南沙諸島埋め立てはヒトラーのラインラント進駐と瓜二つ
−同じ過ちを繰り返さないためにも今の安全保障環境を認識すべし−

政策提言委員・元航空支援集団司令官  織田 邦男

orita 現在、安全保障法制が国会で議論されている。与党は「平和安全法制」と名付けるが、野党は「戦争法案」と騒ぎ立てる。議論は、本質論からほど遠く、言葉尻をとらえた枝葉末節のやり取り、そして違憲合憲の入り口論と議論は深まらない。一国の安全保障政策が政局になるとは、嘆かわしいことだ。

 何故このような拙劣な議論に低迷するのか。最大の原因は、我が国を取り巻く安全保障環境をどのように認識し、今後どうすれば日本の安全を守っていくことができるかという根本の議論が欠けていることだろう。

 21世紀の国際社会の最大の課題は、台頭する中国にどう向き合っていくかである。中国は四半世紀にわたり、異常なまでの軍拡を続けてきた。実力を付けた今、「外交は頭を低く、下手に出て」というケ小平の遺訓「韜光養晦」をかなぐり捨て、力による一方的な現状変更の動きを露骨に見せるようになった。

 2012年、中国は西沙諸島に「三沙市」を設立し、南沙諸島のガベン礁、クアテロン礁、ジョンソン南礁等で埋め立て作業開始した。2012年9月以降、尖閣諸島で領海侵犯を繰り返すようになった。

 2013年1月、海上自衛隊の護衛艦や対潜哨戒ヘリコプターに対し、火器管制用レーダーを照射するという国際的常識とはかけ外れた異常な示威行動を実施。同年11月には東シナ海に防空識別圏(区)を一方的に設定し、公海上の飛行の自由を制限する運用を開始した。更に12月には南シナ海の公海上で米海軍イージス巡洋艦「カウペンス」の航行を妨害するという大胆不敵な行動に出た。

 2014年1月には南シナ海に漁業管轄権を一方的に設定。同年5月には西砂諸島付近で石油掘削作業開始し、抗議するベトナム船と衝突を繰り返した。また5月、6月には、日中の防空識別圏が重複する公海上空で、航空自衛隊と米空軍の航空機に対し、中国空軍戦闘機が相次いで異常接近した。

 8月には南シナ海の公海上空を飛行する米海軍機に対し、10mという衝突寸前の距離で異常機動飛行を繰り返した。明らかな国際法違反の行為である。だが、米国の抗議に対し「米偵察機を追い払うことは中国の核心的利益だ」(環球時報)と嘯いている。

 今年の6月、中国外務省は南シナ海で進めてきた7つの岩礁埋め立てについて「既定の作業計画に基づき、埋め立て作業は近く完了する」と発表した。

 中国は、このように米国の決定的な介入を避けながら、サラミを少しずつスライスするように既成事実を積み上げてきた。いわゆる「サラミ・スライス戦略」である。昨年、オバマ大統領は「米国はもはや『世界の警察官』ではない」と繰り返した。このオバマの弱腰を見越した中国は、今が好機とばかりにサラミ・スライスを加速させている。

 「サラミ・スライス戦略」は早いうちに食い止めなければならない。さもなければ不作為が中国の野心を拡大、膨張させる。成功体験が次の行動を大胆にさせ、挙句の果てには取り返しのつかない大惨禍を招きかねない。「サラミ・スライス戦略」に対する不作為が大戦を誘発した歴史が我々に警告を発している。

 第一次大戦後、敗戦国ドイツは約4万平方キロの領土と人口700万人を喪い、支払不能ともいえる330億ドルという過酷な賠償金を負わされた。支払いを遅延しただけでフランス軍がルール地方を占拠するなど屈辱的な目にあわされた。ドイツ国民の怒りとナショナリズムは国家社会主義ドイツ労働党(ナチ)を誕生をさせ、1933年、ヒトラーが権力を掌握する。

 ヒトラーは拡張主義でベルサイユ体制を打破し、ドイツ包囲網から脱出しようと試みる。だが戦勝国に正面切って対応するには劣勢なため、「サラミ・スライス」的行動を巧みに実践し既成事実を積み重ねて行く。

 1933年、「フランスが兵力削減に消極的」とフランスに責任転嫁して国際連盟及び軍縮会議から脱退。対応をとらぬ戦勝国の不作為を尻目に、1935年にはベルサイユ条約の軍備制限条項を破棄し、陸軍を3倍に増強し、空軍を新設した。イギリス、フランス、イタリアはストレーザに集まり対応を協議するも、結果的には黙認する結果となり、サラミ・スライス外交は見事に成功する。

