澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -327-
台湾「ピユマ号」脱線転覆事故

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2018年)10月21日夕刻、台湾で列車脱線転覆事故が発生した。死者18人、負傷者187人の大参事となっている。
 (交通部)台湾鉄路管理局が運行する「ピユマ号」(Puyuma Express 6432)は、午後3時9分、樹林駅(新北市)を出発し、終点の台東駅(台東県)へ向かった。
 「ピユマ号」(乗客366人)が、午後4時50分頃、宜蘭県「新馬」駅にさしかかった時に事故は起きた。
 『産経新聞』(デジタル版)によれば、事故当夜、台湾鉄路管理局が「事故直前に運転士が動力の異常を通報していた」と明らかにしている。また、運転士が慌てて何度もブレーキをかけたふしがある。
 半径300メートルのカーブで、列車のスピードが140キロ前後も出ていたという。ある乗客はカーブ直前、列車のスピードが上がったと証言している(もしかしたら、遠心力でスピードが増した可能性も排除できない)。そのため、車輌が浮き上がり、客車8輌編成のうち5輌が転覆している。
 一説には、運転士が(10分程度)運行が遅れているので、焦ってATP(Automatic Train Protection=日本の自動列車制御装置<ATC:Automatic Train Control>に相当)を故意に外し、スピードを上げたのではないかと疑われている。だが、現時点では定かではない。
 運転士も負傷し、病院へ運ばれた。当局は、運転士の怪我の回復を待って、詳しい事故の原因を聴く方針である。
 さて、2011年、台湾鉄道は日本車輛と住友商事から「TEMU2000型」136輌の購入を決定した。車輌は2012~14年の間に、順次、台湾鉄道へ引き渡されている。2013年、台湾鉄道は車両に「ピユマ号」と名前をつけて運営を開始したのである(更に、2014年末、日本車輌と住友商事は「TEMU2000系統」16輌を受注した)。
 実は、この列車には、台東県卑南中学の教師・生徒24人が乗っていた。そして、2人の教師、3人の生徒が亡くなっている。
 彼らは「台湾韓国交流団」で、韓国から台湾に戻り、その帰宅途中で事故に遭遇した。
 その中に、王羽飛という「台東の小さな巨砲」と呼ばれる強打者がいた。
 昨年のTOTO杯(少年野球)では、王は2度の満塁ホームランを打っている。元々、フィールド競技をやっていたが、野球に興味を持ったという。未来のスター候補である。
 王羽飛はこの事故で、肺に重傷を負った。一時は危篤状態だったが、事故翌日、王は意識を回復して、看病していた姉の手を握りしめている。ただ、今のところ容態が安定しているが、楽観はできないという。
 今度の事故は、1981年に起きた台湾鉄道事故以来の惨事である。同年3月、台湾鉄道の自強号(「EMU100」)は、縦貫線の新竹駅から竹北駅の間にある頭前溪橋付近で、砂石車と衝突、脱線転覆した。30人が死亡し、130人が重軽傷を負った。
 しかし、前回の事故と今回のそれは、事故原因が全く異なるだろう。前者は、車が踏切へ突入したために起きた事故である。
 仮に、運転士がダイヤの乱れを恐れてスピードを上げ、カーブで脱線事故を起こしたとするならば、2005年4月、我が国で起きた「JR福知山線脱線事故」を想起させる。
 事故は、福知山線(JR宝塚線)の塚口駅と尼崎駅間で起きた。運転士・乗客合わせて107名が死亡、562名が負傷している。今回の台湾での事故と同様「半径300メートルの右カーブ」で事故が発生した。
 先頭の2両が、線路脇のマンション「エフュージョン尼崎」(2002年竣工)に激突した(その後、同マンションは取り壊され、慰霊施設として整備されている)。
 航空・鉄道事故調査委員会は、事故原因について「脱線した列車がブレーキをかける操作の遅れにより、半径304mの右カーブに時速約116kmで進入し、1両目が外へ転倒するように脱線し、続いて後続車両も脱線した」と結論付けている。
 「福知山線事故」は、JR発足後では、1991年5月の「信楽高原鐵道列車衝突事故」(死者42名、負傷者614名)を上回る死傷者を出した。死者数だけで言えば、同事故は、戦後の(1)「八高線列車脱線転覆事故」(184名)、(2)「鶴見事故」(161名)、(3)「三河島事故」(160名)に続いて4番目となっている。