新旧日米安保条約の特徴と日本の防衛
―米国の対日防衛義務と米国戦争権限法条文相互の矛盾―

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三重中京大学名誉教授 浜谷英博

はじめに
―旧日米安保条約締結時の政治的背景―
 第二次大戦の終結は、大戦末期にくすぶり始めていた東西対立を先鋭化させた。所謂、冷戦構造を顕在化させ、イデオロギーによる民族分断にも拍車をかけた。朝鮮半島における韓国と北朝鮮、中国大陸における内戦の結果としての中国と台湾、欧州における東西ドイツなどである。
 また地域安全保障の側面からは、西側陣営の北大西洋条約機構(NATO)に対し、東側陣営はワルシャワ条約機構(WTO)で対抗した。
 とりわけアジア地域における冷戦状態は殊の外不安定で、1950年6月にはついに朝鮮戦争が勃発した。国連の国際紛争解決能力の試金石でもあったが、最初の国連軍創設の経いきさつ緯や後の中国の参戦によって、状況の複雑さは現代にも暗い影を落としている。未だ休戦状態が継続され、終戦と平和条約の締結への道は、3度にわたる米朝首脳会談で事実上の当事者交渉を経た現在も、行きつ戻りつの状況である。
 一方、日本における戦後の政治状況は占領軍による統治に始まる。多くの民主化政策が矢継ぎ早に打ち出され、農地解放や財閥解体、新憲法の制定などが、占領軍の絶対的な権力を背景にして積極的に進められた。
 特に日本国憲法の制定にあたっては、自国の安全と独立を担保する条項を欠き、自国の生存を他国の公正と信義に求めるなど、およそ独立国の憲法とは程遠い構造を有していた。早期の憲法制定に拘った占領軍の思惑や芦田修正を巡る極東委員会での審議及びその後の文民条項挿入の強硬な姿勢など、終始政治的影響を受けながらの制定過程であった。その結果、日本の主権回復前の制定となった直接的影響は、自国の防衛手段やその法的根拠の欠落となり、決定的な憲法上の欠缺として現在も変わるところがない。
 このような歴史的現実の中で自国防衛を鉄壁にしておくためには、東西冷戦下で機能不全に陥りがちな国連よりは、国連憲章51条に認められた友好的な諸国との協力や連携によって自国の独立を保持するしか方法がなかったことも事実である。我が国が民主・自由の価値観を共有する米国との協力関係に舵を切ったことは、当時、共産主義の台頭を警戒し、対ソ抑止戦略上日本を同盟国化しておきたい米国の思惑とも合致した。そのことは、国際政治情勢が激変する中で、旧安保条約の締結に向けた政治的基盤が急速に醸成されつつあった状況と無関係ではない。