韓国危うし
―史実に目を向けぬ愚かな選択―


理事・政治評論家  屋山太郎 
 
 ソウルにある独立門は1897年に建てられた。韓国人の多くは日本からの独立を記念して建てられたと思っているが、日清戦争で清国が破れたのちに造られたものである。朝鮮(南北)は日本併合に至るまで、約1000年もの間、中華帝国の冊封国家を強いられた。言い換えれば“属国”である。
 漢城(現ソウル)には清国の兵が駐屯し、このまま行けば朝鮮は清国に併合されるというので、日本は日清戦争に突入した。1895年の日清講和条約(下関条約)の第1条には「朝鮮独立を確認する」ことが謳われている。その清国からの独立を記念して「独立門」は建てられたのである。
 韓国人は「日帝併合時代の36年間」は朝鮮受難の時だったと主張している。しかし「日帝36年間」に韓国は無類のスピードで近代化を果したのである。人口の30%を占めていた奴隷が開放された。朝鮮語教育のために500年眠っていたハングルを再生させ、識字率を4%から61%に高めた。そのために高等専門学校以上の上級教育学校が1000校、小学校が5200校創られた。京城帝国大学が建てられたのは、日本の大阪帝大、名古屋帝大の開校よりも先で、京城帝大の図書館予算は東京帝大を上回った。100キロだった鉄道は6000キロに延伸した。
 この朝鮮財政に対して日本は大正8年を除いて常に15〜20%の補助を行った。朝鮮経営を一概に「植民地経営」というが、英国やオランダが東南アジアの一部を領有した植民地経営とは全く違う。英国がインドに小学校ひとつ建てたか。
 「併合」というのは朝鮮の人達に日本臣民と同様の資格を与えることである。韓国の教科書は日本に「酷い目に遭った」ことしか書いていないそうだから、反日を焚き付けると凄まじいまでに燃え広がる。日本の外交官は「酷い目に遭った」と言われると条件反射のように頭を下げてきた。日本では頭を下げれば事は終るが、中・韓の人達は「謝ったのだからカネを出せ」という態度に出る。細川護煕元首相は韓国訪問に当って、外務省出身の秘書官から「創氏改名」を強制したことを謝った方がいいと入れ知恵された。史実は創氏改名は朝鮮人の側から言い出したこと。元の名前(朝鮮名)のままを通して陸軍大将になった人もいる。
 従軍慰安婦の「強制連行」も、国際的発言があるたびに、日本の外交官なら「違う」と発言し続けるべきだった。それをしないから、今や「性奴隷」を行ったという不名誉な汚名を着ることになったのである。
 韓国は今や中華からの独立門を自ら倒そうとしているかのようだ。中国が尖閣問題で対日姿勢を強くすればするほど、韓国も対日姿勢を強めている。朴槿恵大統領は世界が米中の2大勢力になると見て、中華の属国への道を選んだようだ。円のスワップ(通貨交換)をなくすことは、中国に生殺与奪の権を与えることに他ならない。危うし韓国である。

(平成25年8月14日付静岡新聞『論壇』より転載)
 
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