【特別寄稿】
インドネシア共産党(PKI)の興亡
9.30 事件の顛末―

顧問・元陸自調査学校長 清水 濶
まえおき
 昨年10月1日付産経新聞に「全土で虐殺、川は血で真っ赤」という見出しで、インドネシア「9.30事件」から50年の回顧記事が掲載され、当時共産党員の疑いで投獄された元インドネシア国軍兵士プロント氏の生々しい “国軍による残虐行為” が記載されていた。本誌秋号(Vol. 66)で「1970年代初期のインドネシアに在勤して」と題し小職の拙稿をご披露したが、これは上記記事と異なったスハルト元大統領誕生の契機となった9.30事件について肯定的な観点から触れている。
 事実9.30事件の真相は我々の目に触れない部分も多くあり特に当時インドネシア共産党(PKI)は合法政党で、スカルノの「NASACOM」体制の中核であり中国によるPKI支援説、或いは当時欧米の懸念した東南アジア「共産主義ドミノ理論」の現状から欧米による教唆説等々事件の発端、契機について諸説があり、未だに真相は闇の中である。
 本項は事件の3年前(1962年)、当時東部方面総監部幕僚長の職にあった藤原岩市陸将(註:戦時中「F機関」の長として「インドネシア防衛義勇軍」、「インド国民軍」の育成を通じて独立運動を推進)を訪ねて来たインドネシア国軍要路の将軍たちと藤原氏の接触の一端に触れた筆者個人の体験を通して、また筆者が防衛駐在官として現地で直接見聞した「9.30事件の顛末」をここに紹介したいと思う。



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