【連載】台湾で愛される日本人(8

台湾に祀られる「トルコの恩人」

政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所准教授 丹羽文生
miwa 台湾との関係性
 屏東県枋寮郷隆山村という鄙びた聚落に、田中綱常なる日本人を祀る廟「枋寮東龍宮」がある。見上げるほどの大きな建物で、台湾風ではあるが、所々に日本をイメージした装飾が施されており、近所迷惑になるのではないかと心配してしまうほどの大音量で、「軍艦行進曲」、いわゆる「軍艦マーチ」がスピーカーから流れている。
 田中の名前は、日本では知る人ぞ知るという程度であるが、実はエルトゥールル号遭難事件の生存者をトルコまで送還した大日本帝国海軍軍艦「比叡」艦長として、トルコでは有名な人物である。エルトゥールル号遭難事件と言えば、日本とトルコの友好関係の始まりとして広く知られているが、それにしても、なぜ、そんな「トルコの恩人」が台湾に祀られているのであろうか。
 田中は1842年11月21日生まれの鹿児島県人である。明治維新後、大日本帝国陸軍を経て、海軍に従軍し、少将にまで上り詰めている。そんな田中は実は台湾との関係性も深い。
 最初は29歳の時である。1871年11月、宮古島から琉球王国の首里王府に貢物を納め帰途に就いた琉球御用船が、台風による暴風で遭難し、乗員69人が漂流するという事故が発生した。そのうち3人は溺死し、残った66人は台湾東南部の八瑶湾に漂着する。彼らは「牡丹社」を名乗る先住民族のパイワン族に救助を求めた。だが、言葉が通じなかったために襲撃され、54人が惨殺されてしまう。「牡丹社事件」である。

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