澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -17-
「中国史観」の教科書改訂に反発した台湾の学生達
政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 台湾では、今年7月、教科書改訂をめぐり学生運動が再燃した。学生らは、当局による「中国中心史観」(以下、「中国史観」)への回帰が著しいとして、反発を強めている。
 台湾が民主化して以来、「中国史観」が退潮し、「脱中国化」・「本土化」が進んだ。本省人(=台湾人)である李登輝総統時代(1988年〜2000年)・陳水扁総統時代(2000年〜2008年)に、台湾では「本土化」が加速し、『認識台湾』等の「台湾中心史観」の教科書が学校で使用されるようになった。
 ところが、外省人(=在台中国人)の馬英九が総統(任期は2008年〜2016年)になり、台湾が「中国一辺倒」に傾いた。よく知られているように、馬政権は最終的に「中台統一」を目標としている。
 馬総統ら一部外省人は、台湾がこれ以上「本土化」されると「中台統一」が更に遠のくと考えたに違いない。そこで、馬は総統当選後、高校の教科書(国文・歴史・地理・公民)の(小幅ながらも)改訂を目指したのである。
 具体的には、歴史教科書のどの部分が改訂される予定なのか。
(1)日本の「台湾占領時代」を「植民地政府時代」へと変更する(換言すれば、日本による台湾政策の“光の部分”を否定)。
(2)戦後、日本が台湾を放棄した際、GHQによって「中国(中華民国)は台湾の統治権を与えられた」という部分を「台湾
  は中国(同)へ返還された」に直す(台湾の「国際法上の地位は未定」が通説)。
(3)国民党による台湾統治の初期に起きた「2・28事件」を大した事件ではないとして扱う。
(4)国民党の本省人に対する「白色テロ」を小さく記述する。
(5)以前の教科書には載っていた民主化の象徴的英雄、鄭南榕(1989年4月、焼身自殺を遂げる)に関する記述をなくす等である。
 実は、2009年、馬英九総統は、王暁波・世新大学教授(江西省鉛山県生まれの外省人。「中国統一連盟」副主席を2001年〜2013年まで務めた)を教育部(文部省)の「歴史教科書改訂グループ」へ送り込んだ。
 かつて王暁波教授は「2・28事件」の2万人虐殺は“小さな出来事”だとの見解を表明している。また、王暁波は、教科書に日本人による台湾人虐殺について詳述していないと指摘する。そして、王は「(臨時首都)台北から、本来の中華民国の首都、南京へ移すべきだ」とも主張している。

 ところで、昨年3〜4月の「ひまわり学生運動」は大学院生の林飛帆・陳為廷が中心となり、(2013年、国共間で締結された)「両岸サービス貿易協定」批准に反対して起こされた。結果的に、この学生運動は一般大衆の支持を受けている。
 今年7月23日、“ブラックボックス”の中で行われた高校教科書改訂に抗議するため、今回は大学生ばかりではなく、高校生も一緒に教育部になだれ込んだ。翌8月1日から“新課程”となる予定だったからである。
 その際、柯文哲・台北市長(昨年11月の統一地方選挙で、野党・民進党の支援を受けて当選)が、警察による学生らと報道関係者3人の計33人の逮捕を許した。「ひまわり学生運動」の際、当時の郝龍斌・台北市長(国民党)は立法院を占拠した学生の逮捕を見送った経緯がある。その後まもなく、柯市長は教育部を占拠した学生を逮捕しない方向へ舵を切った。
 7月30日、逮捕された学生の中の1人、林冠華(高校生)は20歳の誕生日に自宅の部屋で自殺―炭火による一酸化炭素中毒死―した(もともと林冠華は精神的に不安定だったという説もあるが、詳細は不明)。林冠華追悼集会が行われ、約300人が出席している。
 学生による抗議運動に対し、与党・国民党内では、馬英九総統、朱立倫国民党主席(兼新北市長)、王金平立法院長、洪秀柱立法院副院長(次期総統候補)の4有力者間でも意見が分かれていてまとまらない。
 一方、野党・民進党や台湾団結連盟などの「本土派」は、教科書改訂に反対し、呉思華・教育部長(文部大臣)の辞任を要求している。
 蔡英文民進党主席(次期総統候補)は臨時立法院を開催し、そこで議論すべきだと提案した。しかし呉思華・教育部長は、教科書問題は行政権の範囲内だとして、「教科書改訂に問題なし」と突っぱねている。
 問題は、台湾を統治している一部の外省人らは、依然、「中台統一」の夢を抱いている。それに対し、大半の本省人は、両岸の「現状維持」か「台湾独立」を支持している(すでに台湾は立派な“国家”なので、今さらどこから「独立」する必要があるのか疑問)。結局、両者の思想的対立が歴史教科書の“戦場”となっている。今後、抗議運動の行方は予断を許さない。



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