仏政治週刊紙「シャルリー・エブド」銃撃事件の教訓
―犠牲を恐れていては民主主義は守れない―

 
理事・政治評論家  屋山太郎 

 フランスの政治週刊紙「シャルリー・エブド」への銃撃事件は「言論の自由」には限界がないことを示している。厳しいテロに遭うから風刺画の表現に手心を加えたらどうかと日本人は考えそうだが、言論の自由こそが民主主義の原点であり、民主主義こそが至上の政治価値と信じているフランス人、ヨーロッパ人には妥協は受け付けられないだろう。風刺の表現を緩めることは、社会の価値を落としてしまうと彼等は考える。
 1977年、日本赤軍が日航機をハイジャックして、拘留中の赤軍派など9人の釈放と身代金600万ドル(当時の価値で16億円)を要求した。当時、私はジュネーブに駐在していたのだが、その直前は政治記者で、たまたま福田赳夫首相の番をしていた。東京の本社から電話がかかって来て「福田首相がどうするつもりなのか探ってくれ」と言う。国連ジュネーブ本部には約400人の記者が詰めていたが、各社の記者は日本が譲歩するなどとは思ってもいなかった。ところが福田首相に電話がつながった時のセリフが忘れられない。「百何十人が爆死するかも知れないんだよ。人命は地球より重いんだよ」。
 全世界がテロと闘っている時である。日本人だけを助ける。それも殺人犯に身代金まで持たせる。その屈伏が明らかになると記者クラブは一種異様な雰囲気に包まれた。「与えられた民主主義」という戦後教育の成果がこれだったのかと痛恨の極みだった。
 「もし釈放したら、あなたとはもう絶交ですよ」と捨てゼリフを残して電話を切った。
 このあと、一ヵ月も経たない10月、ルフトハンザ・ドイツ航空がドイツ赤軍に乗っ取られ、ソマリアのモガディッシオに強制着陸させられた。
 ドイツはミュンヘンオリンピックで全イスラエル選手が虐殺されたのを機に、対テロ特殊部隊を養成していた。機の前方でトラックを爆発炎上させ、テロ犯が前方を注視した瞬間を見計らって、後部から機に乗り込み、特殊爆弾を閃光させた隙に、全テロ犯人を射殺した。今回のスーパー奪回劇そっくりだった。
 翌年、イタリアでアルド・モロ前首相が赤い旅団に誘拐され、取引を持ちかけられたが、アンドレオッティ首相が拒否、モロ氏は殺された。
 日本赤軍の釈放が決まった時、日本の大新聞のベテラン記者が「日本はいい国だよ。これこそみんなを助ける道だよ」と言ったものである。しかし釈放された日本赤軍はその後、ローマのアメリカ大使館を大爆破させた。日本人は助かったが、アメリカ人は死んだのである。ヨーロッパの人々の何十万人もが「私はシャルリ」とのプラカードを連ねて街を歩いた。これこそが連帯であって、テロは命を覚悟で連帯することしか対抗する術がない。世界を席捲した赤軍派が滅びたのは市民が尊い犠牲を覚悟したからだ。「イスラム国」の暴虐には力によって対抗し、封じ込めるしかない。腑抜けたリーダーでは、民主主義は守れないのだ。


(平成27年1月14日付静岡新聞『論壇』より転載)

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