 記事には「北朝鮮のミサイルに対しては警戒態勢を縮小し、その一方で新たなミサイル迎撃システムを導入する。北朝鮮の非核化を合意した米朝首脳会談が終わった後、日本政府が矛盾するかのような対応をしている」とある。簡単に言うと米朝首脳会談で非核化が合意され、政府はミサイル警戒態勢を縮小したのだから、新たに導入する陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」は不要ではないかという趣旨だ。

 テレビの娯楽番組で軍事的知識のないお笑いタレントが呟くならまだいい。だが電子版とはいえ、日本では一応クオリティー・ペーパーと言われている有力紙である。「警戒態勢の縮小」という短期的な事象と「情勢見通しと防衛力整備」という長期的な事柄を同じ土俵に載せて批判する「矛盾」に気が付いていないとしたら、程度は相当低い。

 6月22日、小野寺五典防衛大臣は「イージス・アショア」を配備する候補地の山口、秋田両県を訪ね、「北朝鮮の脅威は変わっていない」と必要性を述べた。一方、同日に菅義偉内閣官房長官が記者会見で北朝鮮の弾道ミサイル発射に備えた住民の避難訓練を「当面は中止する」と発表した。このことが矛盾するというわけだ。つまりミサイルに対する避難訓練が中止されるような情勢なのだから、イージス・アショアはもう不要だと主張する。

 配備候補地がある山口県の村岡嗣政知事も「情勢は変わってきている」と述べ、秋田県の佐竹敬久知事は「住民を軽視している」と配備に疑問を呈したとし、続けて「『訓練中止』と『脅威は変わらない』との説明は、相反してみえる」と記事は述べる。

 6月12日の米朝首脳会談以降、米朝実務者の交渉が継続されている間、ミサイル発射の蓋然性が極めて低くなったのは確かである。従ってイージス艦やPAC3によるミサイル警戒態勢が緩和された。だが、このことと将来に備える防衛力整備とは別次元の話である。

 政府は今年度予算でイージス・アショアの導入を決めた。だが、実戦配備になるのは、今日、明日ではない。最短で見積もっても5~6年先である。契約交渉が終わり、各種覚書等が締結され、製造が始まり、装備が実際に基地に搬入されるまで4~5年かかる。自衛隊がそれを受領して、運用試験など各種試験を終えるのに更に約1年がかかる。その間、同時並行的に隊員の教育訓練が米国や国内で実施される。その後、配備完了した装備でもって実地に急速錬成を実施し、不具合を是正するのに更に時間がかかる。今年度導入が決定されても、現実の迎撃能力を発揮できるようになるまで最短でも5~6年の歳月が必要なのだ。

 では、5~6年先の北朝鮮情勢を正しく見通せるのだろうか。その時にはイージス・アショアが不要な情勢だと誰が現時点で言い切れるのか。今後の米朝交渉の結果、更に情勢は好転すると誰が保証できるのだろう。今、イージス・アショア導入を中止したとして、仮に再び状況が緊迫した場合、その時点で導入を再決定しても対応はもう間に合わない。金正恩朝鮮労働党委員長の意図は一夜にして変わりうるが、防衛力整備には最低でも約5年はかかるという基本的知識が欠けていると言わざるを得ない。

 この記事では、「短期的な警戒緩和と中長期の対応は別、ということだ」と一応述べている。しかしながら続けて「それなら米朝協議の行方を見てから中長期の方針を決めてもいいはず」と述べる。無責任に過ぎないだろうか。繰り返すが、米朝協議の行方は一夜にして怪しくなりうるが、装備の実戦配備には5~6年かかるのだ。

 米朝首脳会談が終わったが、現時点では状況は何にも変わっていない。「非核化」は全く進んでいないし、見通しすらたっていない。北朝鮮が日本を射程に収めるミサイルを数百発保有している現状に変化はないし、核弾頭を約60発(米国防省情報局DIA情報)保有しているという状況が変わったという情報もない。

 これまで核、ミサイルに対する懲罰的抑止を米国の拡大抑止に依存してきた。独立国として実施すべき拒否的抑止については、イージス艦とPAC3の二層によるミサイル防衛体制を構築してきた。ミサイル防衛体制の核となるイージス艦については、隻数も限られ、常時日本海に張り付けておくことは極めて人的、物的負担が大きい。このため、早期改善が喫緊の課題であった。この解決策としてイージス・アショア導入があるのであり、この必要性については、今でも何ら変わりはない。

 米朝首脳会談後の「非核化」については、交渉が緒に就いたばかりであり、その成否について全く言える段階にはない。こういう状況にあって、なぜ「警戒縮小」と「システムは配備拡大」が「矛盾」と言えるのだろう。むしろ「情勢は変わってきている」と能天気に断定し「住民を軽視している」と述べる両県知事に対し、少しでも防衛力整備に識見があれば、これをたしなめる記事を書くのがクオリティー・ペーパーなのではないか。

 そもそも北朝鮮は核を廃棄するのだろうか。筆者は金正恩委員長が核を全廃することはないとみている。今、北朝鮮の核ミサイルに対する日本を覆う雰囲気は楽天的過ぎる。

 核は金王朝の「体制保証」には不可欠のツールである。北朝鮮は1960年代から、金王朝三代にわたり文字通り国家総力を挙げて核とミサイルの開発にあたってきた。膨大な資源を投入し、数万人以上といわれる餓死者を出しながらも開発を継続してきた核兵器は、北朝鮮では「宝剣」と呼ばれている。

