丹羽駐中国大使の浅慮を憂う
理事・政治評論家  屋山太郎 
 
 丹羽宇一郎駐中国大使が尖閣諸島をめぐる日中間の対立について「修復されるのに40年以上の歳月だかかる」と残念がっているが、大使の態度はおかしいのではないか。
 丹羽氏は日本政府が国有化する以前から、尖閣諸島は中国のものとの前提で考えていたようだ。ここに一枚の感謝状がある。これは大正9年5月20日に、中華民国長崎領事が尖閣列島で中国の遭難した魚民31人を助けてくれた日本人への「感謝状」だ。そこには「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内の和洋島(魚釣島)」に漂着したとある。助けたのは魚釣島でカツオ節工場を操業していた人達である。
 この1920年の時点で中国が尖閣列島を日本領と認識していたことは間違いない。中国はいま尖閣は清が負けた際に日本に奪われたといっているが、日本領だと国際的に認識されていたからこそ、終戦後、米国に施政権が移された。沖縄復帰の際、米国が日本に施政権を返還した際にも尖閣諸島は日本に返された。強奪された島なら、終戦直後に返還要求すべきものだ。
 中国が自国領だといい出したのは1968年ECAFE(アジア極東経済委員会)が尖閣の周辺海域に石油、天然ガスが埋蔵されている可能性があると発表してからだ。
 それ以前、清の地図、中国の地図、台湾の地図共に尖閣を日本領として認めている証拠の地図が残っている(「ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実」PHP)。
 問題は田中角栄首相が72年の日中共同声明をまとめる際、念押しを怠り、中国側が「将来、知恵を出しましょう」(周恩来首相)と決着させなかったことである。
 帰属を確認させようとすれば、共同声明自体がまとまらなかったと交渉当事者はいっているが、丹羽大使は日本の大使として、日本の主権を主張し続ける義務がある。
 菅内閣の時、中国の漁船が日本の監視船に体当たりし、船長を逮捕しながら“外交的配慮”によって特別機で送り返した事件があった。どういうわけか菅首相、仙谷官房長官は証拠のビデオを隠蔽した。その理由は中国の機嫌を損ねてはいけないということだった。APEC首脳会議の日本での開催が設定されており、胡錦涛主席が欠席することを恐れたのだという。
 今回の尖閣事件ではIMF・世銀の年次総会が東京で開催されたが、中国の代表は会議をボイコットした。日本開催でなければ出席したのだろうが、国際的には中国の幼稚な対応に世界があきれた。
 漁船体当たりのビデオはのちにユーチューブで流されたが、事件直後に日本政府はビデオで流されたが、事件直後に日本政府はビデオを公開し、中国の理不尽さを世界に示すべきだった。日本人の中国に対する配慮、贖罪意識を読み込んで中国は外交攻勢をかける。体当たりをした船長が逮捕されるとレアアースの輸出をとめるような不法な国に対しているのだと大使は考えるべきだ。
                                                                                                                                           (10月24日付静岡新聞『論壇』より転載)
 
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