澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -138-

中国の「新常態」VS修正「リコノミクス」


政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 今年7月22日、李克強首相は北京で6国際機関トップらと協議し、その後、記者会見を開いた。その際、李首相は、中国が深刻な長期的景気後退に陥っているのを認め、「中国は今も新興国であり、世界経済で重い責任を負うことはできない」と明言した。
 実は、最近、中国では、習近平主席と李克強首相の経済政策をめぐって、その対立が先鋭化している。
 2013年、習近平主席は「新常態」(ニューノーマル)を打ち出した。さらに、2015年暮れ、習主席は「サプライサイド経済学」を提起している。

 よく知られているように、同経済学は、供給力を強化することによって、経済成長ができると主張する。市場原理を導入して効率化を図る。いわば自由競争重視の経済学である。

 そして、減税や規制緩和を行い、余剰資金を投資や消費に回す。だが、他方では、政府・中央銀行の金融政策を否定する。

 習近平主席は、赤字続きの「ゾンビ企業」(生産性が低く、いつ倒産してもおかしくない赤字国有企業)は市場原理に任せて、どんどん整理していきたい意向を持つ。特に、中国鉄鋼業は世界の半分、米国の4倍の生産を誇るが、習主席は、赤字のひどい「ゾンビ企業」は倒産させたいと考えている。

 だが、目下、中国は景気が悪いので、「ゾンビ企業」を倒産させて整理すると、大量の失業者があふれ出す。

 また、「サプライサイド経済学」で、もし効率至上主義に陥ると、企業が、環境破壊を行っても、成長を優先する恐れがある。その場合、環境悪化が昂進するだろう。

 一方、李克強首相は、「ハード・ランディング」を回避し、持続可能な中成長の「ソフト・ランディング」を目指している。

 本来、李首相の「リコノミクス」とは、(1)景気刺激策を採らない、(2)過度な信用拡大を抑制する、(3)構造調整を行う、という3本柱だった。基本的には、習主席の唱える「サプライサイド経済学」である。

 ところが、実際には、李克強首相は金融緩和で景気を刺激し、成長を促す政策を採っている。需要力強化の「デマンドサイド経済学」に近いと言えよう。「リコノミクス」が完全に変質したのである。

 昨年前半、中国では株が高騰したが、6月にバブルが弾け、株が大暴落した。そのため、中国人投資家(約9000万人以上と言われる)が損失を被った。

 李首相は、これ以上の株の騰落を防ぐため、株式市場に介入した。その際、共産党は株式市場を死守しようとして、外貨準備高の一部を切り崩して使ったと言われる。

 また、当時、中国当局は、しばしば“サーキットブレーカー”制度を発動した。そして、一時、株の売買を全面的に停止した。

 周知の如く、“サーキットブレーカー”制度は、株式や先物取引において、ある銘柄株が一定の高騰、あるいは騰落した際、各銘柄の売買に一時的に、ストップをかけるシステムである。

 同時に、中国当局は、持ち株が5%以上の大株主に対し、半年間は株の売却を禁止した。きわめて異例である。

 当時、中国のマーケットは人意的に操作されているとの印象を世界中に与えた。そのため、習近平政権は国際社会から厳しく非難されている。

 さて、今年1月から3月にかけて、中国では、4.6兆人民元(約70兆円)の銀行ローンが貸し出されている。これは、「リーマン・ショック」の翌年、2009年の財政出動の規模を超えた。習近平主席はこの点を懸念している。

 今年5月、習近平主席側近の「権威人士」(劉鶴と言われる)『人民日報』の論文で李克強首相の経済政策を批判した。

 これは、習主席の李首相に対する不満の現れである。その中で、「権威人士」は、今の経済政策のままでは「L字状態」が続き、景気の落ち込みが回復する見込みがないと主張した。

 問題は、習近平主席の「新常態」(「サプライサイド経済学」)が、今の中国の経済状況に適合するか否かである。すべてを市場原理に任せたら、おそらく市場は大混乱に陥る公算が大きい。「ハード・ランディング」は必至である。また、大量の失業者が出れば、社会不安がさらに増大するだろう。

 だからと言って、共産党の過度な市場への介入は、かえってマーケットに混乱をもたらす。また、「ゾンビ企業」を残せば、政府の赤字はますます膨れ上がるだろう。

 このように、中国経済は大きな矛盾を抱えている。習近平政権は正念場を迎えていると言っても過言ではない。

 

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