事前準備はあって当然、問題は内部文書の流出
−日本の安全を損なう野党の論理矛盾と与党の右往左往ぶり−

政策提言委員・元航空支援集団司令官  織田 邦男

orita 8月11日、参議院特別委員会で小池晃共産党議員は、防衛省統合幕僚監部が今年5月末に作成した内部資料を暴露し、審議が中断した。お盆明けの19日、審議は再開したが、同議員が「成立前の検討は許されない」などと批判して審議は紛糾した。

 民主党の枝野幸男幹事長も17日、統合幕僚監部が安全保障関連法案の成立を前提とした資料を作成していたことに関し、「参院(特別委員会)での集中審議や衆院の予算委員会で問い正さないといけない。党首討論も必要だ」と国会内で記者団に述べていた。

 何事が起こったのかと、筆者も今回の資料を早速入手してみた。だが、血相を変えて非難するようなものでは全くないし、拍子抜けするものだった。まさに法案への反対運動を盛り上げる為の非難であるとしか思えない。

 資料は統合幕僚監部が安保法案の内容を部隊指揮官に説明するテレビ会議用に作成したものであった。「『日米防衛協力のための指針』(ガイドライン)及び平和安全法制関連資料について」という標題であり、法案が施行されたら、速やかに任務遂行が可能になるよう、今後、何を検討し、何を準備すべきかという、主要検討事項を整理したものにすぎない。

 検討事項についても、「現行法制下で実施可能なもの」と「法案の成立を待つ必要があるもの」を弁別し、「フライングだ」「先取りだ」と言われないよう慎重に配意されている。どう見ても「実力組織の『暴走』が許されない」(東京新聞)と非難されるような代物ではない。

 防衛省だけではない。所管省庁が法案成立後の対応を、あらかじめ検討し、準備するのは当然である。そもそも自衛隊は有事即応が求められ、法律が施行されたその日から任務完遂を求められるからなおさらだ。国家の平和と独立を守り、国民を守る組織が、事が起きてから「準備がまだ出来ていません」と云うことは許されない。

 阪神淡路大震災での初動対応のまずさを追求されて、当時の村山首相は「何しろ、初めてのことじゃからのう」と言った。だが「最後の砦」である自衛隊には、そんな能天気な言葉は決して許されないのだ。

 東日本大震災で津波により予備電源を喪失し、メルトダウンに至った福島原発事故を「想定外」と言った人もいる。だが自衛隊には「想定外」という言葉はない。考えられないことを考え、あらゆること想定し、法律の許す範囲で準備をしておくのが自衛隊の責務である。

 法案の全容が明らかになった時点で、部隊指揮官と認識を共有し、法案が施行された場合のことを想定し、現法制下で準備できることを準備し、検討すべき事項を自衛隊の衆智を集めて列挙、整理するのは当然である。むしろそれを怠るようでは、「職務怠慢」の謗りは免れ得ない。

 資料に関し、枝野氏は「一般的なシミュレーションのレベルを超えている」と指摘した。だが、資料を見れば氏の発言が国民をミスリードするものであることは一目瞭然である。「シミュレーション」でも何でもなく、現行法制下で準備すべきこと、法案成立後、速やかに実施すべき「検討事項」等について整理したものでしかない。

 一部メディアは「安保法案に伴う、対米支援の具体的な内容が含まれている」(朝日)などと述べている。だが、これも悪意に満ちた「印象操作」の類であり、正確ではない。今後検討が必要になる可能性のある主要検討項目を列挙したに過ぎず、具体的内容については立ち入っていない。これから「何を検討する必要が出てくるか」という「頭の体操」に過ぎないのだ。

 これらの「頭の体操」は、イラク派遣など特措法で活動するときも同様に実施してきた。筆者は航空幕僚監部防衛部長として航空自衛隊のイラク派遣準備にも携わった。この時もほぼ同様であった。

 イラク戦争は2003年3月20日に始まった。一週間後、陸海空三幕の防衛部長が内局に集められ、「今度は、国際協力活動として自衛隊がイラクに派遣される可能性があります。各幕でしっかり準備してください」と指示を受けた。筆者は着任直後だったが、これが最初の大仕事となった。

 今回の資料のように、先ずは検討すべきことの案出から準備は始まった。あらゆることを考え、要検討事項を列挙していく。そして現行法制下でも実施可能な検討と、法律が出来てから実施するものに弁別し、検討時呈に概略の目安を付けていくわけだ。

 その後、部隊指揮官を空幕に集合させ、情報の共有を図った。派遣されるのは部隊であり、部隊抜きで準備作業は実施できない。派遣される側と一緒になり、航空自衛隊あげて英知を結集しなければならないからだ。これが今回の統合幕僚監部による部隊長説明の会議に該当する。

 当時は、統合運用はまだ実施されておらず、テレビ会議ではなく、直接部隊長を空幕に招集して説明会を実施した。10数名の将官が空幕に集合するので、メディア各社は何事かと訝り、筆者の元に取材に来た。

