澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -374-
経済論理では説明できない「米中新冷戦」

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2019年)5月10日、米トランプ政権は、2000億米ドル(約22兆円)相当の中国製品に、今まで10%だった関税を25%まで引き上げた。更に、米国は3000億米ドル(約33兆円)相当の中国製品(3805品目)に対し、同じく25%の関税を課す構えである。
 一方、習近平政権は、来月6月1日から、600億米ドル(約6.6兆円)相当の米国製品に対し、5%から最大25%の報復関税を課すという。
 米中が関税をかけ合えば、当然、お互い経済的に不利益を蒙るだろう。エコノミスト達は、世界経済への悪影響という観点から、両国の関税かけ合い合戦に警鐘を鳴らしている。
 確かに、それ自体は間違いではない。だが、多くのエコノミスト達の分析は、そこまでである。エコノミストにありがちな「リベラリズム」(話し合いで問題が解決できると考える傾向)の発想では、今度の「米中貿易摩擦」は経済合理性に欠き、説明できないだろう。
 だが、国際関係や安全保障の「リアリズム」(国家間の紛争・戦争は不可避と考える傾向)の立場からすれば、この「米中貿易摩擦」は理解しやすいのではないか。
 今回、米中間で実弾が飛ぶ「熱戦」にはなりにくい。けれども、事実上、すでに「米中新冷戦」状態に入ったと考えられる。
 元来、米国側が対中入超で、中国側が対米出超なので、両者が互いに関税をかけ合えば、4倍以上も“弾の多い”前者が圧倒的に有利だった。そこで、ワシントンは北京に対し、主に3つの要求を突き付けた(一部は中国に“構造改革”を求めている)。
 第1に、中国による米国の知的財産権盗取の停止。
 具体的には、ファーウェイ(華為技術)やZTE(中興通訊)が米国の知的財産権を侵害しているという。「中国製造2025」で、北京は、先端技術分野(5G、AI、ロボット、宇宙等)で米国を凌駕しようとしている。だが、ワシントンとしては、中国がかかる分野で覇権を握るのを是非とも阻止したいだろう。
 第2に、中国共産党による国有企業への補助金停止。
 中国経済が右肩下がりの中、仮に中国の輸出が止まったら、同国経済は、瀕死の状態となる。同時に、国有企業中、「ゾンビ企業」が約2000社存在するという。この整理が難しい。
 本来ならば、「ゾンビ企業」は整理、倒産させるのが望ましい。しかし、それらが次々と潰れれば、社会不安が更に増大するだろう。
 従って、習近平政権は、トランプ政権の要求を絶対に飲めない。
 第3に、米企業の中国市場への参入。
 一部の中国市場(運輸・エネルギー・軍需等)では、国有企業や民間企業(名前は民間企業だが、しばしば「官民癒着」の「党営企業」)の独占・寡占が進んでいる。中国共産党幹部らは、それらの企業と関係が深い。
 習政権としては、米企業をこの“美味しい”市場に参入させ、彼らに食い荒らされる訳にはいかないだろう。これも、北京が簡単に飲めないワシントンの要求である。
 以上を考慮すれば、米中両国政府が経済的着地点を見出すのは、極めて困難ではないか。
 実は、今年3月25日、米国は「(仮訳)中国という当面の脅威に対(処)する委員会」(“the Committee on the Present Danger: China”)を立ち上げた。
 1950年代と70年代、米国がソ連と冷戦時に用いた手法を、今度は中国に応用するつもりだろう。既にホワイトハウスを去ったスティーブン・バノンらが中心メンバーとなっている。
 この委員会は、教育や宣伝を通じてイデオロギーを拡散する中国の挑戦に立ち向かう組織だと謳っている。ただ、同委員会はロビー団体を装っているが、ホワイトハウスとの関係が不明瞭で、“秘密組織”とも言われる。
 同委員会設立で、トランプ政権の“本音”が見えて来た。おそらく、米国は対中「新冷戦」を仕掛け、“本気”で、中国共産党政権を潰すつもりなのではないのか。
 習近平政権が、国内でジョージ・オーウェル的な国民総監視体制を敷き、露骨に人権弾圧や宗教迫害を行っているからである。北京は、ウイグル人(イスラム教徒)やチベット人(チベット仏教徒)に対してだけではなく、教会やキリスト教徒(漢族)への宗教弾圧を行っている。ワシントンとしては、許し難いだろう。
 他にも理由があるのではないか。金正恩政権が、核を放棄することは想像しにくい。たとえ、北が「非核化」するにしても、最低10年以上はかかる。ワシントンは北朝鮮を支える本丸の習政権を打倒した方が早いと考えているのではないだろうか。