「謝罪にけじめをつけ、歴史の事実を直視しており、評価できる。村山談話はアジア諸国にあまりにも配慮して「植民地支配」など自虐的な表現を用い、外交の道具に使われた。
今回の談話は、歴代内閣の立場は揺るぎないとし、さらに、謝罪しても決して癒えることはない傷があるとした上で、「寛容の心」という言葉で、欧米や東南アジアなどを念頭に和解に至ることができたとした。これは逆に、中国や韓国に対して「寛容の心を持つことはできないのか」というメッセージになる。
日本が誤って国際社会の「挑戦者」となったことを歴史的事実を踏まえ分かりやすく説明している。
「侵略」の定義を位置付けなかったことも、政治判断として妥当だ。」
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