「維新」の分裂騒動
―橋下『おおさか維新』と岡田『民主』・松野『維新』―

 
理事・政治評論家  屋山太郎 

 一強多弱体制は橋下徹氏(大阪市長)が「維新」を打ち出して中央に殴り込みをかけた結果、誕生したと言える。橋下氏一人の力で50人強を集めたカリスマ性は今後も生き続けるだろう。
 当初の「維新」は大阪都構想を実現するための中央におけるテコだった。都構想を進めるに当たっての法改正は進んだが、最後の「住民投票」で蹴躓いた。しかし大阪府・市長の同時選挙では逆転大勝した。この理由は前回(住民投票)「否決」に回った組が反対か、棄権に回ったと分析するしかない。何より投票率が10%近く落ちているのは、前回賛成した老齢層が共産党との自共共闘に反発して投票に行かなかったのではないか。反対候補を自民、民主、社民の他共産党まで押したのは失敗だった。
 民主党の岡田克也代表が、共産党の志位委員長から「共闘するなら、我が方の候補者を下してもいい」と言われて、よろめいた。党内の反対理由は「共産党から1万票来ても民主党の保守層の1万票が逃げる結果、民主党の中身が左寄りになる」というものだった。
 橋下氏は政界に投じた大石で一仕事できたが、大石は皆、自分の主義についてくる人だと思い込んでいた節がある。地方分権や大阪都構想に賛成の人も憲法改正や安保法制に反対だという人がいる。橋下氏自身は石原慎太郎氏と合併したぐらいだから、少なくとも「右派」の人物である。その後の「維新」分裂騒ぎは、橋下氏につくか、向こう側にいくのかの騒動だった。
 岡田氏は「右も左も包括して大きな玉にした方が大勢を集められる」という主義のようだ。その中には共産党を入れてもよいというほど幅がある。民主党の中には前原誠司氏のように「共産党は勿論、官公労と結びつくのも、保守を敵に廻すことになる」と懸念する。保守穏健の第2極を作って政権を執ろうという主張だ。橋下徹氏は党を作ってから、身内に“左派”が入り込んでいるのに気が付いた。当然「出て行ってくれ」と分裂の引き金を引く。野党再編は橋下氏の党内仕分けがきっかけで発生したとも言える。自民党の反対側に穏健な保守か尖鋭な左派ができるかということだ。
 残留組は橋下氏の応援があれば、まず当選するだろう。橋下氏は「おおさか維新」の名でまず近畿圏の全選挙区に候補者を立てる他、他の区にも出すと言う。「維新」の名は松野氏によると来年3月頃に民主と合併する際に消えるという。その後「おおさか維新」は単純に「維新」と名を替え全国政党になるかも知れない。
 民主と維新は12月11日、来年の通常国会では統一会派を結成することで合意した。岡田氏らは「民主党」の名前で合併したいようだが、比例区でみんなの党から出た5議員は政党法上困難だ。そこで互いに解党して「新党」をつくろうというわけだ。民主党の名前では再び政権を託そうとする層は現れまい。政党支持率が全く上がらないのがその証拠だ。

(平成27年12月16日付静岡新聞『論壇』より転載)

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