日米の防衛力強化
―「集団的自衛権」の正しい法解釈が必須―

理事・政治評論家  屋山太郎 
 
 集団的自衛権について従来の政府解釈は「(条約締結の)権利はあるが行使はできない」の一点張りできた。この解釈は内閣法制局の“絶対的”解釈だが、これほど非常識な考え方は国際的には通用しない。「行使できない権利」というものを果して権利と言えるのか。
 法制局は戦前の官僚内閣制の守護神のようなものだった。官僚内閣制だったから、法制局に法文の最終解釈権を持たせてもおかしくはなかった。しかし新憲法が打ち出しているのは「議院内閣制」であるから最終解釈権は立法府が持たなければおかしい。にも拘わらず、政権が代わった時「法解釈まで変わっては困る」と官僚が言い張って1952年に法制局を設置してしまう。加えて法制局長官と人事院総裁には特別な身分保障があり、特別な事由がない限り、罷免できない。
 中曽根康弘首相は「憲法解釈を内閣が持っているのはおかしい」と常々指摘し、衆参両院法制局か最高裁が持つべきだと提唱していた。安倍首相もその論者だったが、いま法制局を廃止して、代わりをどうするかまで議論すると、実益の無い政治論に嵌まり込んでしまう。民主党政権の時代、一時、法制局長官の代わりに法務に強い大臣が答弁するシステムに切り替えたが、結局、元に戻した経緯がある。今回、安倍晋三首相が考え出した決め手は、長官を最高裁判事に昇格させ、後任に外務省の小松一郎氏(前駐仏大使)を任命するというものだ。小松氏は外務省の条約畑のエースと言われ、国際条約の著作もある。
 安倍氏はもともと憲法改正論者で、第1次安倍内閣の時は防衛庁を防衛省に格上げした。安倍氏の国際情勢認識は明瞭なものだが、与党の公明党を切ってまで、憲法改正論議を高める気はない。
 小松新長官は、まだ「集団的自衛権」について具体的新解釈を開陳していないが、外務省条約畑の解釈はおよそ解る。これまでの解釈は国内法(憲法)と国際法(国連憲章)の両面を取り上げながら、国内法の論理のみで推論してきた。しかしその憲法自体が第98条2項で「国際法の遵守」に触れている。従って国際法との整合性に全く配慮していない現行の解釈は、まさに欠陥と言うべきなのだ。
 集団的自衛権は国連憲章により導入された新しい概念で、それを解釈するには憲章作成会議での審議の経緯を踏まえる必要がある。それによると集団的自衛権は「慣習自衛権」を補強するために持ち出された概念で、自衛権を2分して、これは国内、他は外国向けなどと考える必要は全くないのである。
 日本が米国と安保条約を締結する時、「行使できない」と米国に断り、米国が了解したのか。米国が了解していないのに「行使できない」解釈に固執すると米国の対日不信感を増幅させるだろう。10月3日、日米の外務・防衛の4閣僚が東京で安保会議(2+2)を行い、中国を名指しで非難した。公明党が政権に参加して26年、国際情勢は様変わりしたのである。
(平成25年10月9日付静岡新聞『論壇』より転載)
 
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