【特別寄稿】

佐藤勝巳はわれらの同時代人

首都大学東京特任教授 鄭大均氏
tei 1 佐藤勝巳という人
 2013年12月、雑誌「朝鮮研究」や「現代コリア」の編集に長く従事し、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)の初代会長をつとめた佐藤勝巳が亡くなった。84年の生涯であった。
 佐藤勝巳のコリアとの関わりは、新潟に居住していた1958年に始まる。市内で化粧品店を営む妻の仕事を手伝いながら、「日朝協会」新潟支部の専従事務局長として朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)が展開する在日朝鮮人の北朝鮮への「帰国」運動に関与したのがそのきっかけであった。その後1964年に佐藤は上京。日本朝鮮研究新(以下「朝研」と記す)での仕事に従事するようになるが、本稿は佐藤がコリアとの関わりを始めた58年からの約十年間の人との交流の軌跡を整理したものである。
 日韓関係は今、長い「偽善と感傷」の時代を経て新しい葛藤の時代へと転換しつつある。偽善とは偽りの「善」、ないしは見せかけの「善」を意味するものであり、感傷とはその偽りや見せかけに無頓着なまま「善」に陶酔するナルシシズムのことである。60年代から70年代にかけて、日本の進歩派たちが、北朝鮮にある本物の軍事独裁国家には目を閉じたまま、韓国の朴正熙政権を極悪非道の独裁政権として批判しながら、「平和と民主主義」のナルシシズムを味わったのはその例であり、80年代以後の日韓の歴史道徳的関係において、日本からやられたことを得意気に語る韓国人が見せてくれるのは「被害者」の偽善劇であり、ナルシシズムである(浜崎洋介「福田恒存が今の日本を見たら」『文藝春秋SPECIAL』2014年7月号)。
「偽善と感傷」の時代には、当然のことながら、その仕手たちと共にそれに同調する多くの機会主義たちがおり、またそれに抗う少数の抵抗者がいる、佐藤勝巳はその抵抗者であり、好奇心にあふれ、人と交わることを好み、論争を厭わない人間であった。そんな人間がコリアとの出会いの初期において誰に出会い、何を考えていたのかを探るのが本稿の目的であるが、幸いというべきか、その遺作『「秘話」で綴る私と朝鮮』(晩聲社、2014年。以下『秘話』と記す)には佐藤の人との出会いの記憶が豊かに記されている。より早い時期に出た『わが体験的朝鮮問題』(東洋経済新聞社、1978年。以下『体験的』と記す)と『在日韓国・朝鮮人に問う』(亜紀書房、1991年)も貴重な資料で、本稿はこの3冊を主要な資料に佐藤勝巳の30代の人間関係の一端を明らかにしようとするものである。

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