55年体制からの自民党の変遷
―派閥を超越し、政策重視で党首を選ぶ時代に―

 
理事・政治評論家  屋山太郎 

 自民党の系譜を見ると、55年体制の始まりから、右派、左派の伝統が引き継がれている。吉田茂氏が米国との「単独講和」を結ぶ際には「中国、ソ連とも同等の講和を結ぶべきだ」との「全面講和」論が多かった。全面講和派の本心は米国を外して中、ソと組みたいのが本音だった。社会党や共産党に加えて、「米国と組むのは腹が立つ」という保守党議員もいた。しかし「国民を食わしてくれるのは米国しかない」との現実論が勝って「単独」の日米安保条約ができた。
 社会党は右派と左派に分裂していたが、55年に左右統一社会党を結成した。これに動じた自由党、民主党、国民協同党といった保守政党は大同団結して「自由民主党」を結成した。この保守合同の成り行きからしてみても、自民党は思想的に純化した政党ではない。派閥の金集めの都合や自らの思想信条に照らして派閥の行動が決まった。自民党では何十年もの間、派閥長が派内財政の面倒を見てきたから、派閥の親分の力は絶大だった。官僚などは親分を説得すればことなれりだった。
 米ソの冷戦中は国際情勢の見方も単純だった。ソ連や中国を刺激すると致命傷になるから、両国との議員交流が熱心に行われた。
 中国との交流に熱心だったのは池田勇人氏が率いる宏池会だった。今でも元幹事長だった山崎拓氏(元河野派)や宏池会顧問の古賀誠氏らは、安倍外交に強い不満を洩らしている。対中外交がおかしくなったのは、安倍本人の振る舞いが元だと認識しているようだ。確かに田中角栄氏時代の日中関係は、日中国交回復を実現し、議員の交流は活発だった。中曽根康弘氏は胡耀邦主席とは家族がらみの親密な関係を築くのだが、結局、靖国問題で躓く元になった。
 その時代以来、中国は富国強兵路線をひた走り、軍事力では2050年に米国と対等になれると豪語するまでになった。
 一方の米国は歴史が浅いせいか、対中観がひどく甘い。ニクソンショックやオバマ大統領の「米中の新しい大国関係」論は中国の歴史を知らないから言えることだ。そこに安倍晋三氏が登場して、中国の脅威と2000年にわたる日中の歴史を説いた。米国は文化や物質が豊になれば、どの国も民主化し、いずれ民主主義国になる。なれば戦争などはしなくなると思っている。しかし中国は2020年の間に6回の大きな王朝の交替があったが、6回とも異民族の交替による変遷だった。
 安倍氏の4月末の訪米が大成功だったと言われるのは、中国の膨張を防ぐには抑止力を強化するしかないと覚悟を語ったこと。オバマ氏もよく理解したということだ。
 国際情勢に対応して安倍外交がある以上、派閥の連合によって、党首を取り替えるわけにはいかない。親中派である谷垣禎一氏や二階俊博総務会長が安倍再選を共に「9月の総裁選挙は無投票の方がいい」と言っているのは賢明だ。党員の質が変って、政策で党首を選ぶ時代がきたのだ。



(平成27年8月5日付静岡新聞『論壇』より転載)

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