安倍首相の立場を支持する
元日本共産党参議院議員  筆坂 秀世
情勢の変化とともに憲法解釈が変わるのは当然
 憲法第9条の解釈をめぐっては、これまでも多くの変遷があった。国際情勢が変化すれば、憲法解釈が変わるのは当然のことでる。
 現憲法が国会で審議された際、当時の吉田首相は自衛力を持つことまで否定していた。だが鳩山内閣になると自衛権を保持していることは当然のこととしたうえで、外部からの侵害に反撃する自衛力を持つのは当然と解釈を変更した。
 集団的自衛権についても同様だ。岸内閣では、広い意味での集団的自衛権の行使は許容されているとしていた。至極当然のことで日米安保条約という軍事同盟を結んでおりながら、いっさい集団的自衛権を行使しないなどあり得ないからだ。
 それが田中内閣や鈴木内閣のもとで、憲法上許されないと変更され、今日までその解釈が続いてきた。
 よく「一内閣による憲法解釈の変更は立憲主義に反する」という批判を目にするが、そうだとすればこれまでも立憲主義が侵されてきたことになる。また中国や北朝鮮などの野蛮国家が存在するもとで、丸腰の日本を強要することこそ立憲主義に反することを護憲派は知るべきだ。

祖父・岸信介の立場を蘇らせたもの
  集団的自衛権についてもっとも正確な理解をしていたのは安倍首相の祖父岸信介当時首相であった。
  「集団的自衛権という観念につきましては、学者の間にいろいろと議論がありまして、広狭の差があると思います。しかし、問題の要点、中心的な問題は、自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵略されたと同じような立場から、その侵略されておる他国にまで出かけていってこれを防衛するということが、集団的自衛権の中心的な問題になると思います。そういうものは、日本国憲法においてそういうことができないことはこれは当然」(1960年2月10日、参院本会議、岸首相)
 「日本が集団的自衛権をもつといっても集団的自衛権の本来の行使というものはできないのが憲法第9条の規定だと思う。たとえばアメリカが侵略されたというときに安保条約によって日本が集団的自衛権を行使してアメリカ本土に行って、そしてこれを守るというような集団的自衛権、仮に言えるならば日本はそういうものはもっていない。であるので国際的に集団的自衛権というものは持っているが、その集団的自衛権というものは日本の憲法の第9条において非常に制限されている」(1960年5月16日、衆院内閣委、赤城宗徳防衛庁長官)
 安倍首相の限定的な集団的自衛権行使論は、この岸内閣の立場を現在に敷衍したものなのだ。中国の露骨な領土膨張主義、北朝鮮の核兵器や長距離ミサイルの開発などをみれば、集団的自衛権の行使を可能にすることは、あまりにも当然だ。

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