菅首相の「日本窮乏化政策」
理事・政治評論家  屋山太郎
 
 菅直人首相は「広島・原爆の日」の8月6日、広島市の平和記念公園で行われた式典で挨拶し「原発に依存しない社会を目指す」と再び所信を述べた。首相の「脱原発」発言については、7月13日の記者会見について閣内から強い異論が出て、首相自身「私の個人的考え」と釈明したばかり。しかし今回の発言はまさしく確信犯的発言だ。首相は我武者羅にわが道を行こうとしているようだ。だが一国の首相としてはあまりにも軽率な発言だと断ぜざるを得ない。
 第1は原発反対の平和運動は核兵器廃絶をスローガンにしたイデオロギーの運動であり、原発問題は核を燃料として使用するかどうかのエネルギー問題だ。冷戦以前、彼等は「社会主義国の持つ核兵器は良い兵器」と公然と述べていた。ソ連崩壊以後、運動は「日本の原発開発反対運動」に転化し、原発がイデオロギー上の争点にすり変えられた。原爆はイデオロギー上の争点になるが、原発はエネルギー問題として考えねばならない。冷戦中、西側ヨーロッパで起こった反核運動は、冷戦後、ソ連の指し金であることが曝露された。社会主義・共産主義者の反核運動と、純然たる核兵器廃絶運動とは一線を画して見るべきだ。
 わかり易く云えば、原発は認めないという社民党・共産党は原発をイデオロギー上の問題として捉えているが、自・公支持者の中には「危険だから無い方がいい」というノンポリが多い。
 首相は自・公のノンポリを包含して菅内閣支持に持って行こうとしているが、その姿勢の怪しさを国民は訝るのである。
 首相は「脱原発が国民世論の7割を占めるのに、『菅やめろ』という人も7割というのは解せない」と不満を述べているという。
 菅首相は自らのイデオロギーを追求するチャンスと思っただろうが、大方の国民は原発をイデオロギーの問題として見ていない。
 原子炉を利用したエネルギー政策はあまりにも危険ではないか。またそこで生成されるプルトニウムでこっそり核爆弾を製造する国が現れるのではないかと恐れている。しかし核開発への転用はIAEAの厳しい管理が行われている。それでも製造しようという国は、北朝鮮のように国際社会全体と対立してでも造る国がある。仮に核の開発は爆弾でも原子力利用でも禁止するという国際条約ができたとする。国際社会はその翌日から、「どこかの国がひっそりと核爆弾を造ろうとしているのではないか」と疑心暗鬼に陥るだろう。
 首相の発想はイデオロギー追求のみで、日本の国の発展に原子力問題はどういう意味を持つかについて、全く考慮していない。日本の国民生活の維持、ひいては産業の発展に原子力エネルギーは不可欠である。首相はダボスの会議で、「原発の代わりに1千万軒の屋根に太陽光パネルを張りつける」と述べたが、世界は菅発言を一顧だにしなかった。かつてドイツは自然エネルギー開発産業が興ると期待したが、現在使用されている太陽光パネルの7割は中国製であるという。水力は自然破壊に繋がる。風力は台風常襲地帯の日本には向かない。地熱発電は管が酸化するため10年で取り替えねばならない。どれも原子力の代替には無理なのだ。
 首相の脱原発演説を笑うかのように東北電力は6日、東電から緊急に80万キロワットの融通を受けた。東北には安定的電力が不可欠のマイコン(半導体)工場などがひしめいていた。この状態が続けば、企業は外国にいくしかない。首相は日本窮乏化政策を追求しているのか。

                                 (8月10日付静岡新聞『論壇』より転載)
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