大国としての使命を全うする
―国際情勢の変化に対応した外交・軍事体制の構築―

 
理事・政治評論家  屋山太郎 

 国家防衛の格好がついてきた趣だ。
 戦後、日本の国家防衛は憲法によって「戦力を持たない」と「自衛権は行使できる」の中間で、あらゆる危機管理を考えざるを得なかった。イラク戦争が始まる頃までは日本の“戦力”などアメリカは期待していなかったろう。何しろ「欧州、中東、アジアと3つの戦争ができる」と豪語していた。しかしこの国際情勢が大きく変わってきた。アメリカはいまや1.5の戦争しかできなくなった。
 一方で中国が台頭し、アメリカの弱味を握った中国は「太平洋を東西に分割しよう」などと言い出した。中国の言い出した米中の「新型の大陸間関係」という言葉をオバマ大統領まで使い出した。日米の軍事力が中国の軍事力を上回っている間は、太平洋はまさに平和だった。このためオバマ氏は日中は歴史問題でもめている、日中紛争などが起こる前に、中国と直接仲良くする方が得策ではないかといった計算が働いたのだろう。新型の大陸間関係の構築に熱心になり出した。しかし中国の狡猾さ、狡さに腰が引け、目下は日米同盟の再構築路線の方に戻ってきたようだ。かといって日本が米国にぶら下がる形はもう無理だ。
 日本の防衛政策は、憲法が古今東西にない奇妙な内容だから、来るべき危機を予測して体系的な対策は立て難い。
 イラクによるクゥェート侵略は、国連加盟国が他の加盟国を奪取した事件である。国連第一主義を掲げた自民党幹事長だった小沢一郎氏などは「自衛隊を出すべきだ」と主張したが、結局130億ドルの戦費を拠出することでお茶を濁した。戦争終結後、海自の掃海部隊をペルシャ湾に派遣し、機雷掃海を行うが、国際社会からは一顧だにされなかった。日本は夜中に公園のごみを拾って歩く奇特なオジさんだった。だが、日本に必要な石油の8割が中東を通過して日本にくる。備蓄があるから、戦火の収まるまで日本は引っ込んでいろという政党がある。一方で、8割の油を手に入れるためには、日本も戦火を収める義務があるとアメリカは考えている。
 大国には大国としての義務が生ずる。大国が周囲に支えられることのみで存立できるわけがない。そこで、これまでPKO(国連平和維持活動)協力法、周辺事態法など、その場凌ぎの法律を作って対応してきたが、それでは国防の原理・原則が見えない。PKO部隊としてイラクのサマワに駐屯したが、攻められたらオーストラリア軍が守るという約束だ。下手をすると足手まといになりかねなかった。
 今回の“安保国会”はあくまでも様変わりした国際情勢に対応した外交・軍事体制を造るというものだ。それも憲法の枠内ということになる。
 何が必要かといえば、第1は集団的自衛権を行使できるようにすること。第2はアメリカ軍などに提供できる後方支援の幅を広げる。第3はPKOなどへの貢献を増やす―などだろう。最近オーストラリアは日本との軍事的協力関係を深めている。インドネシアは日本に沿岸警備など防衛分野の協力を求めている。中国台頭に当たっての邪魔は日本なのだ。


(平成27年3月25日付静岡新聞『論壇』より転載)

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