 味をしめたヒトラーは1936年、列国がエチオピア事案に注目している間にラインラント進駐という大博打に打って出た。事実上ロカルノ条約の破綻である。この時、ラインラント進駐のドイツ軍は機関銃とライフルという軽武装であり、もしフランス軍が対抗措置をとったら、「尻尾を巻いて撤退せざるを得なかった」とヒトラーは参謀に本音を明かしている。だが、フランスは国内事情もあり動かなかった。

 大博打の成功は独裁者の野心を肥大化させ、事後サラミのスライス幅が徐々に大きくなる。1938年、ヒトラーはオーストリアの軍事併合を難なく成功させ、半年後には300万人のドイツ人保護を理由にチェコの西半分、つまりズデーテン地方の割譲を要求した。ここでイギリスがようやく動き出した。だが、イギリス首相チェンバレンは「これが最後の領土要求」というヒトラーの虚言に騙され割譲に同意してしまった。

 これが事実上、最後のサラミ・スライスとなる。後は、サラミを丸ごと奪っていく。舌の根も乾かない内に約束を反故にしてチェコ全土へ侵攻。その後はスターリンと独ソ不可侵条約締結を結んで、ポーランド分割に合意し、ポーランド侵攻へ突っ走った。

 ここでようやくイギリスとフランスが立ち上がったが既に手遅れだった。ノーリターンポイントを超えており第二次大戦の勃発となる。この時に至っても、ヒトラーはイギリス、フランスは共に立つまいと確信していたという。「サラミ・スライス」が小さなうちに対応しなかった不作為が生んだ不幸な戦争だった。

 ヒトラーがラインラント進駐の賭けに出た時、もしフランスが軍事的行動を起こしていれば、ヒトラーの告白通り、ドイツ軍は「尻尾を巻いて撤退」していたのであり、ヒトラーの野望も肥大化しなかったに違いない。第二次大戦もホローコストも起こっていなかった可能性もある。

 国際政治学者は「1920年代に西欧諸国はドイツに宥和すべき時に対決姿勢をとり、1930年代にドイツと対立すべき時に宥和政策をとった」と分析している。歴史的にはチェンバレンの宥和政策が酷評されているが、実はラインラント進駐の際のフランスのブルム人民戦線内閣の不作為の罪なのである。

 ここで現代に話を戻そう。冒頭の記述のように、中国はこれまでサラミ・スライスを成功させ、野心が肥大化しつつある。領有権を争っている南シナ海の岩礁を一方的に埋め立てて要塞化し、3000m級の滑走を持つ人工島を建設するまでに至った。孫建国中国軍副参謀長は、人工島の目的を「軍事的必要性」と堂々と言ってのけた。

 アナロジックに言えば、南シナ海の岩礁埋立ては、「ヒトラーのラインラント進駐」に匹敵する。オバマ政権の不作為が生んだサラミ・スライスの成果物だが、ここで不作為を決め込むと、取り返しがつかなくなると歴史の教訓は警鐘を鳴らす。

 これまでオバマ政権は中国に対しては一貫して宥和的であった。だが、最近になってようやく米国の有識者層の中でも「サラミ・スライス」の底意に警告を発する者が出てきた。

 今年2月、米国で出版された一冊の本が話題を呼んでいる。「100年のマラソン(The Hundred-Year Marathon: China’s Secret Strategy to Replace America As the Global Superpower)」である。

 中国共産党政権は1949年に樹立されたが、100年後の2049年までに中国はアメリカにとって代わって世界の覇権国になることを長期戦略としている。この秘匿された長期戦略のもと、一貫した政治、外交、経済、軍事の政策を遂行しており、2049年には世界の覇権を握るというものである。

 筆者のマイケル・ピルズベリーは国防総省で約40年間、中国を研究してきた中国研究の第一人者である。4〜5年前までは、対中国協調派を自認する「パンダ・ハガー」の中心人物だった。米国の対中国関与政策立案の牽引車でもあったピルズベリーが「中国に騙されていた」と激白し、「中国の野望」には「ほとんどのアメリカ人が全く気がつかなかった」と自責の念を込めて述懐しているのだ。

 「100年のマラソン」に引き続き、3月には外交問題評議会(CFR)が「中国に対する米国戦略の転換(Revising US Grand Strategy Toward China)」という報告書を公表した。CFRは権威ある外交専門誌「Foreign Affairs」を発行しており、米国の外交政策を論ずる総本山である。

 報告書では「米国は対中戦略を根底から変えなければならない」と述べ、米国が「アジア・太平洋諸国との経済的紐帯を強める」と共に「国防予算の削減を辞めて直ちに軍備を増強すること」「中国包囲網を構築する戦略を力強く推進」することなどを提言している。

