ロシアが憎い

元法務大臣   長勢 甚遠

 宝田明という人は美男子の俳優として名前は知っていたがどんな人かは知ることがなかった。8月12日付けの読売新聞で同氏の敗戦の時についてのインタビュー記事を読んで深い感動を覚えた。
 同氏は敗戦時には12歳で満洲ハルピンに居られた。ソ連軍が侵攻し、「ソ連兵はやりたい放題でした。略奪、暴行、凌辱の限りを尽くし、日本人は小ヤギのように脅えていました。家に押し入られ、こめかみに冷たい銃口を突き付けられるなんて、想像つきますか?」(記事原文のまま)という状況の中で、同氏はソ連兵に撃たれ、裁ちばさみで銃弾を摘出するという緊急手術で一命を取り留めることができた。「出てきたのは、使用が禁止されているはずのダムダム弾。」と怒りを込めて語られている。
 感動を覚えさせたのは次のくだりだ。
 「ロシアには優れた芸術家が多い。バレエも映画も音楽も素晴らしい。でも私は観たくも聴きたくもありません。ソ連兵が憎
 い、ロシアという国が憎い。すべてを否定してしまいます。恐らく死ぬまで変わりません。記憶は焼き付き、心のアルバムに
 貼られ、破ることも消すこともできない。中国などアジアの国々には、日本に対し、私と同じ感情を抱いている人もいるので
 はないでしょうか。」
 「無辜の民をも引きずり込んで一生を狂わせてしまう。それが戦争なのです。」

 さらに「永峰」なる記者が、「『若い時は当り障りのないことを話して、いつもニコニコしていた』が、還暦を過ぎた頃から積極的に発言するように。『今は一人の人間として率直に意見を言います。間違ってもあのような戦争を起こしてはならない』と、声に一段と力がこもった」とインタビューの時の宝田氏の様子を書いている。

 今年は敗戦から70年に当たるというので、多くの人の敗戦を語る記事が見られる。その多くは、日本はいかにバカなことをしてきたか、日本はいかに悪いことをしてきたか、間違った戦争を引き起こした政府、軍部のためにいかに国民が酷い目にあったか、敗戦により日本はいかにいい国になったか、を国民に再確認させる意図としか思えないものである。沖縄、空襲、広島・長崎、降伏という民族のかってない悲惨に遭遇したこの時期に、毎年繰り返させるこのようなキャンペーンにはうんざりし、怒りを覚える。
 そんな中で、「ロシアという国が憎い」と言う宝田氏の言葉のなんとすがすがしく力強いことか。何物も恐れず何物にも迎合せずありのままの自然の心を語る人間らしい言葉に感銘を受ける。こんな素晴らしい言葉は呼んだことはなかった。
 宝田氏が若い時は当り障りのないことを話していたが還暦を過ぎた頃から積極的に話すようになったと語っているのを読んで、自分の人生と重なるものを感じた。私と宝田氏とは年代も経験もまるで違うが、私の場合はずっとアメリカが憎かった。しかしそんなことを言うと大変なことになると我慢してきた。引退してそういうことを積極的に言うようになった。若い頃の宝田氏は、どんな思いで当たり障りのないことを話していたのであろうか。聞いてみたい気がする。
 宝田氏は、ロシアが憎いということと併せて、中国人などの日本に抱く感情に共感を持ち、無辜の民の一生を狂わせてしまう戦争を否定しておられる。その発言は誠に道理にかなった人間性に満ちた言葉だと思う。憲法に書いてある理念とは違う。憲法護持論者、平和主義者、人権主義者などの薄っぺらな屁理屈の煽動文句とは違う。日本人らしい重みと威厳を感じる。宝田氏と同じことを最も重く思っておられるのは天皇である。戦争で亡くなった同胞(陛下の赤子)をあれほど悲しんでおられる存在は他にはない。
 敗戦の時の記憶を新聞に紹介される人たちは押しなべて平和の大切さを語り、戦争はしてはならないと語り、軍部の暴虐をあげつらうことにされているようだ。そして敗戦憲法の有難さを語る。それらを読むたびに、幾ばくかの理には適ってはいるが、義もなく情もない空虚な言葉だと思う。広島、長崎の原爆記念日には「原爆許すまじ」だけが叫ばれる。それが正しい声として心に響くのは、「アメリカが憎い」という声と一対のものとして語られる場合だけである。「原爆許すまじ」だけを煽動するのは日本人に対するあからさまな反日政治キャンペーンにすぎない。過ぐる大戦における数多同胞の悲惨な体験記録がそのための証拠資料とされるのは耐え難い。
 敗戦の時の記憶を語る新聞記事に、90歳近くの老婦人のものがあった。新婚3ヵ月で夫が戦地に征き、生まれた子の顔も見ることなく戦死された方のものである。そこでは妻はひたすら夫の安寧を願い、夫は戦地にあって妻、家族を思って過ごした日々、夫の遺児の養育のための苦難の日々のことが切々と語られている。当時の軍部などについては何も触れられていない。その方の終わりの言葉は「あんな戦争はもうしてほしくない」というものである。この方の話は重く心を打った。こういう人のこういう言葉こそ大事にしなければならない。
 賢しら気に日本の戦争犯罪を並べ立て、小理屈をあげつらって戦争反対を唱える扇動者に迎合して戦争反対を述べ立てる人たちには、反発以外に感じるものはない。

 戦争体験のある人には宝田氏などとは違った経験をした方もおられることだろう。そのために「天皇」「軍部」を憎む人もあるだろう。それはそれでいい。それはそのまま語ってもらいたい。変な政治キャンペーンの付録としてではなく。これからの若い人は宝田氏やそんな人の語る言葉から日本復活の道を見出だすことになるだろう。

 「ロシアが憎い」という宝田氏の言葉に接して今年は敗戦記念日をすがすがしく迎えることができた。


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