澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -366-
識者の見識が問われる新元号

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2019年)4月1日午前11時40分過ぎ、菅義偉官房長官から新元号が発表された(来月の新天皇即位に伴い、平成から新元号へ変わるため)。それは何と「令和」だった。日本最古の和歌集『万葉集』(高貴な人達だけでなく下々の民に至るまで、和歌が収められている)から初めて採用したという。
 だが、中国語の分かる人間ならば、誰しも違和感を覚えただろう。
 識者らが、今度の新元号を、敢えて中国の古典から採らずに、『万葉集』から採った事には異論はない。
 首相官邸HPを見ると、次のように書かれている。
 これは『万葉集』にある「初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」との文言から引用したという。
 そして、安倍晋三首相は「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、『令和』に決定」したと説明している。
 しかし、645年の「大化」以来、248番目の新元号(「令月<陰暦の2月>」の「令」と「風和らぎ」の「和」から創作された)が、少なくても漢字で構成されている限り、その表意文字の“呪縛”から逃れられるはずがない。
 中国語のできる人ならば、「令和」が“通音”(音が同じ、または近い)で「零和」すなわち「ゼロサム」の意味だとすぐに気付くだろう。
 「ゼロサム」では、誰かが得をしたら、誰かが損をする。お互いが繁栄する「ウィン・ウィン」の関係ではない。
 他方、普通、中国語で「令和」と言えば、「和を命じる」という意味となる。
 お上が「仲良くせよと命じる」という意味にしか取れない。
 我が国では、学校等でイジメが流行り、自殺者さえ出る始末である。だから「皆、仲良くしなさい」という意味に取れるだろう。
 まさか、元号を選んだ識者らは、そんな狭い意味で、新元号をつけたのではあるまい。おそらく、彼らは日本国内の平和はもとより、世界平和も念じてつけた新元号だと推測できる。
 思えば、西暦604年、「聖徳太子」(厩戸皇子)が制定したという「17条憲法」の第1条には、「和をもって貴しとなす」とある。
 これは、「何事も仲良くやり、いさかいを起こさないのが良い。人々が調和して生きて行く事が重要である」と諭しているのだろう。この精神(考え方)は、1400年以上もの間、日本人の心の中に刻まれて来たのかもしれない。
 休話閑題。原則、元号は、平和や繁栄等を“祈念”してつけられているのではないか。少なくとも、それが我々にとって馴染み深い、明治以降の伝統ではなかったのだろうか。
 以下、明治神宮の解説を参照したい。
 第1に、元号である「明治」の出典は『易経』の中に「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」という言葉の「明」と「治」をとって名付けられたという。
 第2に「大正」は『易経』から採られた。「大亨は以って正天の道なり」(天が民の言葉を嘉納し、政<まつりごと>が正しく行われる)の「大」と「正」を組み合わせた。
 第3に、「昭和」は『書経』からで、「百姓昭明、協和万邦」(国民の平和と世界の共存繁栄を願う)の「昭」と「和」で構成されている。
 第4に、「平成」は『史記』と『書経』の「内平かに外成る」「地平かに天成る」(内外、天地とも平和が達成される)で「平」と「成」から作られた。
 ところが、今般の新元号は、既述の如く、中国語では「和を命ずる」の意である。近現代では、極めて異質な元号であり、常識では考えにくい。識者の見識が問われる所以である。
 結局、識者らの中に、誰も中国語の分かる人がいなかった公算が大きい。
 仮に、日本(時の首相)が「平和を命じ」れば、国内平和はある程度、維持できるかもしれない。だが、日本が「平和を命じ」たからと言って、世界平和は保たれるのか。残念ながら、それは不可能だろう。