尖閣諸島、やってはいけないこと、やるべきこと
−安易な自衛隊投入は国の破滅、先ずは海保の強化を−

政策提言委員・元航空支援集団司令官  織田 邦男

orita 昨年9月、可決成立した安全保障関連法案が3月に施行される。政府・与党は昨年、この法案を第189回通常国会の最重要法案と位置づけ、95日間という戦後最長の会期延長をしてこれに臨んだ。だが、大山鳴動のわりに本質的議論は最後まで盛り上がらなかった。

 特に奇異に感じられたのは、我が国の取り巻く安全保障情勢の議論なく、憲法論議に終始したことだ。国際情勢の議論なく、安全保障を論議する国は、世界広しといえど、日本だけだろう。また憲法論議から安全保障法制に入るのも順序が間違っている。

 最近の南シナ海における岩礁埋め立て、軍事基地化などでも明らかなように、「力による現状変更」を企てる中国に対し、我が国がどのように認識し、どう対応すればいいのか。北朝鮮の独裁政権と核、ミサイル開発に対し、如何にすれば東アジアの平和と安定は保たれるのか。このような根本的な議論はほとんど行われなかった。

 安全保障の前提となる国際情勢の議論を欠いたまま、法案が提出されても、国会の論議は深まらないし、国民の理解は得られない。まるで空腹を覚えていない人に、フランス料理のフルコースを勧めるようなもので、満腹感(拒否感)だけが先に立つ。その結果が「戦争法案」「徴兵制」といった「レッテル張り」と「揚げ足取り」低劣な議論だった。

 2月19日、民主党や共産党など野党5党は、来月施行される安全保障関連法について、憲法違反であり認められないとして、法律廃止の法案を衆議院に共同で提出した。これも「国際情勢の議論なき安保法制」の後遺症に違いない。

 今回の安全保障法案を廃案にし、代替法案を提示しないということは、理屈的には、現下の国際情勢にあって、現行法制が最善と云うことになる。だが、本当にそうか。

 中国の台頭と傍若無人化、そして北朝鮮の核武装と朝鮮半島の不安定化への対応は、まさに21世紀の国際社会の課題ともいわれる。最も影響を受けるのは日本である。こういう現実を直視せず、現行法制が最善とはブラックジョークとしか思えない。

 今からでも遅くはない。「廃止法案」提出を好機として、是非、国際情勢の議論を国会で一から始めてもらいたい。

 2月18日、民主党と維新の党は、領域警備法案、そして周辺事態法改正案、国連平和維持活動(PKO)協力法改正案の三法を共同提出した。メディアは「昨年9月に成立した安全保障関連法の対案と位置付ける三法案」と報じている。だが、中身を一瞥する限り、断片的であり包括的な安保関連法案の「対案」とはなりえない。

 とはいえ、安倍内閣が現行法制の「運用でカバーする」として、手を付けなかった「グレーゾーン事態」について、「領域警備法案」として法案化したことの意義は積極的に認めたい。

 この法案について、ウエブサイトで概要を次のように説明している。
「領域警備法案は、離島などわが国の領域で武力攻撃に至らない、いわゆる『グレーゾーン事態』が生じたとき、警察機関や自衛隊が適切な役割分担のもとで迅速な対応を可能とするためのもの。海上保安庁が平素から行う警備を補完する必要がある場合に自衛隊が海上警備準備行動を行うことや、領域警備区域を定めた上で、その区域内で治安出動や海上警備行動等に該当する事態が発生した場合には、あらためて個別の閣議決定を要せずに、迅速にこれらの行動が下令できるようにすること等を定めている」

 この法案を読んで二つの懸念が浮んだ。
 一つ目は、グレーゾーン事態における自衛隊の投入を安易に考えているのではないかという懸念である。

 グレーゾーン事態とは、たとえば漁民に扮した武装民兵が尖閣諸島周辺の領海を侵犯したり、上陸を企て占拠したような事態だ。つまり、「警察事態か防衛事態か」「犯罪か侵略か」が明確でなく、「法執行か自衛権行使か」「武器の使用か、武力行使か」に迷う事態である。

 このような事態に対し領域警備法案では、先ずは法執行機関として海上保安庁や警察が対応する。それで対応できない場合、自衛隊が海上警備行動、あるいは治安出動を根拠に投入されるという構想である。この考え方は、基本的には安倍政権の考え方と同じである。

