【講座】

敗戦後 70 周年を目前にしての絶望

政策提言委員・高知大学名誉教授 福地 惇

fukuchi緒言 敗戦後 70 周年は日本民族の愁嘆場か!
 大東亜戦争とは、「世界侵略勢力」=「欧米列強」の本流=「連合国の中核」に抵抗したという紛う方なき「自衛戦争」である。敵側の巧みで壮大な謀略に欺かれて、無理無体に追い込まれた戦争である。窮鼠猫を噛むが如き状態で、「自衛戦争」に立ち上がらざるを得なかった戦争だった。この講座で考察して来た通り、筆者にはそうとしか見えない。
 この「世界侵略勢力」の侵略行為は年季が入っている。彼らが言う「新大陸の発見」「大航海時代」からアヘン戦争までは凡そ350年間、新大陸、アフリカ大陸、南アジア、東アジアの原住民を「文明」の名のもとに散々強奪・搾取・殺戮を重ね、19世紀半ばに征服未完了は極東の日本列島の住民だけということに相成った。彼らは日本民族をどう扱うか暫し観察したのだが、何と長い歴史と文化的に纏まりのあった日本民族は、1840年代(天保年間末尾)頃から敵の利器(近代文明)を学習して、1905(明治38)年の日露戦争勝利前後から、この欧米列強に「追いつけ追い越せ」の力量を発揮し始めたわけだ。
 日露戦争に日本が勝利したとき、彼らは表向き称賛の声を放ったが、陰においては日本民族殲滅戦略を練り始めたのである。1905(明治38)年のポーツマス講和条約締結から1937(昭和12)年のシナ事変勃発までは僅かに32年間だから、今次大戦敗北後70年間の何と半分以下の時間幅である。「世界侵略勢力」は、1911(明治44)年にシナ大陸で起こった「辛亥革命」の前あたりから対日・対東アジア戦略を練り上げたと予想される。アメリカ海軍の「オレンジプラン」の開始はこの時期であった。
 そして、ロシア革命が起こり世界で初めて共産主義国家が登場した1917(大正6)年には、「世界侵略勢力」は、国際連盟結成を決定し、付帯事項の中に、日本をアジア大陸から締め出すとの決議があったという情報がある。重要機密情報は消されるか隠蔽されるので、歴史学界の歴史叙述には殆ど出ることはないものだが、筆者は大いに在り得るものと、20世紀前期の欧米の歴史の流れから思わざるを得ない。そして、翌1918(大正7)年9月には、モスクワでユダヤ・ロシア共産党合同会議、8月中旬に、この会議事務局は世界最高会議(上部イルミナティ)より「日支闘争計画案」を受領していたという情報がある(増田正雄「今次大戦勃発の真因」(国際政経学会『猶太研究』昭和18年4月号所収。渡部悌次『ユダヤは何を』96−98頁)。
 我々敗戦後の日本人の大多数は、「世界侵略勢力」の日本民族殲滅戦略の歴史があったなどと言うことを思いもしないのである。従って、その計画が相当に長い歴史を閲していたことなど知るはずもない。だが、戦前の日本にそれを知り警鐘を鳴らしていた愛国者は少なからず存在していたのだが、それはアメリカの占領支配7年間で見事に「焚書坑儒」されていたのである。


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