澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」-377-
香港「逃亡犯条例」改正の契機となった殺人事件

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政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 今年(2018年)5月18日、『東京新聞』は以下のような社説を掲げた。よくまとまっているので、少し長いが引用したい。
 「香港立法会(議会)が、犯罪人の中国本土への引き渡しを可能にする『逃亡犯条例』改正審議で紛糾している。・・・(中略)・・・
 香港と犯罪者引き渡し協定のない台湾で香港人が殺人を犯し、香港に逃げ帰った事件をきっかけに四月に法案が提出された。住民による完全な普通選挙ではない立法会は親中派が多数を占め、改正案は可決される可能性がある。
 香港では最近、数万人が改正反対の抗議デモを行った。台湾だけでなく中国本土にも犯罪者を移送できる改正のため、中国が反中勢力抑圧に恣意(しい)的な利用をしかねないとの懸念が強いからである」(以下、省略)。
 では、この「逃亡犯条例」の契機となったのは、一体、どんな事件だったのか。『香港01』2019年4月29日付の記事(「陳同佳事件」)を紹介したい。
 香港の男性、陳同佳(20歳)は昨2018年、妊娠している彼女の潘暁穎(同)と台湾へ旅行した。だが、陳だけが香港に戻ってきている。
 その後、死んだ潘暁穎の銀行口座からカネが引き落とされていた。陳同佳は、同年2月17日から3月13日までの間、潘暁穎の財産を処分している。具体的には、キャッシュカード、デジタルカメラ、iPhone6、2万台湾元と1万9200香港ドルを含む、合計3万2000香港ドル相当(約45万円)である。
 3月13日、香港警察は陳同佳を逮捕した。
 台湾当局は既に陳同佳を国際指名手配していた。だが、香港と台湾の間には「犯人引渡条約」がない。陳同佳は香港当局の取り調べ中に潘暁穎殺害を認めたが、司法管轄権の壁で、律政司(検事)は彼の殺人罪を起訴できなかったのである。
 一方、陳同佳は高等裁判所で4件のマネー・ロンダリングを認めた。結局、同裁判所は陳同佳に対し、2年5ヵ月の実刑判決を下している。陳同佳被告は、自らの判決を聞いた際に落ち着いた様子だったという。
 なお、裁判官が、陳の弁護士に被告が控訴するか否かを訪ねた際、弁護士は、陳からはそのように指示されていないと答えている。
 ただ、もし陳が刑務所内での態度が良ければ、刑期が3分の2に短縮される。更に、その刑期から拘束された日数を差し引いて出獄することが可能となる。
 陳同佳は既に13ヵ月以上拘禁されているので、ひょっとすると、今年10月に釈放されるかもしれない。
 このような中、香港政府は「逃亡犯条例」改正案を提出した。立法会は今後数ヵ月かけて「逃亡犯条例」に関して討議する予定である。従って、陳は投獄状態が続く(厳密には「逃亡犯条例」が立法会で通過しても、陳同佳事件に関しては“事後法”となる公算もあるのではないか)。
 さて、問題は「逃亡犯条例」改正ではない。香港で「逃亡犯条例」が改正されていなくても、既に中国公安が「一国二制度」の香港内で、法を無視し、香港人らを拉致・連行している。
 但し、香港立法会での「逃亡犯条例」通過によって、中国共産党は、それが更にやりやすくなるかもしれない。
 中国公安の“拉致・連行事件”としては、「銅羅湾書店事件」(2015年10月)や「蕭建華拉致事件」(2017年1月27日)が挙げられる。
 前者は同書店が『習近平とその愛人達』(その中の1人が「6・4天安門事件」で活躍した柴玲だと言われる)という本を出版しようとした。そのため、株主・書店主・店員が全て中国公安に拉致され中国へ連行された。
 桂民海(スェーデン籍)は、タイ・パタヤで中国公安に拉致されている。中国は堂々とタイの“主権侵害”を行ったのである。
 株主の李波(英国籍)は、中国共産党に「自分の意志で中国本土に“密航”し、自発的に捜査に協力した」と言わされている。だが、店主の林栄基(香港籍)は、中国から香港へ戻って来てから記者会見を開き、中国での事件の“顛末”を公表した。
 他方、明天系の蕭建華(カナダ籍・香港籍等)も香港の「フォーシーズンズホテル」から拉致・連行された。未だに蕭建華の行方が分からない(死亡説もある)。
 結局、蕭建華は中国共産党に個人資産を巻き上げられた上、会社も党に没収されている。因みに、現在、同社の株主に、習近平主席の義兄(長姉、斉橋橋の夫、鄧貴家)が名を連ねているという。