「安全保障関連法案成立」
―内閣法制局解釈の終焉―

 
理事・政治評論家  屋山太郎 

 安全保障法が成立した。成立した今になっても野党の中に「国民がまだ法律の中身を分かってない。したがって成立させたのは自民党の横暴だ」という意見がある。確かにここに来るまで、与党の戦術も悪すぎた。例えば国会の憲法審査会に呼んだ政府側の参考人が「集団的自衛権を行使するのは憲法違反だ」と述べた。これでそれまでの審議は滅茶苦茶である。この学者を呼んだのは船田元憲法調査会長だそうだが、人選を「内閣法制局に丸投げした」のだという。無知蒙昧である。法制局に仇をうたれたのだ。

 そもそも内閣法制局とはどういう組織か。行政府の一部局で「憲法の最終的解釈権」など持たせる役所ではない。中曽根首相時代から安倍時代にかけて常に疑問が投げかけられてきた。中曽根氏は「最高裁が判断すべきだ」との持論を持っていた。民主党の菅直人氏も同じ論で、民主党内閣時代、法制局長官を国会に呼ばず、弁護士資格を持つ枝野官房長官が答弁していたことがある。ところが野田首相の代になって、元の法制局長に戻した。枝野氏の答弁では「何を言い出すか分からず不安だ」というものだ。
 安倍首相は国権の最高機関は国会である(憲法41条)から国会で選ばれた首相が解釈すべきだ、との考えである。したがって集団的自衛権の行使を柱とする安全保障法案を閣議決定で決めた。一方、違憲一辺倒だった法制局長に合憲派の故・小松一郎駐仏大使を任命した。
 小松氏は国際法に詳しく、国際条約の著書もある。国際的にはすべての国に自衛権が認められており、その中身は個別的自衛権と集団的自衛権がともに含まれるのが常識だ。いま単独で守るというのは、スイスくらいで集団的自衛権を持っていない国はない。
 安倍政権では1959年の砂川事件の最高裁判決をひいて、日本が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために「必要な自衛のための措置」をとり得ることは当然としている。
 法制局はこの判決をもとに「集団的自衛権は有しているが、その行使は許されない」という奇妙な判断を打ち出す。法制局は財務省など4省が持ち回りで局長となり、OBも含めて日本の法律解釈を固めてきた。この壺の中からは前例踏襲の答えしか出てこない。
 法律は世間で発生する問題、森羅万象について答えがあるわけではない。時に新法を作るとか、法解釈を変えねばならない。その仕事は法制局の仕事ではなく、立法府の仕事だ。憲法学者700人のうちこの憲法でも「集団的自衛権を認められる」という学者は100程度人しかいないという。文字づらばかりをにらむのを訓詁学という。日本の学者はこの手合いが多い。吉田茂氏は日米安保に反対したほとんどすべての学者を「曲学阿世の徒」だと無視した。
 戦争の歯止めは内閣である。大東亜戦争に突っ込んでいった時の内閣は官僚内閣制で陸軍大臣、海軍大臣が天皇の名で閣議を壟断した。戦争の決定権が今と根本的に異なる。無用な戦争だと国民が判断すれば、首相を辞めさせることも出来る。


(平成27年9月23日付静岡新聞『論壇』より転載)

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