 だが筆者は、与野党問わず、自衛隊の投入自体の考え方が、そもそも安易すぎるのではと懸念している。自衛隊は国際的には軍隊である。軍隊は最後の手段であり、軽々に投入すべきではない。しかも、海上警備行動、治安出動は「警察権」の行使であり、法執行の補完である。従って投入される自衛隊の権限も警察権行使に縛られる。

 米国の連邦軍も領域内での法執行は米国憲法で禁止されているように、最後の手段としての自衛隊は、基本的には法執行には投入すべきではない。軍とは国内法が及ばないところで活動する武力組織なのだ。

 ギリギリまで、つまり相手が正規の軍隊を投入し、自衛権行使の必要性が出てくるまでは自衛隊は出動させるべきではないし、またしてはならない。まして警察権行使に限定という手足を縛ったまま自衛隊を投入することなぞ、百害あって一利なしである。

 尖閣諸島をめぐる小競り合いで、先に自衛隊を出すことは中国に口実を与えるだけであり、中国の思う壺でもある。中国の戦略の基本は「不戦屈敵」、つまり「戦わずして勝つ」である。「三戦」(心理戦、世論戦、法律戦)を巧みに駆使し、徐々に既成事実化を狙う「サラミ・スライス戦略」を採っている。

 中国は実力を行使する場合でも、相手が軍を投入しない限り、軍の投入は控え、海警局の公船や漁船員を装った武装民兵などを使う。軍隊を使わない準軍事的作戦であるため、米国ではこれをPOSOW(Paramilitary Operations Short of War)と呼んでいる。

 今のところ中国は、米国とは戦っても負けるため、米国とだけは事を構えようとはしない。米国が「尖閣は安保条約5条の対象」と言う限り、中国は海警局の公船や武装民兵を投入することはあっても、先に人民解放軍を投入することはしない。

 海警や民兵の挑発行為に対し、仮に海上保安庁では手に負えないからといって、先に自衛隊を投入すれば、この時とばかりに「世論戦」を行使するに違いない。「日本軍の先制攻撃に対する自衛のため、やむを得ず人民解放軍を投入」という「世論戦」には、国際社会でシンパシーを生むかもしれない。

 これに同情する米国世論が高まれば、日米同盟が機能しなくなることも十分ありうる。中国の高官は「我々にとって最良の日米同盟は、ここぞという絶妙の瞬間に機能しないことだ」といっている。そうなれば中国の思う壺である。米軍なしの「ガチンコ勝負」では日本に勝ち目はない。当然、中国はその機会を狙っている。

 では、海警や民兵の行動が、海保の能力を超える場合はどうするのだ。自衛隊を投入しないで「海保を見殺しにするのか」というのが二つ目の懸念事項だ。筆者の主張は、先ずは海保の強化を図るべきということだ。だが、今回の領域警備法では海保の任務や能力強化については全く触れられていない。

 中国はPOSOW遂行のため、海警局の公船を充実、増強している。公船とはいえ、ほとんど軍艦に近い。既に1万2000トンの公船を建造中であり、ドイツから既に8隻分のエンジンを調達しているという。公船とはいえ79ミリ機関砲で武装している。他方、海保の巡視艇の火力は20ミリと30ミリのみである。

 海保はこれまで、少人数で事実上の「領域警備」任務を涙ぐましい努力で遂行してきた。国民の一人として心から感謝と敬意を表したい。だが、法的には「領域警備」は海保の任務ではないことを知る国民は少ない。

 海保の任務は海上保安庁法第二条に次のように定められている。
「海上保安庁は、法令の海上における励行、海難救助、海洋汚染等の防止、海上における船舶の航行の秩序の維持、海上における犯罪の予防及び鎖圧、海上における犯人の捜査及び逮捕、海上における船舶交通に関する規制、水路、航路標識に関する事務その他海上の安全の確保に関する事務並びにこれらに附帯する事項に関する事務を行うことにより、海上の安全及び治安の確保を図ることを任務とする」

 このように海保の任務は「海上の安全」と「治安の維持」であり、主権防護の意味合いの強い「領域警備」の任務は厳密に言えば付与されていない。にも関わらず、日夜涙ぐましい努力をしながら、事実上の「領域警備」にあたっているのだ。

 2010年、中国漁船(民兵とも言わている)が海保巡視艇に体当たりした。船長を逮捕、拘束したものの、処分保留で送還という苦い体験をした。これ以降、海保は尖閣諸島専従部隊12隻、約600人体制という少数精鋭で日夜、「領域警備」にあたっている。

