独りよがりの「平和」は国際社会に通用しない
―脅威に対する備えを再考せよ―

 
理事・政治評論家  屋山太郎 

 日本の防衛論議は未だに、机上の「空論」というか「信心」としか言いようがない。8月6日安倍首相は広島市の平和記念式典での挨拶で「非核三原則」に言及しなかった。各紙がそれを糾弾するニュアンスで報道したため、安倍首相は7日の衆院予算委員会で「非核三原則は当然の前提。その姿勢に一切変化はない」と答弁した。このあと9日の長崎の式典では三原則に言及した。
 佐藤栄作首相は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を打出し、衆院ではこれを「遵守する」旨の国会決議が行われた。「他国から核兵器を持ち込ませない」ことについて、提唱者の佐藤栄作氏は1974年にノーベル平和賞を受賞した。
 これに先立って1957年、岸首相は「米国の原子部隊を日本に進駐せしめるという申し出があっても承諾する意志はない」と答えている。佐藤首相はこの「国是」を乗り越えて沖縄の核抜き返還に成功したと思われていた。
 しかし1981年ライシャワー元米駐日大使が「米海軍は核兵器を積んだまま日本の基地に寄港していた」と証言。同時にラ・ロック米海軍少将が「日本寄港の際にざわざわ核兵器を降ろしたりしない」と証言した。また朝鮮戦争時、空母オリスカニーが核兵器を搭載したまま横須賀港に寄港したことが2008年に明らかになっている。
 米ソ冷戦終結以前(1991年)に米国があらゆる艦船に核ロケットを装備していたであろうことは想像できる。核の「持ち込み」について密約がなされたのは1969年11月の佐藤・ニクソン会談だったと言われる。その合意議事録の現物が2009年、佐藤邸で発見された。米ソ冷戦時、沖縄に核があるとか、米艦船に核があることは十分に推定できた。
 1991年の冷戦終結に伴いジョージ・ブッシュ大統領が核兵器と海上配備の戦術核ミサイルの撤去を宣言した。これによって「日本への核持ち込みはなくなった」と日本政府は判断しているようだ。
 しかし軍事的に膨張してくる中国に対抗する決め手は核兵器だろう。「打ち込むぞ」と脅かされれば、日本はどう対抗できるのか。事態が切迫すれば、日本への持ち込みが必要になるのではないか。従って非核三原則の「持たず、作らず、持ち込ませず」の3番目を「持ち込ませる」に変えて2.5原則にすべきだという論が広く存在する。安倍首相も三原則をお呪(まじな)いのように繰り返すことは、国民教育上、よくないと思っているのではないか。
 米ソの冷戦中、西側はオランダも含めてソ連に向けて「中距離核」を配備した。ソ連はSS20という大型核を持っていたが、西側の中距離核は地上を飛んでソ連側が気が付いた時には遅いと言う代物だった。そこで互いの中距離核を全廃しようとソ連側が提案し、米ソ合意が成ったのである。日本人はこちらに核がなければ攻撃されないと思い込んでいるが、現実は違う。弱い分だけ押し込まれる。南シナ海を見てみよ。



(平成27年8月12日付静岡新聞『論壇』より転載)

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