クリミア半島併合から日本人は何を学ぶべきか

政策提言委員・元航空支援集団司令官  織田 邦男

orita 2014年4月以来、ウクライナ政府軍と親ロシア派武装集団の間で繰り広げられていた軍事衝突は「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」との間で「ミンスク議定書」が調印され、一応は停戦状態にいたった。だが小競り合いは未だに続き、ウクライナは予断を許さない状況が続いている。
 2014年2月、ウクライナのビクトル・ヤヌコービヴッチ政権は、欧州連合(EU)との協定締結断念を機に、親ロシア姿勢に対する国民の反発が広がり、退陣を余儀なくされた。政権退陣によって生じた国内混乱に乗じ、ロシアはロシア系住民保護を名目にロシア軍をクリミアに展開した。これに呼応するかのように、クリミア自治共和国議会は3月11日ウクライナからの独立を宣言した。
 16日に実施された住民投票ではロシア編入への賛成票が95%を超え、クリミア自治共和国最高評議会は、ロシアへの編入を求める決議を行った。18日、ロシアは米国や欧州連合(EU)が突きつけた制裁を尻目に、クリミア自治共和国を併合する条約に署名し、クリミアは事実上ロシア領となった。国際社会がウクライナ領土の統一性を保障した「ブタペスト合意」が、いとも簡単に反故された瞬間だった。
 日本のメディアは何故か「ブタペスト合意」については伝えなかったが、ここで簡単に紹介しておく。ソ連邦が崩壊した1991年、ソ連領であったウクライナ領内には、ソ連の核弾頭が約1900発あった。ウクライナはソ連崩壊に伴う独立に際して、この核弾頭を引き続き保持する意向を示した。
 勿論、ロシアは猛反発した。核拡散を危惧する米国、英国とともにウクライナ政府と交渉し、1994年12月、NPT(核拡散防止条約)加入、核兵器撤去を条件として「ウクライナの主権と領土の統一性の維持を3カ国が保障」するという「ブタペスト合意」を結んだ。
 この後、フランス、中国も加わり、国際連合の全常任理事国が参加する合意となった。これが「ブタペスト合意」である。国連の常任理事国が全て参加する合意なので、国連そのものが保障する合意といって言い。これがいとも簡単に反故されたわけだ。
 これに対し中国の人民日報は次のように述べている。
 「西側世界は国際条約や人権、人道といった美しい言葉を口にしているが、ロシアとの戦争のリスクを冒すつもりはない。約束に意味はなく、クリミア半島とウクライナの運命を決めたのは、ロシアの軍艦、戦闘機、ミサイルだった。これが国際社会の冷厳な現実だ」
 国際連合が如何に無力な存在であるかが白日の下に晒された。国際社会の問題を決めるのは、国際連合でもIMFでもG20でもなく、「力」が決めるという厳しい現実を突きつけられたわけだ。
 日本ではメディアをはじめ、「国連は正義」との幻想に支配されているようだ。これは戦後日本の特異性である「平和は平和的手段のみによって追求すべき」「軍は悪」といった考えの裏返しでもある。
 驚くことに国政の経験豊かな某ベテラン政治家にしてそうである。彼はウエブサイトで次のように述べている。
 「日本が名実ともに国連中心主義を実践することは、日本の自立に不可欠であり、対米カードにもなると思う。われわれは国連活動を率先してやっていく。その姿を国際社会で実際に示せば、アメリカも日本に無理難題を言えなくなる」
 他国も国連中心であるべきと叫ぶ。もし米国を厄介な存在と見て、国連中心主義で本当に日本を守ることができると思っていたら、驚くべき国際感覚の欠如である。
 「ブタペスト合意」の結末を見るまでもなく、国連は驚くほど無力である。スーダンのダルフール地方での大量虐殺さえ阻止できなかった。1972年から200万人の死者を出し、400万人が家を追われ、60万人の難民が発生した。
 1992年から始まったマケドニア駐留の国連予防展開軍の任期延長問題では、マケドニアが台湾と国交樹立したと言う理由で、中国は拒否権を行使した。その結果、マケドニアは再び民族紛争の戦場に戻ってしまった。1990年、イラク軍がクエートに侵攻した時も、フセインを説得し、イラク軍を撤退させることはできなかった。
 2010年、黄海での韓国哨戒艦「天安」撃沈事件が起こった。韓国政府は調査結果に基づき、北朝鮮に責任があると国連に提起した。だが中国が慎重姿勢を崩さず「強力な制裁決議」には程遠く、「北朝鮮の犯行」さえ特定できなかった。
 国連は、常任理事国5カ国によって事実上支配されている。開発途上国にとっては、国連は支援金を引き出す存在でしかない。国連は加盟各国にとって国益争奪の場であり、国家のエゴと妥協の場に過ぎないのが現実の姿である。「外交は血を流さぬ戦争であり、戦争は血を流す外交である」のは国連という舞台も変わらない。
 国連は肝心な時に日本を守ってくれるような組織では決してない。日本には「国連は正義」であり、国連は困った時に助けてくれるスーパーマンのような存在と幻想を抱いている人が多いが、大きな間違いである。
 日本が危機に陥った時、安全保障理事会がいつも日本に有利な決定を下すとは限らない。また肝心なときに日本を守ってくれるとは限らない。むしろその逆だろう。現在の常任理事国には中国とロシアという日本にとっての直接的軍事脅威が2国も含まれているのだから。議決権もない安全保障理事会に日本の命運を委ねるなど狂気の沙汰なのだ。
 にもかかわらず、日本では「国連中心主義」「国連主導」といった地に足のつかない美辞麗句、空想的観念的平和論がまかり通る。国際社会で「国連中心主義」なんぞ言おうものならバカにされるだけである。まさに日本の常識は世界の非常識なのだ。
 安全保障には徹底したリアリズムの追及が必要だ。「国連中心主義」は、国連の実像に対する認識が薄弱であり、リアリズムの欠如を感じると同時に危うさを感じる。
 「ブタペスト合意」の反故は、我々に国連至上主義が如何に錯誤と欺瞞に満ちているかを教えてくれている。国際社会は人民日報が述べるように力によって動いている。この現状を直視し、力の蓄積、つまり防衛努力を怠ることのないようにしなければならない。


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