【特集】第32回定例シンポジウム「『歴史戦』をどう闘うか」
《報告》
ナチス・ドイツと日本帝国は同類か
―東京裁判史観が偏向する所以―

ウィスコンシン大学大学院歴史学博士候補 ジェイソン・モーガン
Jason Morgan  participant from Univ. Wisconsin, Madison & Waseda Univ., Japan

ニュルンベルク裁判と極東軍事裁判の比較
 まず、この場を借りて、日本戦略研究フォーラムの皆様、特に平林先生、長野先生、そして平川先生、ここにお集まりの方々にお礼を申し上げたいと思います。このような機会をいただいてまことにありがとうございます。
 私にとっては初めての日本語での講演です。たどたどしい日本語しか話せませんが、どうかよろしくお願い申し上げます。
 先にはっきりと言わせていただきたいと思いますが、海外の研究では、私のように、櫻井よしこ先生が好きで、また安倍政権を支持している学者は非常に珍しいです。圧倒的に左翼の歴史解釈を支持している人が多いです。その意味で私は真剣勝負をしています。
 しかし背水の陣を敷いているのは、我々ではなく向こうであります。彼らは長い間事実に基づいていない歴史解釈を繰り返し、それが現在崩壊しつつあるので、古森先生も仰ったように焦りが出てきています。従って、自信をもって戦っていけると私は思っております。
 さて、今日私に与えられたテーマは、「ニュルンベルク裁判と極東軍事裁判を本当に比較することができるのか」というものです。非常に大事なテーマであると思います。最近勃発した「歴史戦」、「教科書をめぐる問題」などは、これらが比較できるかどうかということに深く関係していると思います。
 単刀直入に申し上げますと、もし昭和半ばの日本帝国とナチス・ドイツが質的に類似するものだったとすれば、哲学者のカントの言う「根本悪」、根本的な悪質を歴史家として、徹底的に研究して、現在の皆さん、そして将来の皆さんのためにその証を明らかにして、日本帝国の悪質をしっかりと発表する義務を果たさなくてはならないと思います。
 これは今までの東京裁判的な歴史解釈の輪郭という位置付けです。日本が東洋のナチス・ドイツだから、その悪質を曝す義務をもつという考え方です。しかしもし、日本帝国とナチス・ドイツが質的に異なるならば、つまり極東軍事裁判、所謂、東京裁判で言い渡された判決が根本的に間違っているのであれば、逆に歴史家には、その歴史的な過ちを改める義務が生じるのではないかと私は思います。

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    Recontextualizing the Tokyo War Crimes Trial: A Comparative and Critical Approach

Both grand theaters of World War Two − Europe and the Pacific − ended with trials. The Nuremberg Trials in Germany in 1945-46 at- tempted to limn the contours of the National Socialists’ almost unspeakable actions during the 1930s and 40s, straining the very meaning of the word “crime” with the enormity of the atrocities carried out in Germany and eastern Europe. And in Japan, the International Military Tribunal for the Far East, known colloquially as the “Tokyo War Crimes Trial,” was consciously modeled on the Nuremberg trial, attempting to frame the military maneuvering of the Japanese as Nazi-like war crimes in violation of international law.


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