他山の石


政策提言委員・元陸自西方幕僚長
  福山 隆

ひときわ悲しい若人の死
 「真白き富士の根」という歌謡曲がある。この歌は、明治43年、逗子開成中学校の生徒 12人を乗せたボートが転覆し全員死亡した事故を哀悼して作られたものだ。
真白き富士の嶺、緑の江の島
仰ぎ見るも、今は涙
歸らぬ十二の雄々しきみたまに
捧げまつる、胸と心

ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
風も浪も小(ち)さき腕(かいな)に
力も尽き果て、呼ぶ名は父母
恨みは深し、七里ヶ浜辺

み雪は咽びぬ、風さえ騒ぎて
月も星も、影を潜め
みたまよ何処に迷いておわすか
歸れ早く、母の胸に

 この歌は1世紀余りも前のものだが、その歌詞を読むと今もその悲しみが私の胸に響く。人の死はいずれも悲しいが、とりわけ前途ある若い緑の命が散ることは、ひときわ深い悲しみに誘われる。
  今回の韓国船「セウォル号」沈没事故の犠牲者の主体は修学旅行中の京畿道安山市にある檀園高校の 2学年高等学校生徒250名といわれ、これに対して韓国民はもとより、世界の多くの人々が格別の悲しみを覚えたことだろう。筆者も心から哀悼の意を表したい。


他国の不手際をあげつらう愚
 「他人の不幸は蜜の味」という言葉がある。韓国の朴槿惠(パク・クネ)大統領の執拗 な対日批判にウンザリしている日本世論は、ともすれば今回の韓国船沈没事故を“他国 事”と片付け、船長以下船員の救急救命任務のあり方や、政府の対応などその不手際をあ げつらう向きも見られる。今回の事故を「韓国の安全軽視」などと批判するのは簡単だ が、それは甚だ失礼であり、また何の意味も無いことだ。

「他山の石」として教訓を学べ
 大切なのは「他山の石」として教訓を学ぶという姿勢が重用だろう。当該事故を客観・冷静に分析して、明日日本で起こるかもしれない事故に少しでも生かすことが重用だろう。
  国家次元で考えれば、国民の生命を脅かすものとしては、@戦争、A自然災害(水害、地震、津波、火山噴火、台風、原子力災害など)、B大事故、Cパンデミック(重篤な感染症の世界的流行)、Dテロなどがある。
今回の韓国船沈没事故は、この中の「大事故」に含まれる。わが国においても、昭和29年洞爺丸事故(死者・行方不明者あわせて1155人)や、昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故(日本航空123便墜落事故、死者520人)などがある。
  日本は自然災害多発国で、これまでの反省を踏まえ災害対策基本法などに基づき一定の防災準備が出来ている。一方、今回韓国で起きた船舶の沈没事故など「大事故」ついての取り組みはどうだろうか。「大事故」としては、東京港、大阪港、瀬戸内海、関門海峡などにおける大型船舶の衝突・火災・沈没、大型旅客機の墜落、新幹線の事故、東名高速道など高速道路における大規模交通事故など様々なシナリオが考えられる。日本(政府、自治体など)でも従来、そんな事態にまでは手が回らず、シナリオの列挙・対応研究・対処計画の策定・訓練の実施などは殆どなされていなかったのではないだろうか。
  このたびの韓国船沈没事故に関する情報を収集し、これを一助として研究・活用し、様々な大事故発生時の対処計画を策定することが急務であろう。わが国においては、大事故に関する研究や対処計画の策定は災害対策基本法に基づき防災会議がその基本を行うことになろう。


「国民の生命を守る」のは自衛隊の任務
 安倍総理大臣は平成25年度防衛大学校卒業式において「国家の存立に関わる困難な任 務に就く諸君は、万が一の事態に直面するかもしれない。そのときには、全身全霊を捧げ て、国民の生命と財産、日本の領空、領海、領土は断固として守り抜く、その信念を固く 持ち続けてほしいと思います。」と訓示した。自衛隊法に明記されてはいないが、総理の 訓示の通り「国民の生命を守る」ことは当然自衛隊の任務に含まれるはずだ。従って、大 事故を含め「国民の生命」を脅かす様々な脅威への対処は、すべからく自衛隊の任務に含 まれると理解すべきだろう。

危機管理の中で国防体制の抜本強化こそが喫緊の課題
 本稿では、大事故対処の必要性について訴えたが、上述のように日本国民の生命を脅かす脅威の中で戦後放置されてきたのは、実は戦争対処(外敵の侵略に対する備え)であろう。韓国側から日本を見れば「自国の国防もできない日本・日本人に、今次客船の沈没事故について批判される筋合いは無い!」と思っているに違いない。
大規模災害や大事故などへの備えは、比較的簡単にできる。しかし、国防体制の整備は簡単ではない。所謂戦後レジームの中で平和ボケした日本の民主主義体制の下では国防についての合意が得られにくい。しかし、日本を取り巻く戦略環境の激変――台頭する中国と凋落する米国――の中で、もはや時間的余裕は余り無い。日本は今や、憲法改正を始め戦後レジームを超克し、生き残り体制を確立することが急務であろう。       (了)
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