 筆者は取材に応じ、将来イラク派遣の可能性があるかもしれず、事前に「頭の体操」をしておく必要がある。このための会議だとメディアには説明した。メディアもそれは当然だと納得し、一片の記事にもならなかった。

 イラク派遣など過去の事例から、メディアは今回もこういう会議が事前にあるのは分かっていたはずである。それなのに何故「統合幕僚監部が国会の議決より先走って自衛隊の活動拡大を検討していたとしたら、文民統制上の問題は大だ」(東京)という記事になるのだろう。国民が確かめないことを良い事に、事実とは異なる記事を書くなど「社会の公器」を放棄したマッチポンプにしか過ぎない。

 文書の何処を見ても「国会の議決より先走って自衛隊の活動拡大を検討」しているなどとは読めない。「赤旗」は日本共産党の機関紙であるから仕方ないにしても、日本を代表する新聞が「自衛隊の資料―国民に伏せられた事実」(朝日)、「自衛隊内部資料 活動拡大先走りを憂う」(東京)など、デマゴギーを繰り返し、自衛隊を出汁に使って安全保障を政局にしようとする姿勢には失望を禁じえない。「成立後に向けた検討は当然だ」(読売)、「自衛隊の事前検討 切れ目なき備えは当然だ」(産経)といった客観的で冷静な記事もみられるのが救いではあるが。

 イラク派遣に関して続けると、国会での特措法の審議が始まっても、準備は満足には進まなかった。特に現地調査(サイト・サーベー)は部隊派遣準備には欠かせない。だが、これだけは法律が成立しないと実施出来ない。それこそ「軍の先走り」と言われかねない。

 一日も早く現地を調査して必要な情報を入手し、それに基づく訓練をじっくりやらせたい。隊員達のリスクを軽減する方法はまさに「装備と訓練」に帰するのだが、これができない状況にヤキモキしたのを昨日のように思い出す。

 2003年5月23日、クロフォードでの小泉・ブッシュ会談で小泉首相は「自衛隊を派遣する」と明言した。もういいかと、現地調査を申し出たが、ここでも却下された。結果的に2ヵ月後の7月26日、イラクの特措法が成立してようやく現地調査が実施できた。

 現地での実地調査で得た貴重な情報を基に、急速練成訓練を実施し、年明けの1月22日にC―130を出発させ、3月3日からイラクにおける航空輸送任務が開始できたのである。

 装備を整え、訓練を周到にして技量を高め、必要な準備をすることが、隊員にとって「リスク」を軽減する唯一の方法である。恒久法になると、事前訓練が十分でき、必要な装備品も事前に取得できるので、リスクは確実に減る。この意味からも恒久法を制定する今回の法案は自衛隊にとって大きな改善といえる。

 この法案審議でも「隊員のリスク」が議論の俎上に上った。「隊員のリスク」が増えることを攻撃材料にしていた野党やメディアが、一転して「リスク」を軽減するための「事前準備」を再び攻撃材料に使う。自衛官は決して言葉に出さないが、余りのご都合主義に呆れているに違いない。

 今回の文書の内容など、理解できる国民は多くない。それをいいことに、「自衛隊=軍=独走する恐ろしい存在」とのステレオタイプなイメージ操作を行い、国民に恐怖を抱かせ、「平和安全法制関連法案」を「戦争法案」と印象付けて廃案に持ち込もうとする。まさに自衛隊を出汁に使って安保法制の反対運動を盛り上げたいという底意が見え見えであり、憤りさえ感じる。

 こういう言われなき非難が自衛隊を萎縮させ、やるべきこともやれず、結果的に自衛隊のリスクを高めることにならないか心配である。

 自衛隊にも猛省を促したい。秘密の資料ではないとはいえ、内部資料が易々と部外に漏れるようでは同盟国の信頼を失い、作戦などできないことを肝に銘ずるべきである。

 防衛大臣の答弁も「その場しのぎ」で拙劣であった。文書を突きつけられてあわてたのもあるのだろう。「文書の存在は知らない」と述べ、深い思慮もなく「法案が成立してから検討すべきであり、先取りして検討することは控えるべき」と答えてしまった。

 これだと自衛隊は委縮するだけだ。現行法制下でできる検討までするべきではないと誤解されても仕方が無い。19日には一転して「指示してやらせた」と述べた。だが、「言葉足らず」の答弁は国民の信頼を更に失うだけである。

 「事前準備」が「隊員のリスク」を減らす「王道」であることは、元自衛官である大臣が最も良く知っているはずだ。だからこそ、もう少し慎重に答弁すべきだった。

 安保関連法案を廃案に持ち込むだけの理屈の通らない批判や攻撃には、今回のようなトラップが仕掛けられていることが多い。軽々に答えるのではなく、過去の事例も踏まえ、深慮遠謀を巡らせた上で、毅然と答えるべきだろう。ただその答弁の中心は、あくまでも、この法案がいかに抑止力を高め、危機を回避するかを国民に理解してもらうことだということを忘れてはならない。

2015年8月24日付『JB press』より転載

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