 「領域警備」は最も蓋然性が高く、かつ必要性があるにも係わらず、安保関連法案では触れられなかった。早急な整備が求められるところである。その際、自衛隊投入に関する規定より、先ずは海保の任務を是正し、装備、能力ともに強化することを優先すべきである。

 今回の「領域警備法案」には、この観点は全くない。せっかくの「領域警備法案」が画龍天晴を欠くものになっているのは極めて残念である。

 世界の沿岸警備隊(コーストガード)は軍に次ぐ準軍事組織として位置づけられている。米国沿岸警備隊は国土安全保障省の傘下にあり、連邦の法執行機関である。同時に領域警備及び捜索救難等を任務にし、米国の第5の軍として位置づけられる。

 「海上の安全、治安の維持」はもちろんのこと、領域警備、臨検活動、船団護衛等の任務も遂行している。保有する船舶は76mm砲やCIWS(Close In Weapon System)などを装備し、船体構造も抗堪性の高い軍艦構造(海保の場合、商船構造)となっている。

 日本の海上保安庁の場合、1948年、マッカーサー占領下で創設されたため、再軍備ととられぬよう、あえて、海上保安庁法第25条により軍隊としての活動を認めていない。従って準軍事組織として運営されている他国のコーストガードとは法制上は一線を画している。

 海保の保安官も、あえて軍隊ではないことに誇りを感じている人もいるという。それはそれで結構であるが、事実上、任務の拡大解釈によって「領域警備」を涙ぐましい努力で実施しているのであれば、政治は現実を直視し、法律を整え、装備を充実させ、任務を完遂できるようにしなければならない。

 自衛隊法80条により有事の際は、海保組織の全部または一部を防衛大臣の指揮下に置くことを認めている。だが、グレーゾーン事態は防衛出動前の「平時」の事態なのである。

 海警局の公船や武装民兵を相手にしても、自衛隊を出動させず、独自で対応できるよう海保を強化することが喫緊の課題として求められている。切れ目なくグレーゾーン事態に対応するには、海保の任務遂行能力強化を前提とした「領域警備法案」こそ規定すべきなのだ。

 誤解を避けるため、あえて言うが、グレーゾーン事態で自衛隊が行動できる法改正が必要でないといっているわけではない。グレーゾーン事態のように武力攻撃事態ではないが、自衛権の行使が必要になる場合(これまで「マイナー自衛権」と言っていた)、状況によっては間髪を入れず自衛権を行使(警察権ではない)できるようにしておくことは欠かせない。その態勢を整えた上で、最後の最後まで自衛隊を投入しないことが重要なのだ。それこそが紛争を抑止し、事態の悪化や拡大防止の最善の策となる。

 ちなみに「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告では、「マイナー自衛権」という言葉は「国際法上未確立。国連憲章51条の自衛権の観念を拡張させていたるとの批判を招きかねない」として使用しないとした。

 その一方で「各種の事態に応じた均衡のとれた実力の行使も含む切れ目のない対応を可能とする法制度について、国際法上許容される範囲で、その中で充実させていく必要がある」と法整備の必要性を明記している。

 この法整備をしないまま、「警察権」行使だからといって安易に自衛隊を出動させるのは避けるべきである。それこそ将来に禍根を残すことになりかねない。これは「運用でカバーする」とした安倍政権の課題でもある。

 菅義偉官房長官は12日の記者会見で、沖縄県・尖閣諸島周辺の領海に中国軍艦が侵入した場合、海上警備行動を発令して自衛隊の艦船を派遣する可能性があるとの認識を示した。政府は既にこうした方針を中国側に伝達したという。

 「軍には軍を」ということは国際的な常識である。今回の措置は抑止力にもなるだろう。だが、「海上警備行動」を根拠にするのはいただけない。「外国軍」に対し、国内の「警察権」は通用しない。手足を縛られて苦労するのは海上自衛隊である。だが、現実的には「海上警備行動」しか根拠がないのも事実である。まさに政治の怠慢がここにある。

 民主党と維新の党の良識ある議員達によって、「領域警備法案」が提出された。未だ不十分な内容ではあるものの、与党はこれを無視するのではなく、これを奇貨として議論を進め、安保関連法案の穴を埋めてもらいたい。

2016年2月24日付『JB press』より転載

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