 他方、核とミサイル開発に国防予算の大半を費やした結果、通常兵器の、旧式化、陳腐化は著しく、もはや現代戦を戦える能力はない。注目すべきは約20万人といわれる精鋭な特殊部隊くらいだが、これとて制空権のないところで現代戦は戦えない。せいぜいゲリラ戦くらいが関の山だ。

 現在の通常戦力だけでは北朝鮮は守れない。核がなければ、謂わば「非武装」に近い状態であり、金王朝体制を守る術はない。恐怖政治の独裁者がまさか「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」自分の安全保障を確保しようと考えるわけはないだろう。2016年夏に亡命した元駐英北朝鮮公使太永浩は「1兆ドル、10兆ドルを与えると言っても北朝鮮は核兵器を放棄しない」と述べている。

 北朝鮮の核、ミサイルが金王朝体制の存続と不可分である以上、いくら米国が「安全の保障」を約束したところで、核を削減することはあっても、全廃することはないに違いない。ましてトランプ大統領は「イラクの核合意」や「パリ協定」を反故にした張本人である。彼の言葉を真に受けるほど、金正恩はナイーブでなはい。しかも2年数か月後には別の人物が大統領かもしれない。「合意」など大統領が変われば紙屑同然になると思っていても不思議ではない。

 今後北朝鮮は、核とミサイルの実験をしないことは受け入れるかもしれない。だが「非核化」を装いつつ、核兵器、弾道ミサイルの一定数の隠匿を図るに違いない。米国が主張する「完全かつ検証可能で不可逆」というCVIDには盲点があり、隠匿が可能なのだ。

 CVIDは北朝鮮の正直な申告が前提である。意図的な申告漏れを防ぎ「完全な廃棄」を達成するには、米情報機関の独自情報にもとづく特別査察が不可欠である。問題は今の米国にはこの能力が極めて限定的であることだ。

 日本ではメディアを含め、米国の情報能力を過大に評価し過ぎている。紙幅の関係上、要点にとどめるが、冷戦後の情報機能の大幅縮減と偵察衛星能力の過大依存によって、北朝鮮に対する米国のHUMINT(Human Intelligence)能力は皆無に近い。

 CVIDには、「意図的な申告漏れ」を暴くためのHUMINT能力は不可欠である。リビアでCVIDが成功したのは英国MI-6のHUMINT能力に負うところ大だった。だが、北朝鮮においては、米国はその能力をほとんど有しない。このため、CVIDには必ず抜けが出てくる。これを金正恩は熟知しており、この盲点を突こうとしているのだ。

 今後、盲点を残したまま「非核化」作業が進み、米朝が「非核化完了宣言」をする時が来るかもしれない。そして平和条約を結んだ後、しばらくたってから核保有を仄めかし、イスラエルのような形で事実上核保有国として認めさせる。こういうシナリオを金正恩は描いているのではないだろうか。

 核兵器は数発もあれば、旧式化した通常戦力を補って十分に抑止力たり得る。亡命元駐英公使の太永浩氏も「(北朝鮮は)核放棄ではなく核軍縮に向かっている」と指摘しているが、「金王朝の体制保障」という至上命題のためには核は不可欠なのである。

 安全保障に「想定外」はあってはならない。日本の安全保障を考える上では、決して北朝鮮は核を削減はしても、核全廃はしないと見ておく必要がある。こう考えるとき、米朝首脳会談が終わったからイージス・アショアの導入は一時中止すべきだという論調は如何にも能天気、非常識、かつ無責任ですらある。

 また記事では「納得しにくい説明になるのはなぜか。別の理由があるからだ」と述べ、「トランプ米大統領は巨額の対日貿易赤字の解消のため、日本に防衛装備品の購入を迫っている」「イージス・アショアはその目玉」と主張する。こういう面があることを筆者は否定しない。だが「情勢認識と防衛力整備」に関する認識に根本的な誤りがあるので、「牽強付会」あるいは「勘繰り」との誹りは免れない。

 更に記事は「軍備増強を進める中国の存在」があると続ける。「イージス・アショア導入を決めた際、小野寺氏はイージス・アショアについて『巡航ミサイルにも十分な能力を発揮する可能性がある』と語った。日本を脅かす巡航ミサイルの保有国は中国以外にない」と、さも特別なことが隠されているかのように書く。

 10年先を見通し、長期的視点にたって実施しなければいけない防衛力整備にあって、「対中国が念頭にある」のは当然である。そもそも装備を導入するにあたって、単一の目的に限定して導入することはほとんどない。できる限り情勢の変化にも柔軟に対応できるよう考慮するのは防衛力整備の「イロハ」である。

 記事はまた「イージス・アショアの購入費は2基で2000億円規模、レーダーなどを含めると倍以上かかる」とセンセーショナルに書きたてる。だが、専守防衛を国是とする日本にとって、拒否的抑止能力を確保する上で他に手段がなければ、少々高くても導入するしかない。

 また「2000億円」が荒唐無稽な額なのかどうかは、全体の防衛力整備から判断しなければならない。過去の防衛力整備と比較すれば、決してそうでないことは容易に分かるはずだ。それを「日本の財政は厳しい。巨額支出をどう説明し、対中防衛をどう整備していくか。北朝鮮の非核化が進んでも悩ましい課題になる」と結ぶ。まるで55年体制時によくあった「為にする」記事のようだ。単なる防衛力整備に関する見識不足だけなのかもしれないが。

 防衛力は国民の理解なくして整備できない。そのためには国民に正確な情報を伝える必要がある。その意味でメディアの役割は極めて大きい。安全保障や軍事に関しては、専門家以外はなかなか分かりにくいものだ。メディアにあっては、社会の木鐸としての重要性を自覚し、「為にする」記事ではなく、国民に正確な知識が普及するような記事を書いてもらいたいものだ。