安倍首相の“官僚内閣制”からの脱却
―新年度から「閣議」「閣議懇談会」の議事録作成始まる―

理事・政治評論家  屋山太郎 
 
 政府は明治18(1885)年の内閣制度発足以来、「記録なし」だった閣議と閣僚懇談会の議事録を4月1日から作成することを決めた。私はこの30年、現在の政治制度は議員による政治ではなくて、実感として官僚内閣制だと非難してきたが、議事録作成は議員内閣制への転換の第一歩と見ていい。
 明治18年に官僚制度が発足したが、これは端的に官僚がすべての政治を仕切るというものである。明治憲法は明治22年に発布され、翌年、国会が開設され議会が誕生した。民主主義的政治体制の格好をつけたが、実態は官僚内閣制が延々と続いていたと言っていい。あの大東亜戦争に突っ込んだのも軍務官僚の壮大な横車が通った結果だ。官僚が活躍して“よい事”をしたのは、結果的に戦後復興のための統制経済時代をうまく乗り切ったことぐらいだ。
 「国会は国権の最高機関であって唯一の立法機関である」(憲法41条)と認識して50年前、通信社に入社した。しかし見ること聞くこと「国会が最高機関でない」証しばかりだった。
 毎週火曜日と金曜日に全閣僚を集めた閣議が行われる。閣議の議題はその前日、各省事務次官と内閣法制局長官が決めた項目に限られる。閣僚がそれ以外のテーマについて発言すると、その瞬間から「閣議」ではなく「閣僚懇親会」に切り換えられる。閣議は前日の事務次官会議で決められた文書に署名するサイン会のようなものだ。通常10分程度で終わる。そのあとの閣僚の発言は“閣僚懇談会”、つまり雑談扱いで、議事録も取らない。閣僚が丸ごと官僚に仕切られている様がわかるだろう。
 村山富市内閣の時、阪神淡路大地震が起こった。明け方に震災が起こったのに、午前10時からの閣議では震災が議題にならなかった。なぜなら議題は前日に事務次官会議で決められたテーマに限るからだ。
 安倍晋三氏は官房副長官時代に「閣議のあり方がおかしい」と疑問を抱いた。不思議なことにこの重要な「事務次官会議」について根拠となる法律も規制も規則もないのである。民主党内閣は「根拠がない」と断じて事務次官会議を廃止し、直接閣議に重要案件を持ち出し、閣僚の合議で決定することにした。この結果、各省にまたがる案件について辻褄が合わない事態が生じた。
  これを見て政権に復帰した安倍首相は週1回、事務次官会議を開くことにしたが、これは“各省調整”であって決定権はもたない。首相は各省にまたがる幹部600人の人事評価を内閣が行う「内閣人事局」を設置して「省あって国なし」の慣習から脱却させようとしている。
  新設された国家安全保障会議(日本版NSC)の内容も議事録を作り、閣議同様、30年後には国立公文書館に移管され、公開することにすると言う。安倍氏は米国との間で交わされた有事の際の核持ち込みの“密約”は正直ではないと言う。安倍氏なら官僚体質の政治から脱却できるだろう。

(平成26年3月12日付静岡新聞『論壇』より転載)
 
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