平成と自衛隊
―防人の任務を振り返って―

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前陸自西部方面総監 番匠幸一郎

はじめに・・・自衛隊にとっての平成
 只今ご紹介頂きました番匠と申します。私はMiG-25事件が発生した昭和51年、丁度冷戦の末期に防大に入り、昭和55年に陸上自衛官に任官しました。それから約35年間、防大を含めると約40年間、制服として勤務し、特にこの平成の時代は現場で色んな経験をさせて頂きました。今日はそのことを虫の目の観点からお話させて頂きたいと思います。
 間もなく令和の時代に移ろうとしています。私は平成元年の時に市ヶ谷にいたのですが、この平成の時代がどうなっていくのか皆さんもお考えになったと思います。しかしその時は、その年に起こることも予測できていなかったのではないでしょうか。例えば、6月に起こった天安門事件。また、ベルリンの壁の崩壊が11月にあり、この頃東ヨーロッパは音を立てて民主化が始まっていました。そして12月には地中海のマルタ島で米ソ首脳会談が行われ、謂わばこれが冷戦の終結ということになっていった訳ですが、平成が始まった年に冷戦が終わるなど殆どの方が予測していなかったかと思います。まさかソ連が崩壊するなんてことも想像していなかったと思います。
 翌年にはサダム・フセインがクエートを侵攻します。これによって湾岸戦争が起こり、平成3 年の6 月にペルシャ湾で掃海艇の落合畯先輩率いる掃海部隊が、戦後初めて海外における国際貢献の任務に着手されました。潮流も激しく大変難しい海域の中で見事に機雷34個を掃海し、世界が驚嘆しました。これが戦後初の自衛隊の海外任務となる訳です。そして翌年にはカンボジアPKOが始まりました。日本のPKO活動はずっと続き、つい最近まで南スーダンで行われていました。
 この平成の時代を結論的に申し上げると、平成は自衛隊にとって非常に大きな転換期であった気がします。私は平成7年にできた防衛大綱の時に陸幕の担当官をしていました。平成7 年ですから、冷戦の終結から若干時間が経っていますが、冷戦後の自衛隊はどうあるべきか、防衛力の役割は如何なるものかという議論を一生懸命したことを覚えています。冷戦期の51大綱には、国の防衛のことしか基本的には書かれていません。しかし平成7年にできた07大綱には3つの防衛力の役割が書かれており、1つ目は勿論「我が国の防衛」、2つ目は「大規模災害等各種の事態への対応」、3つ目に「より安定した安全保証環境構築への貢献」が追加され、国際協力、国際貢献という、所謂「自衛隊のグローバル化」がスタートしていきました。本日はこの3 つをメインにお話したいと思います。