安倍総理大臣の靖国参拝
―天皇と神道、そして靖国―

理事・政治評論家  屋山太郎 
 
 安倍首相の年末の靖国神社参拝が中国、韓国のみならず、米国やEU諸国にも波紋を投げかけている。日本の神道というものは日本人しか信者がいないから、外国人の想像を越える部分がある。同盟国には説明が必要だ。
 戦後、連合国側から指弾されたのは「国家神道」である。古来、日本には国家や権力と結びつかない「教派神道」が存在した。古くはアニミズムに近かった。7世紀頃から渡来した仏教と習合していたが、明治時代、内務省神社局によって、古い教派神道と離れて「国家神道」が形成されていく。宗教学者の中には国家神道を嫌悪する者がいるが、日本の神道文化が必然的に軍国主義に昇華していったわけではない。連合軍が恐れたのは「神風特攻隊」のような死を怖れない攻撃精神の根底に神道があると思ったからだ。
 軍国主義の時代、天皇を「現人神(あらひとがみ)」としていたことは異文明人にとって不気味なものだったろう。このため天皇は敗戦の翌年の1月1日に詔書を発して「現御神(あきつみかみ)」を否定し、「人間宣言」を行った。
 天皇は他の神社同様に、戦後も靖国神社の例大祭に御親拝されていたが、1975年の秋の例大祭を最後に親拝をおやめになった。この事実をもって「A級戦犯が合祀されたからだ」という説があるが、これは間違いである。A級戦犯合祀は御親拝をやめられた3年後の1978年である。
 天皇陛下が最後の御親拝を行われた前日、11月20日の内閣委員会のこと。社会党の質問に対して、吉國一郎法制局長官は「天皇の公式参拝は(政教分離の観念からみると)違反とまで言えなくとも重大な問題となる」と答弁した。
 これまで歴代内閣総理大臣は堂々と靖国参拝をしていたが、この頃から「私的参拝か公的参拝か」を共産党員の記者が厳しく問い糾すようになり、三木武夫首相は「私的参拝である」と明言するようになった。しかし天皇の存在自体が公的なものであるから、政教分離の原則を持ち出されると釈明のしようがない。恐らく天皇は政教分離の不分明を慮って、自ら靖国参拝を自粛されたのだろう。
 アメリカでは靖国神社はウォー・シュライン(戦争神社)として他の神社とは別ものと見られている。今回の米国の「失望した」という反応は予想外ではない。しかし参拝したのは総理大臣であって、総理大臣が国のために散華された御霊に感謝と哀悼の意を捧げるのは当然だ。私なら「そのうち仇を討ってやる」と誓いたいところだが、安倍首相は敢えて「不戦の誓い」を立てた。地位ある者の誓いは重い。
 人の悪口を言って相手を貶めることを韓国語で「イガンジル」という。日本でそれをやれば人格を疑われるが、韓国では全員が同じだから朴槿恵氏も大統領でいられる。中国は首相が靖国参拝をやめても次々に注文、難癖をつけてくるのは必至だ。それが古来、東夷征伐の手だからだ。

(平成26年1月8日付静岡新聞『論壇』より転載)
 
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