 中国の「サラミ・スライス戦略」で最もダメージを受けるのは日本なのである。南シナ海は日本の生命線とも言うべきシーレーンが通っている。南シナ海の制空権、制海権を握られると、日本は中国の要求に唯々諾々と従わざるを得なくなる。冊封体制に組み込まれるわけであり、中国の思う壺なのだ。

 米国防省は改定した国家軍事戦略で国際秩序を覆す国として、既に中国を名指ししている。日本こそ中国を脅威対象と認め、安全保障議論の前提としなければいけない。現在の国会の議論も、中国に気兼ねしてか脅威対象とすることに躊躇しているため、隔靴掻痒の議論となって漂流しているのだ。

 拙稿「日本は弱い、その自覚がなければ中国に負ける」(2014.5.1)でも指摘したが、「日本の平和と安全は一国では確保」できない。中国に対し、世界の覇権国となる野望を断たせるには、何としてでも米国の力を借りなければならない。安全保障は、何より冷静に「弱さを自覚」することが第一歩である。

 日本は核も攻撃力も持たない。情報もほとんどが米国頼りである。貿易立国日本の生命線であるシーレーンも事実上、米海軍第7艦隊に守られている。自衛隊装備の大部分が米国の軍事技術に依存している。是非善悪は別として、日本の平和と安全は日米同盟に頼らざるを得ない。

 また、厳しい国際情勢に背を向けて、日本だけが脅威の圏外にあり、平和と安寧を貪ることなどできはしない。お花畑のような「一国平和主義」「空想的平和主義」は今こそ唾棄しなければならない。

 中国は「力の信奉者」である。相手が弱ければ強く出るし、強い相手であれば静かに時を待つ。相手が強いと下手に出、弱みを見せると力をむき出しに強面に出る。現段階では、米国は依然強力な軍事力を保有しており、中国が最も避けたいのは米国と事を構えることである。

 中国の南シナ海での人工島建設はヒトラーの「ラインラント進駐」である。この段階で毅然と対応すること、それが将来の戦争を抑止することになる。これができるのは米国しかいない。だが、もはや米国でも一国では手に余るのも事実である。

 オバマ大統領の「世界の警察官」辞任発言など、米国の「引きこもり」傾向は、テロとの長い戦いによる厭戦気分と同時に、同盟の負担を負いきれぬ財政事情があるからだ。ならば負担や役割を日本が分かち合うことだ。日米が負担や犠牲を分かち合い、共に中国に立ち向かうしかない。ここに今回の「平和安全法制」制定の必要性があり、急がねばならない理由があるのだ。

 これまでの国内の議論は、もっぱら米国の戦争に「巻き込まれる」ことをいかに避けるかが中心課題となってきた。この化石のような命題は、もはや現在の国際情勢と大きくかけ離れている。引きこもろうとする超大国アメリカをいかに「巻き込む」かという知恵が今、日本に求められているのだ。

 そのためには憲法の許す範囲で集団的自衛権行使を認め、米国と一緒になって中国の邪な野望に対峙すること求められている。外交に関心を失いつつある米国を「巻き込んで」、中国への関与の意志を持続させることは日本の国益そのものなのである。

 中国が米国にとって代わって世界の覇権国になるという長期戦略に、最も障害となるのは日米同盟である。「中国にとって最も都合のいい日米同盟は、ここぞという絶妙の瞬間に同盟が機能しないことだ」と中国の高官が語っている。奇しくも高官の言葉が日米同盟の重要性を示唆している。

 中国の野望に対する最大の抑止は、日米同盟が「絶妙の瞬間」にも機能するところを目に見える形で示すことである。そのためには、切れ目のない安全保障法制を整備し、新しい日米ガイドラインを機能させて日米同盟の盤石な姿を見せ付けることが必要なのである。

 現在、国会での安全保障法制の議論は、舵の壊れた船舶のように漂流してしまっている。この最大の原因は「脅威認識」そして「何のために」「何故今」という根本の議論が欠けているからだ。もう一度歴史を振り返り、国際情勢から目を逸らすことなく真摯に目を向け、21世紀の我が国の安全をどう確保するかという本質的な議論に立ち返るべきだ。

 国際社会では、「政争は水際まで」が常識だ。安全保障を決して政局にしてはならない。「ラインラント進駐」に即座に対応しなかった不作為によって、3000万人もの犠牲者が生じる大戦が生起し、人類最悪のホローコストも防げなかったことを今こそ思い起こすべきである。

2015年7月9日付 『JB press』より転載

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