【特別寄稿】
イスラム教の「反近代」主義試論
拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 2015年1月7日、フランス・パリで風刺週刊紙『シャルリー・エブド』(Charlie Hebdo)本社襲撃事件が起きた。同紙は、過去にしばしば預言者、ムハンマド(マホメット)に対する風刺画を掲載し、物議を醸した経緯がある。
 容疑者3人は、現地時間午前11時30分頃、12人(風刺漫画家4人を含む)を殺害した。同紙は当日、編集会議を行っていたという。
 実行犯はアルジェリア系フランス人のサイド・クアシ容疑者(34歳)とシェリフ・クアシ容疑者(32歳)の兄弟であった。もう1人は、18歳のハミド・ムラド容疑者である。最年少の彼は、同夜、警察に出頭した。
 事件後、クアシ兄弟は逃亡し、パリ北東約40キロの印刷会社に人質をとって立てこもった。一方、別の容疑者グループ、アメディ・クリバリ容疑者(32歳)とアヤト・ブメディアン容疑者(26歳)が、パリ東部ポルトドバンセンヌ付近のユダヤ系スーパーマーケットにやはり人質をとって立てこもっている。
 1月9日夕方、仏特殊部隊は、容疑者グループの立てこもる2ヶ所を同時制圧した(クアシ兄弟は「殉教」のためか、自ら印刷会社の建物から出てきて撃たれたという)。その際、容疑者3人とスーパーマーケットの人質4人が死亡している。なお、同スーパーからアヤト・ブメディアン容疑者は逃げた。
 今回、事件の背景として、イスラム系フランス人2世・3世が、フランス社会で疎外され、不満を持った上での「犯行」だったかもしれない。
 オランド仏大統領は、この事件後、すぐに「狂信主義とイスラム教は別だ」とし、民主主義社会における「自由」(言論の自由・表現の自由)の重要性を強調した。各国首脳や世界のマスコミも、この「テロ事件」に対して「自由」への挑戦として、強い怒りを表明したのである。
 言うまでもなく、我々は「近代化」された国家に住んでいる。従って、今度のような言論の自由・表現の自由に対する「テロ事件」は絶対に許されざる行為だと考える。それは自然な反応であろう。
 しかし、同事件を狂信的「イスラム過激派」の起こした「テロ事件」対「近代化」された国家・国民が信奉する「自由」という単純な構図では捉えきれない側面がある。
 あるいは、「宗教の尊厳」対「表現の自由」という図式も矮小化され過ぎていないだろうか。このような単純化された二分法では、事の本質を見失う恐れがある。
 そもそも、近代」は宗教と政治が分離されたところから始まった。「近代化」とは、即ち「政教分離」である。同時に、「世俗主義」でもある(さらに、太古から存在した「共同体」の解体過程とも言えよう)。
 「近代化」された国家では、聖職者でない限り一般の人々(=俗人)は、いくら神や仏を心の中で厚く信仰していても、常に神仏と共にあるわけではない。
 けれども、殆どのイスラム教徒は、コーランやイスラム法(「シャリーア」)等に従い、四六時中、神と共に生きている。そのため、毎日の礼拝は怠らない。
 イスラム教徒には、「政教一致」こそが理想の世界である。換言すれば、彼らにとって「近代化」された「世俗主義」は人間の「堕落」に他ならない。
 また、イスラム教徒は、その連帯を説き、イスラム共同体である「ウンマ」を維持しようとする(因みに、悪名高い「イスラム国」は、イスラム教徒が連携した「ウンマ」を国家にまで昇華させようとしている)。
 従って、善悪は別にして、イスラム教の本質は、「近代」に背を向けた「反近代」主義にあるだろう。この点は強調しても、し過ぎることはない。
 既述の如く、イスラム教徒は「近代化」(=「政教分離」)を人間の「堕落」と見做す。例えば、近年、世界各国で行われつつある同性婚やトランスジェンダー(性転換)などは、神の教えに背く行為である。
 また、今回、事件の起きたフランスでは、近年、公共の場での女性のブルカ着用を認めていない。イスラム教徒からすれば、これは神に対する背信行為である。イスラム教は(内面はともかく)外面的行動規範が厳しい。
 以上のように、イスラム教徒は「堕落」した「近代」を否定する。彼らには、この「近代化」(=「世俗化」・「堕落化」)した人間が描く預言者、ムハンマドに対する風刺画など、絶対に許しがたいはずである。
 だから、大半のイスラム教徒は「近代」の「自由」主義(言論の自由・表現の自由)に基づく、その風刺画を受容できない。彼らにとって、ムハンマドを冒涜する行為は、神への冒涜と同義であり、当然、イスラムの教義「ジハード」(「聖戦」)の対象となるだろう。
 今度の事件を受けて、ある研究者は、「被害者はフランスに住む他の(穏健な)イスラム教徒だ」と主張している。だが、果たして本当にそうだろうか。
 イスラム教徒は、穏健であろうとなかろうと、常時、神と共に生きている。イザとなれば「世俗化」・「堕落化」した勢力に対し、敢然と立ち上がるだろう。彼らは「ジハード」(我々からすれば「テロ」)で死ぬことを恐れていない。キリスト教の天国にあたる「緑園」へ行けると信じているからである。
 従って、これからも一部のイスラム教徒が、場合によっては「イスラム過激派」となり、世界で「テロ事件」(彼らにとっての「聖戦」)を起こす可能性を排除できないのである。
 ましてや中国の習近平政権などは、新疆・ウイグル自治区で苛酷なイスラム教弾圧を行っている。このような「前近代」的国家では、イスラム系住民による「テロ事件」が起こる公算が大きい。
 実際、2013年10月、天安門でウイグル系とみられる3人が自動車による「自爆テロ事件」を引き起こした。爾来、中国ではウイグル系住民による「テロ事件」が急増したことを見ても、それは明らかである。
 今後、「近代化」された国家・国民が、いかに「反近代」主義を掲げるイスラム教徒と折り合いをつけて、平和裏に共存して行くかが、世界的に重大なテーマだろう。



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