新春の妄想
常務理事  井 晉

 竹島の帰属問題と並んで日韓両国の懸案事項だった慰安婦問題は、昨年末の12月28日に「最終的かつ不可逆的」に解決されることが政府間で確認された。安倍首相は、1965年の日韓基本条約締結後50年の節目に、強い意思の下に日韓関係の改善を断行したといえよう。元々根も葉もない問題だったにもかかわらず、日本が心からのお詫びと反省を表明し、元慰安婦支援財団に10億円を支援すると譲歩したことは、多くの保守派日本人の心を掻き乱したと想像される。
 慰安婦問題は、後に詐話師だと自ら認めた吉田清治が1983年に著書『私の戦争犯罪』の中で、「慰安婦狩り」や「強制連行」を懺悔し、翌年、朝日新聞がこれを旧軍の蛮行として政府に難癖をつけたことが発端であった。また、朝日新聞にけしかけられた韓国政府は、繰り返し日本政府に慰安婦問題の反省を迫り、その後これが国際的な問題に発展したため、多くの心ある日本人は苦しんできた。
 朝日新聞は、30年後の2014年8月になって、漸く慰安婦問題の記事は誤報であると認めた。韓国政府が慰安婦問題の決着に転換したのは、北朝鮮の軍事的脅威が緊迫し、米国が韓国に対日関係改善を要求した可能性はあり得るが、誤報と認めた慰安婦問題にこれ以上拘泥することは、一新聞の虚報に基づく感情論との批判を恐れた結果と思われる。それにしても、日本を代表する朝日新聞が一般人の吉田清治の懺悔を心底信じていたとは、到底考えられないのである。
 占領軍総司令官のマッカーサーは、日本人に対し旧軍を徹底的に糾弾させ、保守的な政府を常に批判させることにより、「日本の弱体化」を目論んだことは夙(つと)に知られている。マッカーサーの占領政策は、敗戦の惨めさに懲りた多くのナイーブな日本人の琴線に触れ、日本が主権を回復した今日に至るまで陰に陽に継続されてきた。日本の伝統的な美風を軽視し、旧軍悪玉論を徹底したマッカーサーの遺言は、日教組教育や「進歩的」マスコミの努力で日本にしっかり根付き、日本人を美風尊重派と美風軽視派に分断することに成功した。
 朝日新聞は、吉田清治の著書や数々の発言が専門家の指摘で出鱈目だったと判明した後も、慰安婦問題を利用こそすれ決して取り下げなかったが、これは、素材を十分に吟味して記事にする朝日新聞にしては不可思議な報道姿勢だった。慰安婦問題を流布して韓国の反日韓国人を煽った理由、そして吉田清治と朝日新聞との関係は、長期にわたる解けない難問であった。
 戦前の強烈な戦争礼賛報道は、マッカーサーから睨まれていたことは想像に難くない。朝日新聞の生き残り戦略は、占領政策を日本人にしっかり根付かせるための旗振りに徹底することであり、多くの「進歩的」文化人を育成し、これに言論の場を提供することによって、美風軽視派日本人の拡大に勤しんできたことであったと推測される。座間味の集団自決、従軍慰安婦、南京虐殺に関する報道は、その根拠が全く如何わしいにもかかわらず、旧軍悪玉論の最たるものであった。
 吉田清治は、戦後まもなく共産党から下関市議会議員に立候補して落選し、1963年に「加害者の立場から」と題する手記を『週刊朝日』に応募しているが、この中で従軍慰安婦の問題は、全く触れられていないという。朝日新聞あるいはフィクサーが吉田清治と共謀して、旧軍悪玉論としての慰安婦狩りを企画し、『私の戦争犯罪論』を世に送り出したのではないだろうかと推測される。吉田清治も元韓国人慰安婦も、自己の経験に関する質問にも関わらず、常に応答が一定していないのは不自然極まりないからである。
 朝日新聞は、吉田清治の如何わしさや専門家による指摘にお構いなく、慰安婦問題を報道し続け、韓国人を煽ってきたが、韓国政府は、朝日新聞が恥も外聞もなく誤報と認めたため、これ以上虚報を根拠に日本政府を非難できなくなり、「最終的かつ不可逆的」な解決という妥協を決心したのではないだろうか。
 昨年暮れに突然の慰安婦問題解決の報に接し、新春早々、このような妄想に耽ったのであった。



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